第17話 心の温暖化が進みそうな予感がします。

1/1

4456人が本棚に入れています
本棚に追加
/35ページ

第17話 心の温暖化が進みそうな予感がします。

「泉さん、こんにちは。……佑くんも、こんにちは」  英美里が佑の前にしゃがんで目線を合わせてくれる。 「こんにちは……えみりちゃん」 「わぁ、名前覚えててくれたんだ? 嬉しいな~」 「きょうもあそんでくれるの?」 「もちろん! 一緒に遊ぼうね」  瞳をキラキラと輝かせる佑を見て、連れてきてよかったと泉は内心ホッとした。 「ありがとうね、英美里ちゃん」  ある週末、英美里からカフェに誘われた。キッズスペースがある店を選んでくれたので、佑も連れて来られた。英美里の気遣いが嬉しいと思う。 「ううん、私が泉さんと佑くんに会いたかったから」  ちょうどお昼時なのでそれぞれランチを注文する。席に着いた時から佑はキッズスペースをチラチラと眺めてはそわそわしていた。遊んでもいいよと声をかければ、嬉しそうにスペースに入る。  すぐ近くのテーブルを確保できたので、目を留めておきやすくてよかった。 「――それにしても、英美里ちゃんが岸本さんの婚約者だったなんて、思わなかったなぁ」  当然と言えば当然だが、岸本から英美里や蒼佑の話題が出たことなど、一度もなかったから。彼が九条兄妹と繋がりがあるなんて、全然知らなかった。 「私もね、了悟くんが専任のハウスキーパーを雇った、というのは一年前から聞いてたの。でもお子さんがいる人だって聞いてたし、名字は聞いてたけど『菅原』なんてそう珍しくもないから、泉さんだなんて想像もしなかった」 「だよねぇ」  二人は顔を見合わせてクスクスと笑う。 「了悟くんね、私の初恋の相手なの。でも一度振られてて。その後、違う人とつきあったんだけどね……」  確か五年前は大物議員の息子とつきあっていると、泉は蒼佑から聞いた記憶がある。  英美里曰く、その相手からは浮気されたり、他の女から別れろと詰め寄られたりと、いろいろあって傷ついていたところを、岸本に慰められたという。  彼は英美里を励ますために、あちこちに連れ出してくれたそうだ。穏やかな性格の岸本と過ごす内に、英美里の心の傷は少しずつ癒やされていった。同時に、封印したはずの初恋が甦り、そして……最終的に、岸本からプロポーズされた。 『もう、最初からつきあってくれれば、遠回りせずに済んだのに!』  頬を膨らませながら抗議をした英美里に、岸本は、 『ごめんね。あの頃は本当に、妹としてしか思えなかったんだよ』  と、平謝りだったとか。 「でも今は幸せなんでしょう?」 「……うん。……あ、私、佑くんと遊んでくるね」  頬を染めた英美里は、照れ隠しなのか、サッと席を立ち、ブロックで遊ぶ佑の元へ行った。 (ふふ、可愛いな、英美里ちゃん)  佑と英美里が仲良く遊んでいる光景を眺めながら、泉は頬を緩めた。  英美里は再会してから今日まで、泉と話す時はずっと敬語だった。けれど、彼女とはよい友人になれそうだし、何より佑の叔母だ。変によそよそしいと佑にも伝染するかもしれないと思ったので、敬語でなくていいと泉が頼んだ。  江戸時代から続く家のお嬢様なはずなのに、庶民のように気さくで優しく、明るい英美里だ。佑が懐くのも当然だし、泉も彼女が好きだ。  それから十分ほど経った頃、注文した料理がテーブルに並んだので、泉は二人を呼んだ。 「わぁ、美味しそう~。あ、佑くんのお子様プレートも美味しそうだね?」 「うん。おなかすいたぁ」  佑が目の前に置かれた料理を見て、目を輝かせた。  ハンバーグの上では、星形に型抜かれたニンジンのグラッセがキラキラしているし、ブロッコリーはチーズ焼きになっている。