第31話 新生活始めます。

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第31話 新生活始めます。

 桜子は逮捕・起訴された。しかし、佑を連れ去ったのは、危害を加える目的ではなかったこと、また不妊で夫から責められ追い詰められて精神を病んでいたことなどで、情状酌量が認められ、最終的には執行猶予になった。  事件について法的手段を執っていく過程で、泉は元勤務先の院長と五年半振りに会い、すべてを打ち明けた。  過去に起こったことも伝えなければ、今回の事件の全容が見えてこないからだ。  元々は泉が悠希と婚約していたことや、彼が桜子と結婚するために不妊を偽装されて婚約破棄されたことなども伝えた。  高梨院長はかなり驚いていた。泉が悠希とつきあっていたことを知らなかったからだ。彼からは丁重な謝罪を受けた。また、泉側が控訴をしなかったため、「せめてもの償いとして」という高梨からの申し出で、慰謝料を受け取ることになった。  悠希と桜子は離婚した。そして悠希は、県の歯科医師会から放逐されることとなった。  まず、泉の不妊の診断書を偽造したことが重く見られた。法的にはすでに時効を過ぎているものの、医療に携わる者として人道にもとる行為であると、組織から糾弾されたのだ。  また、高梨院長が歯科医師会の役員を務めていたことも、影響している。女性二人の人生を狂わせた、しかも一人は自分の娘だ。高梨の怒りは相当だったという。悠希はもう、県内では歯科医としてやっていけないだろうということだ。  また高梨院長は、娘の事件を受け、歯科医師会の役員を辞任している。  蒼佑は代理人を立て、悠希と桜子に、泉と佑には二度と近づかないという誓約をさせた。  悠希は追い出されるように県を去ったが、どこへ行ったのかは泉は知らないし、また興味もなかった。      佑は事件からしばらく、夜一人では寝られなかった。 『パパとママといっしょにねたい……』  佑が帰ってきたら、思い切り甘やかしてやろう――そう二人で話し合っていた手前、息子の可愛いお願いを聞かないわけにはいかず、蒼佑は図らずも、リカとともに菅原家にしばらく滞在することになった。  佑は初めてリカと対面し「パパのわんちゃん! かわいい!」と、リカを一目で気に入り、リカもまた、蒼佑と同じ匂いがするのか、佑によく懐いた。  蒼佑と佑が二人でリカの散歩に行けば「お父さんと一緒にわんちゃんのお散歩行って、いいわねぇ」と、通りすがりのご婦人に言われ、親子揃って似たような表情で笑っていたという。  佑は「パパといっしょにおうちのごはんたべるの、うれしいな。ママのごはん、おいし~」とにこにこしているものだから、蒼佑も釣られて「そうだな。ママのご飯、すごく美味しいよな」と、にこにこしていた。  事件のせいで延期になっていた九条家訪問も、一ヶ月遅れでようやく実現する。挨拶の席には英美里も同席してくれて、泉の好感度を上げるバックアップをしてくれたのが嬉しかった。  蒼佑にはさらに弟が二人いるのだが、兄そっくりの甥っ子見たさに、二人揃ってやって来て「蒼佑兄さんそっくりだな!」「ミニ蒼佑、可愛いなぁ」などと言いながら、佑をとても可愛がってくれた。  肝心の両親はと言えば、気さくな人柄で、佑へのお土産を山ほど用意してくれていた。初めて直に会う人懐っこい孫にメロメロになり「佑ちゃん、お願いだから泊まっていって!」と引き留められ、結局一泊することになったのだった。  結婚後の住居については、決めるのに難航した。というのも、 「ご両親の想い出が詰まった家を手放すなんて、泉は嫌だろう? それに、梢さんたちが一時帰国した時に、滞在する実家がないと淋しいだろうし……」  蒼佑は、菅原家をリフォームして住まいにしようと提案してくれた。  しかし、家の場所が悠希に知られていることを考えると、安心して住んでいられるだろうかと、泉は少々不安に駆られてしまい。  考えた結果、しばらくは蒼佑のマンションを住居とし、実家はリフォームした後、週末を過ごしたり、友人を呼んでパーティを開いたりする『セカンドハウス』にすると決めた。  