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なにかいる
ふっと目が覚めるともう夕刻になっていた。草木の揺れる庭を茜色に染めあげる陽光が、縁側を通り越してこちらの居間にまで差し迫っている。
期限が三日後に迫っている原稿を仕上げようと、食卓と仕事机を兼ねているちゃぶ台で執筆作業をしていた。だが、背に差す陽光がどうにも心地好くて、ごろんと寝転んだのがいけなかった。そのまま今の今まで寝入ってしまっていたらしい。
春のうららかな陽気というのは、ちょくちょくこのような怠惰を誘う。
「よっこらせ……」
私は寝起きの気怠い身体をのそりと起こした。すると、肩から畳の上になにかがするりと滑り落ちた。摘みあげてみれば藍色の茶羽織である。
普段から使っている皺だらけの茶羽織だが、夕刻になって気温がさがり、ゆえに風邪引きを案じて肩にかけられていたらしい。しかし、執筆中に思いがけず眠ったのだから自分でかけたはずがなく、かといって他者の手によってかけられたものでもない。この古びた平屋に住うのは、男やもめの私ひとりだけなのだ。
やはりな、と私は思う。
この家ではこれまでにも不可思議な現象が起きてきた。不精して散らかしっぱなしだった文具が、いつの間にか片されているということがあった。突然の雨に焦って庭に出ようとしたとき、すでに洗濯物が取りこまれていたなんてこともあった。そして、今回のこれだ。うたた寝した私の肩に茶羽織りがかけられていた。
やはりこの家にはなにかがいる。私はいよいよそう確信したのである。
羽織はそのなにかの仕業に違いなく、実のところそのなにかには若干の心当たりがあった。
私は羽織を傍らに置いて立ちあがり、戸棚に仕舞ってあった餅をひとつ取り出した。隣家にいただいた白餅だ。さらに七輪も抱えて奥の座敷に向かった。
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