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第19話 街の中でばったり。
「一人で出歩くの、ほんと久しぶりだなぁ」
大通りの人の波に身を任せながら、泉は一人、街ブラを楽しんでいた。季節はまだまだ梅雨だが、中休みなのか、ここ二日ほどは晴れ間が見えている。
「……佑、大丈夫かな」
外は真夏の到来を感じさせる蒸し暑さだ。こまめに水分補給しないと、かなりしんどい季節になってきた。泉は首筋に汗を拭きながら、佑のことを思い出す。
『泉さん、たまには一人で息抜きしてきたら? 佑くんなら預かるから』
先日、英美里がそう提案してくれた。
あれからもう一度英美里と会う機会があり、佑はすっかり彼女に懐いている。預けてもまったく問題ないことは分かっていたので、厚意に甘えることにした。
今頃佑は、英美里と岸本と三人で、水族館に行っているはずだ。
『えみりちゃんとりょうくんと、すいぞくかん行くの? 行きたい!』
話を聞いた佑は、ジャンプしながら目を輝かせていた。昨夜なんて、なかなか眠れなかったくらいだ。きっと今もはしゃいでいるに違いない。
水族館は主に屋内だが、念のため、熱中症対策はしっかりしたつもり。英美里も「まめに水分摂って、もし外に行っても、なるべく日陰で休ませるようにするね」と、ガッツポーズをしていた。
泉が一人で行動するのは、何年ぶりだろうか。あまりに久しぶりすぎて、何をしたらいいのか分からず、とりあえずは買い物にでも出かけてみようと、東京へ出てきた。
「でもなぁ……これといって欲しいものとかないのよね……」
佑を産んでからというもの、物欲がほとんどなくなってしまった。もちろん、息子のものに関しては別だ。
街へ出ても、目につくのは子ども向けのものばかり。
「あ……りゅうの着ぐるみだ。佑に似合いそう」
『りゅううさ』のりゅうになりきれるモコモコの着ぐるみが、雑貨店の店頭にディスプレイされていて、つい、佑がそれを身につけている姿を想像してしまった。きっと可愛いだろうと、完全に親バカ思考になっている泉だ。
それでもいろいろ店舗を回っていると、ようやく自分のものを見たい欲が出てきて……佑と一緒では決して入らないブランド店で服を見て回ったり、本屋に立ち寄って読みたい小説を選んだりと、のんびり時間を使うことができた。
そうしてお昼の時間になり、どこで食べようかとレストラン街を歩いていると、後ろから名前を呼ばれた。
「泉!」
「蒼佑さん」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこには蒼佑ともう一人、男性がいた。蒼佑と同い年くらいの、キリッとしたイケメンだ。
「こんなところで会えるなんて、驚いた。一人か? ……そういえば、佑は英美里と岸本が水族館に連れて行ってるんだったな」
「うん。英美里ちゃんが今日一日、佑と遊んでくれるっていうから、お言葉に甘えちゃったの」
「そうか……息抜きできてるか?」
思いがけず会えて嬉しい、というのが、蒼佑の全身から伝わってくる。
(――蒼佑さんって、こんなに分かりやすい人だった?)
あまりにあけすけな態度に、泉は面映ゆくなる。
「ん……久しぶりに一人を満喫していたところ」
そう伝えた後、ふっと視線を隣の男性に移すと、蒼佑はハッと気づいたように彼の肩に手を置いた。
「あぁ、泉は会うの初めてだよな。こいつは、俺の友達で、秋山」
「初めまして。秋山知泰です」
「菅原泉、です」
「あなたのことは、九条から話を聞いてます。サンディエゴで知り合ったとか」
「あー……はい、一応」
彼が泉たちの事情をどこまで知っているか分からないので、つい、返事が曖昧になってしまう。
「今日は、岸本と英美里ちゃんの結婚祝いを選びに来たんです。俺たちこれからこの辺で昼ご飯にするんですが、もしよければ泉さんも一緒にどうですか? なぁ? 九条。おまえからも誘えよ」
「そうだな。泉、もしお昼がまだなら、どう?」
秋山はかなり人懐っこい性格なようだ。にっこりと笑って泉を誘ってくれた。さらには、蒼佑に軽く肩を当てて焚きつける。
「でも……いいの? お邪魔じゃない?」
「邪魔なわけないでしょう? 九条は何かにつけて、俺や岸本にあなたと佑くんの話ばかりしてくるんですから」
「おい、秋山」
蒼佑が照れくさそうに、秋山を小突く。親友同士がじゃれあっている姿は、どこか微笑ましく、泉も笑ってしまった。
「もし、お二人がよければ、ご一緒させてください」
三人で近くの和食レストランに入ると、運よく個室が空いていた。
それぞれランチセットを注文した後、秋山が機嫌よく話を切り出した。
「俺はね、中学一年生の時に九条に助けられてね。その時以来の仲というわけなんです」
中学一年生の夏休み、秋山は外を歩いていて熱中症で倒れたことがある。人通りの少ない住宅街での出来事だったのだが、不幸中の幸いと言うべきか、そこは蒼佑の親戚宅の前だった。さらに蒼佑はその時たまたまその家に滞在しており、庭の水やりをしながら遊んでいたのだ。
秋山が倒れるのを目撃した蒼佑は救急車を呼び、病院までつき添った。学校や秋山の自宅にも連絡をして、両親が駆けつけるまでは一緒にいてくれたという。
二人は、お互い顔は知っているが話をしたことはない、という程度の間柄だったものの、これをきっかけに仲良くなったそうだ。
二年生に進級した時、二人は同じクラスになった。そこには岸本もいて、気が合った三人で行動をともにするようになったのだった。
「そういう経緯があったんですか」
「そんなに昔の話、しなくていいから」
「いいじゃないか。九条がどれだけいいやつか、株を上げてやろうってんだから」
蒼佑は恥ずかしそうに眉根を寄せたが、秋山はにこにこと笑っていた。
それから数分の後にはランチがサーブされたので、食事をしながら話を弾ませた。
秋山は泉の知らない蒼佑の話をしてくれ、その都度、蒼佑からたしなめられる。そしてその様子を見て、泉は小さく笑った。
楽しく食事を終え、デザートの抹茶プリンを楽しんでいると、蒼佑のスマートフォンが鳴った。
「――っとごめん、会社の上司から電話だ。ちょっと外行って来るな」
スマートフォンを持ったまま、蒼佑は個室から出て行く。
呼び出し音が徐々に遠のき、聞こえなくなった刹那、個室の空気が一変した。
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