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第12話 五年分の澱を吐き出して
「どうして君がここに……?」
その声に戸惑いを乗せて、蒼佑が聞いてくる。
「泉さんは、僕が契約してる家事代行サービスの人で、うちの家事を専属で引き受けてくれてるんだ」
「岸本の専属? いつから?」
「えーっと……専属になってどれくらい経つっけ? 泉さん」
「一年くらいです」
岸本から水を向けられた泉は、気まずげな表情のまま、小さく答えた。
「一年……」
呆然と呟く蒼佑は、それでも泉に強い視線を据えたままだ。
「九条も英美里も、泉さんのことを知っていたんだね。すごい偶然だ」
そこまで言った岸本は、含みのある視線でちらりと窓の外を見た。ひょっとして、何かを察しているのかもしれない。
(やばい、やばい……どうしたら……)
万事休す、崖っぷち、手詰まり――いろんな単語が頭に浮かんだ。
「……ずっと探してたんだ、泉」
(……よく言う)
あんな寝言を聞いてしまったのだ。甘い声音を素直にすんなり信じるほど、子どもじゃない。
そんなことより、今はこの場をどう切り抜けるか――泉はそれしか考えられなかった。
どうか、どうか佑に気づかないで――
「了悟くんから、今日家事代行の担当さんも来るからって聞かされてたけど、まさか泉さんだったなんて」
英美里は英美里で、驚きと嬉しさが滲んだ言葉をかけてくる。
「英美里ちゃん……元気だった?」
「元気だったよ。泉さんは?」
「うん……見てのとおり」
「よかったね、お兄ちゃん。泉さんに会えて」
「……」
二人の間にどことなく気まずい空気が流れているのは、英美里も感じていただろう。場を盛り上げるように、ワントーン高い声を上げた。
「ねぇ、ほら! 積もる話もあるだろうから、ね? とにかくどこかで腰を据えて――」
「ねぇねぇ、ママ」
ワンピースをクイクイと引っ張る感触がした。
「……っ!!」
(しまった!)
目の前の男に気を取られて、佑に注意を払えていなかった。
泉はぐるんと振り向き、佑に覆い被さるように蒼佑たちに背中を見せた。
息子の顔を彼には見せたくない。見せたら最後だ。
「ど、どうしたの?」
「おそとでお砂をはらって、手もあらってきたよ。のどかわいちゃった」
鼻の上にほんの少しだけ砂粒をつけた佑が、にっこりと笑っている。
「そ、そっか。じゃあ、オレンジジュースもらおっか」
「うん」
ハンカチで佑の顔を拭いながら、泉は飲み物が置かれたブースへ彼を連れていく。
彼らがどんな顔をしているかなんて、確かめる余裕などない。
とにかくこの場を離れないと。
子ども用のプラスチックのコップがあったので、それにオレンジジュースを注ぎ、ダイニングチェアへと佑を誘導した。
蒼佑たちに背を向ける位置に座らせてから「こぼさないようにね」と、コップを渡した。
「――泉、君……子どもがいるのか?」
いつの間にかそばに来ていた蒼佑が、訝しげに尋ねた。泉は慌てて佑を椅子ごと背に隠し、彼と向き合った。
「そ、それが何か?」
あからさまに動揺しているのが、彼にも伝わっているだろう。心臓がバクバクしてどうしようもない。
「いや、でも君は……」
さすがにそれ以上を口にするのははばかられたのか、蒼佑は口を噤んだ。
「……」
(落ち着け、落ち着け……)
泉はゆっくりと深呼吸をした。
「――結婚……してるのか?」
蒼佑の声は仄暗い雰囲気をまとっていた。どこか泉を責めているようにすら聞こえる。
泉が結婚していたらなんだというのか。結婚してようがしてまいが、蒼佑には関係ないというのに。
ここはどう答えたらいいだろうか。何せ彼は岸本の知人だ。嘘をついたところですぐにバレる。
頭の中の引き出しを引っかき回し、答えを探していると――
「ママ……このひと、だれ?」
「……え」
すぐ横から声がした。見ると、いつの間にか左側に佑が立っていて、泉の腕を掴みながら、蒼佑を指差していた。
(! いけない!)
