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第25話 不本意きわまりない解釈
***
お盆休みの間に、蒼佑と佑はきわめて良好な親子関係を築いていき、また、泉にとっても、彼と過ごす日々が自然になっていった。
しかし三人の時間が増えるにつれ、泉の中ではある不安も生まれていた。
泉と蒼佑の関係だ。二人は今、『佑』という子どもを介して繋がっている。『子どもの父母』でしかないのだ。
だから当然、一緒に暮らしてはいないし、会う時は待ち合わせをしたり、迎えに来てもらったりしている。
最近、佑がそれに関して疑問を口にするようになったのだ。
「ねぇママ、どうしてパパはおなじおうちに住まないの?」
当然の質問だ。
佑と同じ保育園に通っている子どもたちの中には、もちろん、泉のようなシングルマザーもいる。しかし両親が揃っている子の方が多いし、父親が送迎をする家庭だってある。
友達から「よる、おとうさんといっしょにゲームしたんだ!」とか「まいにち、パパといっしょにおふろ入ってるんだ」などと聞かされれば、佑だって不思議に思うだろう。
何故自分の家には、父親が毎日いないのだろう――と。
それを問われ、泉は答えに困った。
佑の気持ちはよく分かる。しかし、自分と蒼佑の関係はとても微妙だ。佑の父親になりたいと努力してくれているし、認知もしたいと言ってくれている。
それはあくまでも、佑との関係を築きたいためだ。
以前「泉とやり直したい」と言われたりもしたが、そもそも泉と蒼佑は恋人関係になったことすらない。その名前がつく前に、泉自身が関係を断ち切ってしまったからだが。
蒼佑は今後、どうしたいのだろうか――仮に一緒に住むようになれば、子育ての難しい部分にも直面することになるはずで。その場面が訪れた時に、彼は真正面から受け止められるのだろうか。嫌になって逃げ出したりはしないだろうか。
もしそうなってしまったら……傷つくのは他の誰でもない、佑なのだ。それだけは絶対に避けたかった。
自分はまだ、蒼佑を完全には信用していない――心の奥底に潜んでいたその感情に気づいた時、泉は自己嫌悪に陥った。
だから蒼佑に、二人の関係を進展させるようなことは言えずにいた。
そんなもやもやに蓋をしながら過ごして半月、八月の終わりのことだった。
週末、泉は佑を連れて買い物に出た。蒼佑はアメリカ出張で一週間不在のするので、今日明日は約束をしていない。
蒼佑は「佑と泉に二週間も会えないなんて……」と、肩を落としていたが、仕事なのだから仕方がない。
九月下旬に、梢の息子のキースの誕生日があるので、誕生日プレゼントを買いに来たのだ。
キースは五年前、泉がサンディエゴを訪れた時に姉が身ごもっていた子だ。フルネームは『キース・ノブナガ・スガワラ・ピーターソン』という。
ノブナガ・スガワラというミドルネームは、父のスティーブが決めたらしい。スティーブが織田信長が好きだからだ。
スガワラ、という姓を入れたのにも理由がある。菅原家は娘二人で、姉の梢はすでに『コズエ・スガワラ・ピーターソン』になっている。そしていずれ、泉も結婚して相手の姓になった時『菅原』という姓を受け継ぐ者がいなくなり、家名が途絶えてしまう。
ならせめて、子どものミドルネームに入れて存続させようという、スティーブの配慮だった。
それを聞いた時、泉はスティーブの優しさに感動したものだ。
「キースのプレゼント、なににしようかなぁ」
佑とキースは何度か会ったことがある。
梢の教育方針で、家の中では日本語で会話をしているためか、佑とのコミュニケーションも日本語だ。
梢からは『りゅううさグッズ』をリクエストされている。キースも佑同様『りゅううさ』が大好きだからだ。日本でしか手に入らないグッズを欲しがっているという。
そんなわけで、泉と佑は今、東京の『りゅううさ』公式ショップに来ているのだ。
キースからリクエストされているグッズと、それから佑がキースのために選んだものを一緒に贈ろうと思っている。
頼まれたのは、りゅうの食器セットだ。プラスチックのプレートとボウルとマグとカトラリー、ランチョンマットがセットになっているもの。
そして佑が選んだのは、りゅうとうさぎのリュックサックだ。実は佑も同じものを持っている。
その二つとりゅううさ缶入りクッキーを選んだところで、ちょうど予算とほぼ同じ金額になった。