丸く盛られたご飯は、ソーセージとミックスベジタブル入りのカレーチャーハン。それにポテトフライとミルクプリンがついていた。  泉はスパゲティ中心のAランチ、英美里はトーストサンド中心のBランチだ。  三人は手を合わせて食べ始めた。 「――ん、美味しい。パスタがアルデンテだ。……佑、美味しい?」 「んっ、おいしーよ」 「佑くん、お野菜もちゃんと食べて偉いね」  ブロッコリーをしっかり食べている佑は、英美里に褒められ、照れくさそうに頬を染めている。 「ふふ、佑は英美里ちゃん好きだから。褒められて嬉しいみたい」 「私も佑くん大好き。甥っ子ちゃん、超可愛い」  泉が英美里の耳元で告げると、英美里もまた小声で返してきた。  佑は食事を終えると、またキッズスペースに遊びに行った。泉と英美里は食後のコーヒーとデザートを楽しみながら、佑を見ている。 「――お兄ちゃん、課題(・・)頑張ってるみたいだね。SNS、私も見てるけど、必死なのが伝わってくる」 「うん……そうね、よくやってくれてると思う。……でも、あんなにたくさんブルーレイ買っちゃって、大丈夫なのかな?」 「あははは、お兄ちゃんって見た目は華やか男子だけど、普段あまり無駄遣いしない人だから、お金はあるし、大丈夫だと思う」 「そ、そうなの……?」  SNSでのあの豪快な金の使い方を見ていると、普段は無駄遣いをしないタイプだと言われても、にわかには信じがたいものがある。  妹である英美里が言うのだから、嘘ではないのだろうけれど。 「でもね、すごく意外だったのが、お兄ちゃんがSNSのアカウントを作ったこと。ほら、五年前に話したけど、お兄ちゃん、ストーカーに遭ってたじゃない? だから身バレしたくないからって、SNSの類いは一切やったことなかったの」  そんな蒼佑が、泉から課せられた課題の記録のためだけに、SNSのアカウントを開設したというので、英美里は驚いたそうだ。 「そうなの……」 「お兄ちゃん、なりふり構っていられない、って感じ」  二度もストーカーに遭ったのだ。個人情報の欠片でさえ、ネット上に載せるのは嫌だろう。それなのに、自分と佑のためにSNSすら利用してくれた蒼佑に、泉は少しだけ感動した。 「こんなこと言ったら、お兄ちゃんの株上げるのに必死、って言われちゃうかもしれないけど。お兄ちゃんが泉さんを忘れられなかった、っていうのは、本当なの。あれ以来、誰ともつきあってなかったし、お見合いの話も何度も来たけど、全部断ってた。それに、興信所に泉さんの行方を探させてたの。……結局、見つけられなかったけど」  五年前、泉は蒼佑に「歯科医院に勤めていた」という話はしたものの、どこに住んでいるのか、都道府県すら伝えていなかった。だから興信所が泉を探し出すのは、ほぼ不可能だったろう。 (それでも、探そうとしてくれたの……?)  あの時、泉と蒼佑が一緒に過ごしたのはたった一日。時間にして、睡眠時間を合わせても二十時間以下だ。  それなのに、こんな自分のどこに、こだわり続ける要素があったというのだろうか。  泉だって蒼佑のことを引きずっていた。でもそれは、佑という存在があったからだ。蒼佑にそっくりな佑と暮らしている限り、彼を完全に忘れることなどできるはずもない。  けれど蒼佑はそうではない。泉を思い出させるものなど、何一つ持っていないのだ。彼ほどの男性が、たった一晩過ごした平凡な女を、こうして五年間も引きずるものなのだろうか。  考えたところで、泉には分からなかった。
/35ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4456人が本棚に入れています
本棚に追加