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「ねえ、もうそろそろ、ぜんぶ張りかえたほうがいいんじゃない?」
上を見ながら、彼が呟くように言った。わたしも空を見上げてみる。もうあちこちぼろぼろで、ところどころが剥がれかけていた。しかも、テープと接着剤のせいで、べたべたしている。
「そう、だね……」
「嫌なの? 僕はそろそろ、きれいな空を見たいんだけどな」
彼の期待に応えたいのはやまやまだったし、張りかえるための空は、わたししか持っていない。それでも、わたしは空をぜんぶ剥がすのが、怖かった。
わたしは足許に置いていたリュックから接着剤を取りだした。街で手に入るものでは、一番強力なやつだ。
剥がれかけた空の隅に接着剤を少しつけて、それが乾かないうちに手早く貼りつける。
「そんなことしたって、また一緒だよ」
接着剤はもうなくなりそうだった。そうしたら今度はテープだ。多少は見栄えが悪いけれど、明るさを保つためにはしかたない。
なにせ、接着剤は値が張るのだ。
わたしはリュックの中をあさる。テープも、もうなくなってしまいそうだ。
リュックの一番底に押しこんである新しい空に、そっと触れてみる。
じゃき、と音がした。
慌ててリュックから顔を上げると、彼がいったいどこから取りだしたのか、大きなハサミで空を切っていた。
じゃき。
「なにしてるの……!」
わたしが声をあげると、彼はどこか楽しげにこちらに顔を向け、手を止めた。
「こうすれば、嫌でも張りかえるしかなくなるでしょ?」
そう言って彼はまたハサミを空に入れる。彼の足許に、わたしの足許に、空の切れ端が落ちていく。
じゃき。
空の切れ目の向こうに、何かが……。何かが、見えた、気がした。
じゃき。
ハサミと空ではあまりにも大きさが違いすぎて、空はなかなか、空ではなくならなかった。
テープの跡はべたつくし、接着剤がはみだしたところは半透明に固まっている。
「わかった……」
わたしは観念して、そう言って彼の腕に手をかけた。彼がハサミを動かしていた手をとめて、腕をおろす。
「張りかえてくれるの?」
「うん、張りかえる……。ぜんぶ、張りかえるから」
彼がハサミを手放すと、その切っ先が見事に地面へと突きささった。
わたしは手を伸ばして、空を剥がしはじめた。
ずっと、空を剥がすことを、拒んでいた。
空の向こうにはきっと、なにか見たくないものがあるに決まっているのだから。そうでなければ、はじめから空を張っておく必要など、なかったはずだ。
力一杯ひっぱっても、空はなかなか剥がれなかった。みしり、と音を立てて、ほんの少しずつだけ剥がれていく。
空のすべてを剥がしおえた頃、わたしの呼吸はもう、すぐにでも止まりたがっていた。
空の向こうには、あった。
わたしが新しく張ろうとしていた空と、まったくおなじ色の、まったくおなじ形の、けれどずっとずっと大きな、空が。
空が、あった。
空の向こうには、空があった。
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