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座敷の北東側の壁にはとある絵がかけてある。四方が二尺(約六十センチメートル)ほどの真四角の絵だ。落ち着いた色ばかりを用いた優しい水彩画で、描かれているのは宿場町らしき風景だった。
絵の中心にずっと向こうまで伸びていく小径があり、その両脇に二階建ての宿がずらりと軒を連ねる。宿の上に広がる空にうろこ雲が描かれているようすからして季節は秋だろうか。町並みが賑やかであるわりには、人っ子ひとり行き交っていない。
この絵は約十年前に買いあげた代物だ。妻は絵を見るのが好きで、特に優しい風合いの絵を好む。きっと妻が気に入るだろうとこの絵を手に入れたのだが、当時に二百円もの高値がついていた。
現在の私は三十代前半になったが、今も昔も鳴かず飛ばずの文筆家だ。その実入りといえば、世の男性どもの平均月給である百円、それと同等かそれ以下の額でしかない。にもかかわらず、私は二百円もする上等の絵を今は亡き妻に買い贈った。
なぜそんな浪費をしたのかと、今となれば首を傾げざるを得ないが、それだけ妻に惚れていたということだろうか。
その絵の前に持ってきた七輪を据えて火を焚いた。それから白餅に特製の味噌を塗りつけて、七輪の網の上に乗せて炙っていく。しばらくして香ばしい煙が漂いはじめた。
私は煙を団扇でぱたぱたとあおいで絵のほうに差し向けた。上等な絵を煙まみれにすることに躊躇いも覚えたが、この平屋には私以外にもなにかが棲んでいる。もしかしたら、餅からあがる香ばしい煙でその正体を暴くことができるかもしれない。
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