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第18話 かっこ悪くなるほどイメージはよくなるのか。
***
英美里と会ってから二週間が経った。
蒼佑の課題は順調に進んでいる――かのように見えたが、ある日を境に、SNSの更新が止まってしまった。
これまでほぼ毎日更新されていたのに、何故かここ三日、何も投稿されていない。
「仕事が忙しいのかしら」
蒼佑だって社会人だ。そう毎日毎日更新していられないだろう。泉は気にしないようにしていた。
そんな時――
『相談したいことがある』
彼から連絡が来た。
泉の仕事終わりだと、佑のお迎えが遅くなってしまう。だから仕事前に岸本の部屋で十分ほど時間が欲しいと言われた。
岸本から「九条が泉さんと話をしたいって言ってるよ」と連絡まで来てしまえば、断れない。
翌朝、仕事を始める十分前に、岸本の部屋で会うことになった。
「おはようございます」
いつものようにマンションのリビングのドアを開くと、岸本が蒼佑と二人でモーニングコーヒーを飲んでいた。
「おはよう、泉」
「おはよう、泉さん」
二人揃って挨拶を返され、ぺこりと頭を下げる。
「今日もよろしくお願いします、岸本さん」
「うん。……じゃあ、俺は仕事を始めるから、後は二人でどうぞ」
岸本はにっこりと笑い、仕事部屋に籠もった。
リビングに残された泉と蒼佑の間には、ほんのわずかなぎこちなさが。
「久しぶりだな、泉」
「うん……」
蒼佑とこうして会うのは一ヶ月振りだ。五月中旬、この部屋で話したのが最後。今は六月、梅雨真っ只中だ。
「佑は元気? 先月末、英美里と会った時には元気だったって聞いたけど」
「すごく元気よ。今日も張り切って保育園に行ったし。……それで、相談って、何?」
あまり話を長引かせても仕事に差し障ると思い、本題に入るよう促す。
「あぁ。……実は『りゅううさ』についてなんだけど。どうしても手に入らないブルーレイがあるんだ。三十七巻かな。どの店にもないし、オンラインでも軒並み入荷未定になってる」
蒼佑が口にした数字に、泉はピンと来た。
「あ……うん、三十七巻ね、多分手に入らないと思う。買えたとしても、数万円の値がついてるはず」
三十七巻――それは数多くリリースされている『りゅううさ』ブルーレイの中でも『幻の一枚』と呼ばれているものだ。
正確に言えば、三十七巻に収録されている第一八三話に価値がある。
このエピソードは春の一時間スペシャルとして放映されたのだが、人気絶頂の男性アイドルがゲスト声優を務めた。数ヶ月後に三十七巻がリリースされたところ、彼のファンがこぞって買い求めたため、初版はあっという間に売り切れた。その後も、二刷三刷と、何度プレスしても即完売になってしまうのだ。
フリマアプリやオークションサイトでは、数万円、時には十万円オーバーの値がつくも、やはり即売れてしまうという。
その現象を踏まえての『幻』なのだ。
「そうか……入手は不可か……」
「多分ね」
話を聞いた蒼佑は、むむむ……と唸る。
(そっか、SNSの更新が止まってるのはこのせいなのね)
蒼佑は今ちょうど『りゅううさ』を観ている。最後のSNSの投稿は確か三十六巻のエピソードだ。
三十七巻を飛ばしてもいいのに、律儀に順番を守ろうとしていたようだ。真面目なのか、不器用なのか……。
少しだけぎくしゃくした空気が流れた後、それを断ち切るように、蒼佑が声を上げた。
「――ありがとう、泉。……じゃあ、俺は帰るな。仕事前に呼び出して、ごめん」
ぎこちない笑みを残し、蒼佑はきびすを返す。
「……うちにあるよ、三十七巻」
「本当か!?」
泉がぼそりと口にすると、蒼佑が勢いよく振り返った。
「アメリカ版のやつだけど、ブルーレイなら日本とアメリカはリージョンコード同じだから、再生できるでしょ? ……って、蒼佑さんなら知ってるわよね」
三十七巻は、レンタルショップでも軒並み貸し出し中で、借りられたことがない。それを姉の梢に話したところ、アメリカの大手家電量販店に、巻数は違うが、同じ内容のブルーレイが売っていたと、買って送ってくれたのだ。
『りゅううさ』はアメリカでも割と人気があり、ケーブルテレビで放映されている。人気エピソードはブルーレイ化もされていた。