プレゼント用にラッピングしてもらうと、なかなかな大きさになった。
「ぼくとキースで、リュックおそろいにするんだ~」
「きっとキースも喜ぶよ、佑」
自分のチョイスに大いに満足しながら、佑は足取り軽くショップを後にした。
それからカフェでコーヒーを飲んだ。もちろん佑はコーヒーは飲まないので、アイスクリームだ。
「パパといっしょに、このアイスたべたいなぁ」
ストロベリー味のアイスがよほど気に入ったのか、佑がスプーンを舐めながら言う。
「今度は、パパも一緒に来ようね」
「うん!」
二人はカフェを出て、駅に向かった。しばらく歩き、駅に入ろうとした時、目の前に影ができた。
「あれ……泉か?」
見上げると、そこには二度と見たくない顔があった。
「ゆう、き……」
五年半以上前、泉を絶望のどん底に突き落とした男――小川悠希は、少し年を取ったように見える。
「……お、久しぶり」
泉はおざなりに頭を下げ、彼をすり抜けようとする。しかし「待てよ」と、腕を掴まれた。
「泉、結婚したのか?」
悠希が佑にチラリと視線を送った。
「そ、んなこと……あなたに伝える義務はある?」
泉は佑を引き寄せた。ぎこちない態度になってしまうのは、あの頃の傷が未だに癒えていないせいだろうか。
悠希は一瞬、目を細めて、それからしゃがんだ。子どもの目線に合わせた悠希が、佑の頭を撫でてにっこりと笑う。
「なぁ、名前、なんていうんだ? 何歳?」
「……すがわら、ゆう……四さい……」
「今年の誕生日プレゼントは、もう貰ったか?」
「まだ……」
ぐいぐい来られたためか、佑は若干怯えている。それでもきちんと名乗っているのは、泉の教育の賜だが。
それが今、悪い方へと奏功してしまった。
「へぇ……菅原ってことは、結婚してないんだな」
『相手が菅原姓になった』という場合を一ミリも想像していないのか、悠希は断言する。
「結婚している」と言ってしまえばいいのかもしれない。だが佑の手前、嘘をつくのがはばかられた。
「ゆう……小川さんには関係ないでしょう?」
泉は否定も肯定もできずに、そう答えるしかない。
「関係? あるんじゃないのか? ……この子、俺の子だろ?」
突拍子もない発言に、泉は目を剥いた。
「はぁ? そんなわけないでしょ!?」
強く否定するも、悠希は平然としている。この謎の自信はどこから出て来るのだろう。
「泉が結婚してないこと。俺に再会してぎくしゃくしていること。この子が、今年の誕生日プレゼントをまだ貰ってないということは、今度の誕生日で五歳になる。そして、名前が『ゆう』。……泉は未婚の母としてこの子を産んで、『悠希』から名前を取って『ゆう』と名づけた、じゃないのか?」
(なんなの? その無駄な推理力は……)
悠希の言い分は、もっとものように聞こえる。しかし何せ相手が違う。『悠希』を『蒼佑』に替えれば、そのとおりなのだが、この男はどうも自分の都合のいいように解釈している。
「あのねぇ……こんなこと言いたくないけど、あなたと別れる一ヶ月前にはもう、そういう関係ではなくなってたでしょう? この子は十二月生まれだし、計算が合わないって気づいて。それに、名前はこの子の本当に父親から取ったの」
「その父親が俺じゃない、って証拠はあるのか?」
「はぁ?」
まさか『蒼佑』から漢字を貰った『佑』という名前が、音で『悠希』の息子だと勘違いされるとは思いもしなかった。
運が悪いにもほどがあると、泉はため息をついた。
その時、泉ははたと気づく。
「――小川さん、私がブライダルチェックで不妊の診断されたこと、知っているよね? それなのにどうして、普通に私がこの子を産んだって思ってるの?」
なるべく佑に聞こえないよう、小さい声で尋ねた。
泉が不妊だと分かったから、他の女性に乗り換えたくせにと、面と向かって言ってやりたくなったものの、それも佑の手前ぐっと堪えた。
しかし悠希は、自信ありげに佑が自分の子ではないかと言い出している。泉が不妊だと告知された瞬間に、立ち会ってまでいるのに、だ。
悠希の立場なら「おまえ、不妊じゃなかったのか?」という言葉が先に出てもおかしくない。むしろ出て来なければ変だ。
泉の問いに、悠希は何度も瞬きをして。そして、思い出したようにパチン、と手を叩いた後――衝撃的なひとことを放ったのだ。
「――あぁ、あれ、嘘だから」
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