慌てふためいて佑を隠そうとしたけれど、もう遅かった。
佑は蒼佑を見上げているし、蒼佑は佑を見つめていた。
「……」
彼の目が、これ以上ないほど見開かれた。
(あぁ……もう……)
こうして改めて並んでいると、二人は誰がどう見ても『親子』だ。
それほど、佑は蒼佑に瓜二つなのだ。
どうしよう、どうしようと、心は騒いでいるのに、彼らの血のつながりをこうしてまざまざと見せつけられて、わずかながら感動している自分もいた。
秘かに『ミニ蒼佑』と呼んでいたのは、大げさではなかった。
泉の中で、諦めと動揺がマーブル状に入り乱れている。
「――泉……この子……」
蒼佑の声が震えていた。それもそうだろう。自分そっくりの子どもがいきなり目の前に現れたのだ。
(なんて答えたら……)
「え……うそ……お兄ちゃんそっくり……」
蒼佑の後ろから顔を出した英美里が、佑を見て呟く。
「ママ……」
この場に流れた異様な空気を察したのか、佑は怯えながら泉にしがみついた。
その様子を見た英美里が、先ほど同様、空気を変えんばかりにパッとしゃがんで、にっこり笑う。
「こんにちは。おなまえ、なんていうの?」
「……すがわらゆう、です」
「ゆうくんか。私は、英美里だよ」
「えみり……おねえちゃん」
「ゆうくん、私ね、ブロック大好きなの。一緒に遊んでくれる?」
「うん……」
返事をしながら、佑は不安げに泉を見上げる。泉はこくこくとうなずいた。
「遊んでもらいなさい、佑」
「じゃあ、あっち行こ」
英美里は蒼佑に目配せをして、佑をブロックがあるところまで連れていった。
二人が十分に距離を取ったのを確認した後、蒼佑はまっすぐ泉を見据えた。
「……泉、あの子は俺の子だな?」
いきなり直球で聞かれ、一瞬、言葉が詰まる。
「……私の子です」
創作でありがちな台詞だなと思いながらも、それしか浮かばなかった。
「ごまかすな、泉。あれだけそっくりなんだ。誰が見たって俺の子だって分かる」
「母親は私です」
あくまでも肯定せず、きっぱりと自分の子であると主張する。
「……俺を騙したのか? 子どもができない身体だと言って。まさか、俺の友人だと知ってて、岸本に近づいたのか?」
「っ!」
はっきり言ってしまえば、こういう反応はある程度予想していた。
けれど実際に聞くと思いのほかきついし、カチンとくる。
「そもそも何故あの日、黙っていなくなったんだ? 俺がどれだけ探したと……」
「あなたって、ほんと変わらないよね」
泉は鋭い口調で、蒼佑の発言を一刀両断する。
「は?」
「サンディエゴでも、私をストーカーと決めつけて責めてきて。今も、私が騙したと思い込んでる」
「……」
呆れてしまい、ため息交じりに言えば、蒼佑が息を呑んだ。
「あのねぇ……もし騙す気があったら、生まれた時点でDNA鑑定を要求した上に養育費請求してるよ? そもそも、私はあなたの連絡先も身の上もほとんど知らなかったし、岸本さんが英美里ちゃんの婚約者だってこともさっき知ったばかり」
「……」
泉の説明に納得し始めたのか、わずかながら蒼佑の表情が和らぐ。
「あと、私が不妊の診断を受けたのは本当だし、なんなら診断書の写真だってクラウドに保存してるから、今すぐダウンロードして見せられる。妊娠したのは……あの子には聞かせたくないけど、本当に想定外だった」
妊娠したのは想定外だったけれど、泉はそれを奇跡だと思ったし、佑を産んだのは後悔していないどころか、毎日あの子に幸せをもらっている。
それはきちんと伝えておかねばと、泉はきっぱりと告げた。
「――はっきり言わせてもらうけど。私は、蒼佑さんには二度と会いたくなかったし、子どもの存在も知られたくなかった。……私は、わざと妊娠して子どもを盾に強請りをするほど、悪女じゃない」
逆に責めるように睨めつけて。言いたいことを全部吐き出せば、蒼佑は勢いに乗るように食いついてきた。
「分からない。どうして泉は、そんなに俺に会うのが嫌だったんだ? さっきも聞いたが、あの日、どうして何も言わずに消えたんだ? 俺が何かしたのか?」
「……」
泉の心の傷が、じくじくと疼く。
言わなきゃならないのだろうか。あんな思いをしたことを。
忘れていたのに。忘れようとしていたのに……この男は、どうしても蒸し返したいのか。
人の気も知らないで、蒼佑は声風を強めてくる。
「俺は言ったな? 泉とのことをあの日限りにするつもりはないと。それなのに君は――」
「っ、そんなに知りたかったら教えてあげる! あの日の朝! あなたは、私を腕に抱いたまま、他の女の名前を呼んだのよ! 『リカ、愛してる』ですって! 私がどれだけみじめだったか、分かる!?」
(やっちゃった……)
でも、我慢できなかった。
思わず大声を上げてしまったので、周りにいた他の客がこちらを注目している。
岸本も英美里も、そして佑も、泉を見ていた。
大きく息をついた泉は、つかつかと岸本に歩み寄った。
「岸本さん、せっかくのおめでたい場に水を差してしまい、申し訳ありません。お詫びのしようもありません。これ以上、お見苦しいところをお目にかけるのも心苦しいので、私は失礼させていただきます。……皆さん、申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げてから。泉は荷物をすべて持った後、佑の手を引いて岸本の自宅を飛び出した。
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