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「雑魚がよ」
暴言と共に、無機質な音で通話が切られる。
照明を落とした部屋の中、皓々と光るモニターを見つめ、私はマウスを、デスクに思い切り投げ付けた。普段ならぞっとするような破壊音を立ててマウスが散らばる。デスクに殴り拳をぶつけても、奥歯を震えるほど噛み締めても、溢れる涙を止められなかった。
対人FPSゲームの『ZENITH(ゼニス)』を、高校生から始めて一年が経った。
お年玉もお小遣いにも前借りも、貯めたお金全部をゲーミングPCに注ぎ込んで、私はゼニスをやり始めた。FPSの経験は、コンシューマーやモバイル版で多少あった。チームワークや咄嗟の判断力、戦略、エイム、キャラクター固有能力など、色んな要素を考えて感じて行動しなければ、勝利を掴めない。問われれば、趣味はゲームと答えるくらいにゲームが好きだし、人より上手いと思っていた。
全然、そんなことはなかった。
自分の無知無力さを知ったあとはがむしゃらだった。睡眠時間を削っての猛特訓、上達するための動画を見漁り、なけなしの所持金を使ってコーチングも受けた。
当然プロには及ばない、けれど、最上位のランクまで登り詰めることができた。まぐれではない、半年は維持している。
強くなった、上手くなった。
私は、満足している。
「ジュールなにしてんの!」
雁金充、HN【ジュール】が離れた後方で撃ち倒された。私についてこいと言ったのに。
「ごめーん!あっ!敵、敵!」
充に言われるまでもない、正面の家屋には敵が二人、充を倒して私を追ってくる敵がまた二人。このままでは挟み撃ちに合う。脇道に逸れて逃げるのが得策だろう。
「ごめんね、たまちゃ……バレちゃん」
充が、本名の天羽環と呼ぼうとして、HN【BLLT】と言い直した。
「大丈夫、そんな気がしてたから」
「うぅ……でもバレちゃんの視点見て勉強するね」
充のハキハキした声が耳元に聞こえる。
両パーティが家屋で接敵して撃ち合い始めた。戦いが終わる頃、付け入る隙が生まれる。
激しい銃撃の後、訪れた静寂。
私はあらかじめこっそりと建物に近づいていたので、一気に飛び込み、まだ戦利品を漁っていた1人を無抵抗のまま撃ち倒した。もうひとりは先の戦闘でダウンしていたようだ。
「すごい!ナイスバレちゃん!」
私は感慨もなく息をつく。
「ジュール復活できないし、このマッチは抜けようか」
「え、いいよ、そのまま勝っちゃって!」
「実際に動かないと練習にならないでしょ、火曜日しか遊べないんだし」
充は不満そうに唸ったが、私は無視してマッチを抜けた。
クラスメイトの充はFPS初心者だ。可愛い動物と触れ合うゲームしかしたことがない、という彼女がなぜゼニスを私と一緒にしているのか。
私が友達と、教室の隅でゼニスの話をしているのを聞きつけて、充が頭を下げてきた。「ゼニスを教えて欲しい」と。聞けば推しのアイドルがSNSでプレイ動画を上げていて、興味が湧いたらしい。
完全な初心者に教えるのは骨が折れるし、私自身の練習時間も奪われる。断ろうとした。しかし、週に一日だけ、と子犬のように懇願されてはクラスメイトの視線が痛い。渋々了承した時の喜びようがまた、子犬みたいでその時は微笑ましかった。
予想通り、いや、それを下回る苦労だった。週に一日、火曜日限定の理由が、塾や習い事(バレエにピアノ)をしているから、と充に言われた。コミュニケーション能力の高さ、地頭の良さ、要領も物覚えも良い。ゲームに慣れれば、すぐに上達できるだろうというポテンシャルだし、毎週成長を見せるジュールの動きから、私は火曜日を楽しみにしていた。時折り集中を欠いて、私の指示を聞いていないこともあるけれど。