家は使わないと痛んでしまうと言うし、換気や掃除をする大義名分もできるからだ。  ただ、蒼佑のマンションは東京なので、佑は今の保育園には通えなくなるし、泉も岸本家での仕事はできなくなる。それをどうしようかと考えていた時、岸本が住むマンションに空き部屋があると、英美里が教えてくれた。  蒼佑はすぐにそこを内覧し、岸本の話を聞き、次の日には売買契約を結んだ。そのマンションなら、3LDKなので三人で住むには十分な広さだし、佑の保育園にもそう遠くはない。岸本の家にもすぐ行けるし、ペットも飼える。  泉親子との生活においては、うってつけの物件だ。  蒼佑の職場からは遠くなってしまうし、何よりそんな贅沢なことをしてもいいのだろうかと、泉は心配したが「今まで二人には苦労をさせてきた分、俺は泉も佑も甘やかしたいんだ」と、蒼佑は気にする様子もない。  諸々の手続きを済ませた後、三人で暮らす荷物の搬入を終え、あとは入居するだけとなった日、泉と蒼佑は、婚姻届と佑の認知届、それから佑を夫婦の戸籍に入れるための入籍届を提出した。  誘拐事件から約三ヶ月――ようやく、ここまで来た。 「わぁ~! ブルーレイがいっぱい! みたいみたい!」  新居のリビングに入った途端、佑が目を輝かせた。  リビングのAVラックには、蒼佑が買った子ども番組のブルーレイがびっしりと並べられていたからだ。 「後でね。佑、ブルーレイ見ていいのは、一日二話までだからね?」 「わかったぁ」 「佑、佑のお部屋もあるぞ。パパと一緒に見に行こう」  蒼佑が佑の手を引き、子ども部屋に向かった。  泉はリビングの掃き出し窓からベランダに出てみる。七階建てマンションの五階からの眺めは、なかなかだ。  籍を入れた後、昼食を取ったり買い物に行ったりしていたので、もう日が傾いている。西の方を見れば空は茜色に染まっていた。  生まれてから中学生まではマンション暮らしをしていたが、それ以降は両親が建てた一軒家にしか住んでいなかったので、こういう景色は久しぶりだ。 (今日から、三人で暮らすんだ……)  すでに予行演習のようなものは済んでいるが、今日からは本格的に三人暮らしだ。しかも泉と佑は苗字も変わっている。 「九条、って名乗るのに慣れなきゃね」 「ありがとう、泉」  ぽつりと呟くと、いつの間にか隣に来ていた蒼佑が、声をかけてきた。佑は、部屋に置いてあった新しいおもちゃに夢中らしい。 「何が?」 「『九条泉』になってくれて。本当は俺が『菅原』になれればよかったんだけど……」  蒼佑は九条家本家の長男で、いずれ家を継ぐことになる。だから婿養子になるのは難しかった。泉にもそれが分かっていたので、何も言わずに『九条』姓になることを選んだ。 「お姉ちゃんの子どもたちが苗字を継いでくれたから、大丈夫。……ミドルネームだけどね」  数ヶ月前、梢には二人目の子どもが生まれた。今度は女の子で、フルネームを『アンジェリーナ・ナオミ・スガワラ・ピーターソン』という。『ナオミ』は、梢が好きなハリウッドスターから取ったそうだ。日本語としても通用するので気に入っているらしい。 「そっか。……早く梢さんファミリーに会いたいな」  泉たちは年末年始の休暇を使い、サンディエゴに行くことにした。新婚旅行も兼ねている。向こうでは、梢ファミリーとロサンゼルスに旅行することになっているので、楽しみだ。  蒼佑と結婚したことで今後、外国人と会う機会が増えるはずで。その中で自分だけが英語を上手く話せないと、夫の足を引っ張ってしまうかもしれない。それが嫌なので、泉は本格的に英会話を習うことにした。オンラインでだが。  頑張らなきゃ、と言うと、 「あんまり頑張りすぎるなよ、泉」  蒼佑が泉の頭を撫でてくれた。 「ママぁ……おなかすいたぁ。リカもおなかすいたって!」  リビングに戻ってきた佑が、お腹を押さえて訴える。隣では、リカがお座りをして尻尾を振っていた。 「分かった。ご飯にしようね」  泉と蒼佑は、笑いながら部屋に入った。
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