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第14話 大体計470話分です。
泉はほぅ、と息をついて。
「……分かった、あなたを信じる」
「泉……!」
にっこりと笑った彼女の言葉に、蒼佑の目がぱぁっと明るくなった。
数拍の後――
「――なぁんて、言うわけないでしょーが! この失言王が!!」
「っ、泉……?」
「あなたの言うことって、いちいち薄っぺらいのよ! そんな誓いもどきで、これまでの失言がチャラになるなんて思うな! こんなのが父親なんて……佑の教育によろしくないわ。あぁもう、ほんっと無理!」
一昨日は「俺を騙したのか」なんて言っていたくせに、二日後には「父親になりたい(キリッ)」なんて、手の平クルクルーにもほどがある。
本当に底が浅い。水たまり以下だ。
一瞬、うっかりとこの男を信じそうになったけれど、すぐさま現実に戻ってきた。
(無駄に説得力のある面構えだからなぁ……)
性格を知らなければ、あの言葉に絆される女性も多いはずだ。この男はきっと、詐欺師に向いているに違いない。
絶対に流されてなるものかと、泉は肩を怒らせて、蒼佑の胸元に指を立てた。
「な、なら、どうしたら君の恋人として、佑の父親として認めてもらえる? 俺にできることならなんでもする。できないことでもなんとかする!」
蒼佑は前のめりで言い募ってくる。
美形セレブに相応しくない必死さだ。
許されたいと思っているのは、おそらく本当なのだろう。
だけど――自分だけならともかく、佑がいるのだ。そうやすやすと受け入れてしまっては、息子に申し訳が立たない。
泉は雑に息を吐く。
「少なくとも、私が『今の蒼佑さんなら』と思うまでは、佑に会わせない。あなたも会おうとしないで」
「わ、分かった」
「一応聞いておくけど……蒼佑さんは本当に佑の父親になりたいの? 父親になる覚悟はあるの?」
「もちろん! ……正直、『覚悟』というのがなんなのか……今の俺ではよく分からないから、そこは『ある』と……断言はできない。でも、最大限の、努力はする」
蒼佑は言葉を選びながら、ゆっくりと話す。
自分がまた『失言』をしてしまわないか、怖がっているように見えた。
「そう。努力はするのね。……じゃあまず、ここ二年の『ライダーもの』と『戦隊もの』、それから『りゅううさ』を、一話から全話履修して」
思いも寄らない条件だったのだろう。蒼佑はしばらくきょとんとして……ハッと我に返る。
「あー……っと、『ライダー』と『戦隊』は分かる。日曜日の朝にやっている子ども向けの番組だよな。……でも『りゅううさ』って?」
「知らない?『もこもこりゅうととんがりうさぎ』。子どもたちに人気の絵本とアニメよ」
『もこもこりゅうととんがりうさぎ』――通称『りゅううさ』は、元々は子ども向けの絵本だ。
アニメは佑が生まれる前から放映されており、すでに話数は二百を超えている。
雲から生まれた竜と水晶から生まれたうさぎが出逢い、一緒に旅をする物語。
キャラクターの造形の可愛らしさと、ワクワクとドキドキが詰まったストーリーがまず子どもたちに受け、それから人気は大人にまで波及した。
今や国民的アニメと呼ばれるほど、安定した人気を誇っていて、子育て中の親たちからは『ちびっこのほぼ全員が、一度は通るアニメ』として認識されている。
佑も例外ではなく、よちよち歩きの頃からずっとこのアニメを観ているのだ。
「そんなアニメがあるのか……ごめん、アメリカに住んでいたから知らなかった」
「アメリカに住んでた以前に、あなたは独身の大人だもの。知らなくてもまぁ、おかしくはないわね。……そういえば、蒼佑さんは今は日本に住んでいるの?」
ふと思って尋ねてみると、蒼佑は一瞬目を丸くし……そして、ふふっと嬉しそうに笑った。
「? なんで笑うの?」
「いや、再会してから泉が俺について知りたがってくれたの、初めてだったから」
「え、ただ普通に疑問に思っただけなんだけど……」
「それでも嬉しいんだ。そもそも俺たちは、浅からぬ仲ではあっても、お互いをほとんど知らないだろう? だからまず、俺は泉のことをもっと知りたいし、泉にも俺のことを知ってもらいたい。佑についてはとりあえず、その三つの子ども向け番組をコンプリートする課題に取り組む、ということでいいな?」