「ねえ、日曜日、空いてる?」
マッチまでの待ち時間、充が聞いてきた。ハキハキした調子から、少しトーンを落として甘えたような、おやつをねだる子犬みたいな声。
「日曜?空いてるけど、昼?」
「そうお昼。あのね……、一緒に行きたいとこがあるの」
女子高生二人で家電量販店、それもPCデバイスコーナーとは華がないな、と内心嘯きながらも、実際にはひとりでよく来る場所である。とはいえフード付きのラフな格好の私は馴染むようだが、充のシースルーの袖は多少浮いてる気がする。制服だといいけれど、私服ではやはりバランスが取れない、と落ち着かない気持ちだった。
充が、ゲーミングマウスをまだ持っていなかったとのことで買いに来た。
「たまちゃんが使ってるのある?」
「ん……あった、これ」
有名メーカーのお手頃価格、必要な機能は備わっているマウスだ。
「これか~。……おそろいにしようかな」
手に取ったマウスをまじまじと眺める充。
「予算に余裕があるなら、こっちの方がいいんじゃない?」
「ううん、これにする」
私の指したものには目もくれず、充は私を見て微笑んだ。
「たまちゃんは何か買わないの?」
「特に……そういえばしばらく買ってないかも」
売り場のマウスを見ると、思い出す。
「マウスが壊れ……っていうか壊してから」
「壊した?」
「ちょっと投げ、落としちゃってね」
「投げたの!?」
聞こえてたか。私はいたたまれなくて、訳を聞きたがる充を黙殺したまま、レジに無理矢理連れて行った。
華がない、などと思っていたら充が「お茶をしよう」と言って、二人で近くのカフェ、注文の難しいチェーン店へとやって来た。
どこでも見かける、女性が描かれたロゴ、華やかで可愛らしいドリンクを写した立て看板。照明が眩しい訳でもないのに、きらきらしていて気後れする。
「充、私さ、ここ初めてなんだよね」
「えーーっ!!」
おしゃれ女子の充から絶叫を引き出すくらい、周りの女子なら当たり前に通うお店である。とはいえ興味がないので仕方がない。注文の列に並ぶと慣れていないせいで、壁のメニューを見ても目が滑ってしまう。
「甘いの好きだよね?」
「うーん、でも違う世界っていうか……S・M・Lじゃないんでしょ?」
充が目を細めて笑う。
「じゃあここは、私がバレちゃんを先導してあげないとね」
「……はい」
私は素直に頷くしかなかった。子犬の影もない、大人びた言い方と満足そうな表情は悪くないが、ひとりで通って慣れてやろう、と私は密かに決意していた。
「…………え」
月曜日の昼、世界中に広まっただろうそのニュースを見たとき、私は世界の終わりを感じた。
『ZENITH無期限休止』
以前から、プレイヤーの民度が低い、プロゲーマーの不祥事などの問題はあったが、不正アクセスによるサーバー停止が一番の要因だろうか。
でも原因はどうでもいい、この一年と数ヶ月を費やした存在が唐突に消えてしまった。再開する希望を持ちたいのに、どうしてもそれができない。家に帰ってPCを立ち上げれば、手が自然とゲームを起動する。そこに現れる文字の羅列を、正気で読むことなんてできなかった。ゼニスで繋がったフレンドも一気に離れていく。そもそもフレンドが多いわけじゃなかった。
そう、今の私にとって一番の問題。
たった週に一度の繋がり。
学校ではゆっくり話せないからと、待っていた。
火曜日の夜。
いつも通り通話をかけるけど、いつもと違い画面にゼニスはない。
「もしもし」
「もしもし、バレちゃん聞こえる?」
「うん、大丈夫」
充、ジュールの声に聞き入る。このままゲームが始まる錯覚。
「……悲しいね」
「うん」
「昨日は何のゲームしたの?」
「昨日は、何も」
「そっか」
沈黙を破る銃声もない。
「他のゲーム、しないの?ほら、なんとかントみたいなやつ」