さすがにアメリカ版はすぐに売り切れることもなく、佑は一八三話も無事に観られたのだ。梢様々だ。
「いいのか?」
「もちろん。明日にでも岸本さんに渡しておくね」
「ありがとう。助かる」
ホッとした笑顔の蒼佑を見て、泉は一瞬だけほっこりとしたものの、次の瞬間には釈然としない表情に戻る。
「……ひょっとして、今の話をするためだけに、ここに来たの?」
「あー……」
泉が疑問を口にした途端、蒼佑が気まずげに口元を手で覆った。
そもそも三十七巻の件だって、ネットで「りゅううさ 三十七巻 入手困難」などと検索すれば、一発で理由が出てくるはずだ。それなのに、あえて泉に相談……しかも、直接会ってだなんて、何か思惑があるのではないかと、邪推してしまう。
蒼佑は目を泳がせながらしばらく黙り込んで、そして。
「……ごめん、泉に、会いたかったから、つい」
ぼそりと打ち明ける蒼佑は、まるで悪戯が見つかってしまった幼子のようだ。
一ヶ月も泉に会っていなかったので、どうしても顔を見て話したかったのだと、彼は恥ずかしそうに白状した。
泉は何度も目を瞬かせて、肩をすくめる。
「……蒼佑さんって、案外、子どもっぽいところあるわよね」
サンディエゴであった時は、泉をストーカー呼ばわりした件はともかくとして、終始大人の男性然としていたのに。
再会してからというもの、どこか締まらない面をたびたび目にしている気がする。
泉の中で、彼のイメージはガラリと変わってしまっていた。
それは決して、悪い方向ではないのだけれど。
「……泉相手だと、こうなってしまうのかも」
「え?」
「今まで散々、かっこ悪いところを見られているからかな。あれこれ繕ってなんかいられないし……泉と佑に認めてもらいたくて、必死なんだ」
蒼佑が吐き出しているのは本音なのだろう。それは泉にも分かる。彼は彼なりに、今までの失点を取り戻そうと頑張ってくれているのだ。
その点は、ちゃんと認めないといけない。
「あのね、SNS……毎日楽しみにしてる」
「本当に?」
泉がおずおずと告げれば、蒼佑は目を見開いた。驚きと喜びが混じり合った瞳がキラリと光る。
「うん。……でも、あまり無理しないで。……って、課題押しつけた私が言うことじゃないかもだけど。あと、英美里ちゃんに聞いたけど、蒼佑さん、本当はSNSとかあまり好きじゃないんでしょう? それなら、鍵アカにした方がいいんじゃない? 私もアカウント作ってフォローするから」
蒼佑のアカウントは未だにオープンのままだ。いつ鍵をかけて限定公開にするのだろうかと待っていたのだが、そのつもりはないのか、方法を知らないのか、一向にクローズになる気配がなかった。
「あぁ……そうか。鍵をかければいいんだな。思いつかなかった。じゃあ、今夜にでも鍵アカにするから、泉がアカウント作ったら俺に教えてくれるか?」
先ほどのぎこちなさはどこへやら。蒼佑は満面の笑みで何度もうなずき、足取り軽く岸本家を後にした。
(ほんと、感情がコロコロ変わるところも子どもみたい)
そしてその表情は、本当に佑によく似ているなと、泉はクスクスと笑いながら、仕事の準備をしたのだった。
その日の夜、蒼佑のアカウントは無事に鍵つきに移行した。
『りゅううさ』三十七巻をゲットしたことで、彼の子ども番組鑑賞チャレンジは再開し、以前のペースを取り戻す。泉も投稿をチェックするのが日課になっていた。
『多分一般的には、竜がきつい性格でうさぎが優しいイメージだと思うが、あえてそれを逆にしている、というのが興味深い。もこもこの竜と尖ったうさぎ、という造形が、性格を表してるのか。面白い』
『悪役らしい悪役は存在しないが、小さなピンチを積み重ねていき、子どもたちを飽きさせないようにしているのがいい。キャラクターのデザインはどれもこれも秀逸で、キャラクター商品が売れている、というのもうなずける』
エピソードの感想の合間に、キャラデザや戦略の分析が出てくるのも、面白くて微笑ましい。
週末にはほぼ自宅マンションに籠もって観ているらしく、その徹底ぶりに、泉は感心してしまったのだった。
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