「言っておくけど、ながら観とか流し観とかじゃダメよ。私だって、佑と一緒に観る時は家事をストップして、集中することにしてるんだから」
「分かった」
「ちゃんと観たのか、時々チェックするわよ?」
倍速だとかただ流すだけだとか、そんなおざなりな取り組み方をするような人は、佑のことも大切にしないと思うから。
釘を刺しておくと、蒼佑は晴れ晴れとした表情でうなずいた。
「望むところだ。じゃあ佑についてはそれで。……で、今からは泉と俺の時間だ」
「え?」
「岸本が言っていたろ? 『今日の君の仕事は、九条と十二分に話し合うこと』って。俺たちのことで話し合おう。……コーヒーでも淹れるよ」
蒼佑がキッチンに目を移す。
「あ、でも……」
泉にとってここはあくまでも仕事場だ。岸本が不在なのに、勝手に食料品やキッチンウェアを使うわけにはいかない。
戸惑っていると、蒼佑は心配ないという表情で言う。
「この部屋にあるものは何でも使っていいと、岸本から許可は貰ってる。でも君は気が引けるだろうから、俺がやる。座っててくれ」
蒼佑はダイニングチェアを引き、そこに座るよう促した。
なんとなく断りづらくて、泉はおずおずと腰を下ろす。
彼はすぐにキッチンに入り、棚からコーヒー豆とフィルターを取り出し、メーカーにセットする。
水道を『浄水』モードにして給水タンクに水を入れ、それもセットした後、スイッチをオンに。
少しして、コーヒーの香りが泉の元にも漂ってきた。
(いい匂い……)
キッチンからはコーヒーカップを準備する音がしている。
「泉はコーヒーはブラックだったよな? 今でもそうか?」
そんな質問が飛んできて、反射的に「うん」と返す。
どうして知っているのだろうと思ったけれど、サンディエゴのステーキハウスで食後のコーヒーを頼んだ時、確かにブラックで飲んだことを思い出した。
「よく覚えてたね」
小声でぼそりと尋ねれば、
「泉のことを忘れないために、まめにあの頃のことを思い出すようにしていたから」
と、優しい声が返ってきた。泉は目を細める。
「そんなこと言っても、ポイント増えないから」
「ははは、そっか」
笑いながら戻ってきた蒼佑の手には、コーヒーを載せたトレーがあった。
カップとソーサーのセットは、泉も時々触っている。岸本の担当編集者が来た時など、コーヒーとお茶菓子を出すからだ。
いつも客人に出すものを自分が使うなんてと、少し申し訳ない気持ちになった。
「いただきます……」
割ってしまわないよう、気をつけて口に運ぶ。
「美味しい……」と一言呟けば、蒼佑は満足げに自分もコーヒーをひとくち飲んだ。
「ものすごく今さらだけど、これ」
蒼佑はワイシャツの胸ポケットに入れていた紙を取り出し、テーブルの上を滑らせた。
泉の前で止まったそれは――
「名刺?」
両手で拾い上げ、文言に目を通す。
九条物産株式会社
海外流通事業部
流通支援部 北米流通サポート課
課長 九条蒼佑
(九条物産って……有名な商社よね。九条って、まさか……)
「社名から分かると思うけど、創業者は俺の祖先。五代前になるかな」
(やっぱり……)
九条家は、江戸時代に大旅籠を営んでいた家の分家筋だ。
明治時代に興した金属鉱山・造船業『九条商会』が今の『九条物産』の前身となる。
昭和時代から『大学生就職希望企業ランキング』で常に上位にランクインするほどの安定企業で、もちろん泉もその社名は知っていた。
「蒼佑さん、管理職なのね。……まさか部下に失言なんてしてないでしょうね?」
目を細めてチクリと刺すと、蒼佑は口元をひくつかせた。
「た、多分……少なくともセクハラは絶対にない。俺がストーカーに遭ってきたから、そういう面では細心の注意を払ってきたつもりだ」
「パワハラは?」
「部下に理不尽なことを強要したことはない……はず」
「ほんとかなぁ……」
ジト目で見据えれば、蒼佑は「うっ」と言葉に詰まる。
(今度、岸本さんと英美里ちゃんに聞いてみよう)
自分に覚えがなくとも、圧力をかけられていると相手が感じている可能性はゼロじゃない。
そういうところもちゃんと調べておかないと。
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