「うん……」
「……推しもさ、ショックみたいでSNSの投稿なくって」
「うん……」
「私もどうしよっかな」
充はどうするのか、それを聞きたい、いや、聞きたくない。
「私も」
「充……っ」
鼓動が早いまま、充の言葉を遮った。
「あ……ごめん、ジュール」
「いいよ、充で、ゲームしてないんだし」
優しく笑う充の声。
ダメだな、これ。
「充、私は……」
最終決戦。
一対一。
緊張して、手汗をかいて、呼吸が止まりそうで、鼓動に全てが支配される。
「充と、もっと遊びたい」
命中すれば勝ち、避けられれば負ける。
放った弾丸は、反動を残し、空を切り、狙い通り飛んでいく。
心臓ではない、心を狙って。
「いいよ」
当たっ……。
「もちろん、たまちゃんが、好きなことしよ?」
違う。
受け止められた。
これは弾丸なんかじゃなかった。せいぜいキャッチボールの球だ。そして、投げたボールを子犬が咥えて持ってきたのでもない。
対等に、彼女は受け止めて投げ返してくれた。
「充……」
「たまちゃん、どしたの?大丈夫?」
「だい、じょうぶ……ありがとう……」
ふふっと笑ったように聞こえた瞬間、充が咳こんだ。
「ご、ごめん、なんかむせちゃって。ねえ、おすすめのゲーム教えて?」
私は天井を見て、目元をぬぐって、大きく息を吐いた。
「任せて、ジュールがすぐに上達しないやつ一緒にしよう」
「え!なんでなんで!」
通話を切ったあと、私はファイルを開いて録音を確認する。習慣づいた行動だ。
『もしもし』
停止。環の弱々しい声に、私の口角は自然と吊り上がってしまう。再生。
『うん、大丈夫』
停止。全然、大丈夫じゃない、今まで聞いたことのない低さのテンション。こんな声を聞かされて、冷静に話すことができた自分を褒めてあげなくては。
再生する。このままだと夜が明けてしまう。
ああ、でも、ここはちゃんと聞きたい。
『充と、もっと遊びたい』
熱気を帯びた吐息が溢れる。
暑い。
頬が紅潮しているのが分かる。
ドキドキが止まらない。
ゼニスが休止と知らされた時はこの世の終わりかと思ったが、環が私に懐いてくれていて本当に良かった。
いや、違う。きっとこうなる運命だった。
一年と数ヶ月前、ゼニスで暴言を吐かれて失意の底にあった環の姿を見た時、私達の運命は定められた。寝不足、精神をすり減らし、やつれながらも上達ぶりを楽しそうに友達と語る環。ずっと見ていた。一緒にしたいと思った。けれど邪魔になってしまうから、声をかけられなかった。
ひとりで、火曜日には練習をしていた。もし遊べるとき、少しでも迷惑にならないように。
最上位ランクになったことを喜々として話すのを見て駆け寄りたかったけれど、私の周りの目は少し冷ややかだった。
環のメンタルが安定していくのを見守っていられず、いよいよ我慢できなくなって声をかけた。
始めは怪訝そうだったが、徐々に私の腕前が上がることを喜んでくれているみたいだった。
よく声に聴き入って、何を指示されたか聞いていないこともあった。
私は火曜日以外にもひとりで練習するようになった。環にばれないように、ひとり用のアカウントで。
なのに、残念。ゼニスはなくなってしまった。
でも培った知識と経験は他のゲームにも活かせる。
それに、環がいる。
つい笑みが零れる。今までの録音は環主導だったから、今回の収穫は貴重だ。
この前のデートだって、慣れないカフェでの様子が、まさに借りてきた猫と言えた。
あぁ、もっと見たいな。
PCをシャットダウン。スマホに移した環の弱気な声を再生する。
『充と、もっと遊びたい』
「私も、もっと遊びたい」
同じ気持ちだね、たまちゃん。
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