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 最寄り駅へと向かう途中で、取引先の担当者から電話が入った。僕の自宅から数駅と離れていない、郊外に社屋を構える顧客だ。その担当者との約束時間に合わせて、僕は駅へと急いでいるところだった。  急用ができたらしく、午前中だった訪問予定を午後に変更して欲しいという連絡だった。担当者は、本当に申し訳なさそうに謝り、たいした仕事も抱えていない僕は、快くその変更を受け入れた。  この取引先には定期的に訪れているが、出来る限り訪問を午前中にするよう調整していた。都心に位置する自社オフィスへは向かわず、自宅から直接訪問することが許されるからだ。訪問日の朝は、いつもより遅くまで寝ていることができる。  訪問までの時間が空いてしまったとはいえ、出社するには微妙な時間だった。仮に出社しても、すぐにオフィスを後にして再び取引先に向かうこととなる。なにも電車の往復に時間を費やすこともないだろう。そう考えた僕は、手近なファミレスにでも入り、約束の時間まで仕事をすることに決めた。  上司には、予定が変更となった経緯をメールすれば良い。先方からの急な予定変更であるし、顔を出す為だけにオフィスに出社しろと言うほど話のわからない相手ではない。  駅へと向かう途中、以前から気になっていた店が目に入った。寂れた商店街の一角にある店だ。いつもと同じようにシャッターは下りたままだった。だからといって、既に廃業済みなのかは分からない。僕が店の前を通り掛かるのは、早朝や深夜ばかりだ。日中だけ店が営業されている可能性は残っている。  今にも崩れそうな店構えをしているが、店先に掲げられた看板の掠れた手書き文字だけは辛うじて読み取ることができた。 「レンタルトラブル」  何度読み直してみても、そうとしか読めない。だが、どんなに考えてみても、他人からトラブルを借りることのメリットが思い浮かばなかった。  その店の斜め向かい、通りを挟んだ反対側には、お誂え向きの喫茶店があった。こちらは既に開店しており、ガラス越しに見える店内には、それなりに客が入っている。  午前中の作業場所をその喫茶店に決め、通りの向こう側を見渡せる入り口付近の席を選んだ。もしもあの店が営業を続けているなら、そのうちシャッターが開くに違いない。  美味くも不味くもないコーヒーを口に運びながら、PC画面に向かう。メールにざっと目を通し、そのうちのいくつかに返信し終えた頃、目当ての店のシャッターが上がっていることに気付いた。その入り口には営業中の札もぶら下げられている。店は今も存続しているようだ。  この喫茶店からでは、店内の様子まで伺うことはできなかった。時計に目をやると、まだ随分と時間には余裕がある。コーヒーの代金を支払うと、喫茶店を後にした。
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