穴があったら埋めちゃおう

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 チーン。  仏壇の鐘の音が、おじいちゃん家の畳の部屋に響き渡る。部屋に染み渡るようなその音を、僕はできる限りの神妙な面持ちで聞いた。仏壇の写真に写っているのは、一匹の犬……をモデルにした犬型ロボット。WANPO、という大手家電メーカーが何年か前に発売したペット型の機械だ。  おじいちゃんはおばあちゃんが亡くなって以来、そのWANPOを飼うことで、おばあちゃんを失った空白を埋めあわせていた。名前はポワン。でものそのポワンも、おじいちゃんよりも早く、その生命活動を停止してしまった。ようするに、故障してしまったのだ。 「早いもので、ポワンが亡くなって、もう三年も経つんだねぇ」  おじいちゃんは懐かしむように悲しみに暮れる。でも、ポワンが故障してまだ一年しか経っていない。けど僕はそのことを口には出さない。僕の感じる時の流れと、おじいちゃんの感じる時間の経ち方は、きっと違うのだと思う。それは小学生の僕と80ま近のおじいちゃんとの歳の違いのせいかもしれないし、もしかしたらポワンに対する思い入れいの違いのせいなのかもしれない。詳しいことはよくわからないけど、そのことを掘り下げて聞くことが、いいことだとは思えなかった。僕は慎み深い人間なのだ。 「ポワンの好きなドックフードだよ。たんとお食べ」  お供えのお椀たっぷりに盛られたドックフード。ポワンは機械なのでドックフードを食べたりはもちろんしなかった。けどある匂いに反応するセンサーがつけられていて、その匂いのドックフードをおじいちゃんが出すと、しっぽを振りながら駆け寄る設定になっていた。初めて見た時は、その高性能っぷりに僕は眼を皿にして驚いた。ついに機械文明もここまできたのか、と。 「ポワンはこのドックフードに目がなかったからねぇ」  おじいちゃんは懐かしそうに目を細める。けど僕は知っている。そのドックフードがポワンの好物とは違っていることを。いま仏壇にお供えされているあのドックフードには、ポワンは目もくれなかったはずだ。 「本当に、懐かしいねえ」  僕は仏壇に手を合わせるおじいちゃんの背中がやけに小さく感じられて、心細い気持ちになった。最近、おじいちゃんは昔のことばかり口にする。それだけならまだしも、話の内容にちょこちょこと記憶違いというか、僕の記憶とは食い違っていることがあるのだ。始めは僕の勘違いかな、と思って聞き流していたけど、最近では明らかに間違っていることが多くなってきて、聞き流すのが難しくなるほどだ。もちろん、それを指摘したりはしないけど。  おじいちゃんの物忘れや勘違いが出始めたのは、ポワンが亡くなった一年前くらいからだろうか。それより前におばあちゃんが亡くなった時は、元気が亡くなって外に出ることが少なくなった。だからそれを心配したおじちゃんの娘にあたる僕の母親が、これで少しは元気だして、とWANPOをプレゼントしたのだ。本当は本物の犬をプレゼントしたかったらしいけど(こんな言い方だとまるでポワンが偽物の犬みたいになっちゃうけど、もちろん僕はそんな風には思っていない)、そうすると今度はペットロス、という問題が出てくるのだと、僕の母は言っていた。ペットロスというのは、心の支えだったペットが飼い主よりも先に亡くなってしまい、その喪失感から飼い主が立ち直れないほどのショックを受けてしまうという、社会問題になるほど大きな問題らしい。僕の母親はそれを心配して、充電さえし忘れなければ動き続けることのできるWANPOというペット型ロボットを、おじいちゃんにプレゼントしたのだ。けど、機械だって決して永遠の命を持っているわけではないということを、僕は去年の冬に学んだ。形あるものはみな、いつかは壊れるのだ。それは多分、人間も機械も変わらないのだと思う。もちろん、僕の母親だってそんなことは知っていたと思う。でも、予想よりもはるかに早く、ポワンが故障してしまったのは誤算だったようだ。少なくとも、おじいちゃんよりも長生きすると思って、ポワンをプレゼントしたのだろうから。  ポワンが故障してしまった理由について、おじいちゃんは詳しくは語っていない。ただ、家電メーカーに修理を頼んだ時、なにかの拍子に強い衝撃が受けたためでしょう、と担当の人が言っていたので、落としたかなにかしたのだということになっている。おじいちゃんもそれを否定はしなかった。自分のミスでポワンが故障してしまったことをすごく後悔しているけど、それを認めることもできないんじゃないか、と僕の母親は言っていた。僕には本当のところはよくわからない。  結局、ポワンの故障は、家電メーカーの人も治すことはできなかった。見た目にはほとんどわからないくらいの傷がついていた程度だったけど、その身体の内側では激しいダメージを受けていたのだそうだ。死んでるなんて嘘みたいに、安らかな顔をしていた。僕の姉はポワンに表情なんてなかったじゃない、と言っていたが、僕にはわかったのだ。きっと多分、おじいちゃんにも。 そして誤算は続く。ポワンがおじいちゃんよりも長生きしてくれなかったことだけじゃなく、その後おじいちゃんは予想以上に落ち込んでしまったのだ。僕の母親はペット型ロボットであれば仮に亡くなったとしても、実際の生きたペットが亡くなったときほど落ち込むことはないだろう、と考えていた。でもそれは大いなる間違いだった。おじいちゃんとポワンの結びつきを、甘く見ていたのだ。  チーン。  再び仏壇の鐘の音が響き渡り、それと共に線香の匂いが畳の部屋へと漂いながら広がっていく。手を合わせるおじいちゃんは、その胸になにを思っているのだろう。ポワンとの思い出だろうか。おばあちゃんが亡くなってすぐの頃、おじいちゃんはお仏壇のおばあちゃんに向かってただ手を合わせていた。その顔は少し寂しそうでも辛そうでもあった。それからしばらくして、ポワンがおじいちゃんの家にやってくると、おじいちゃんはおばあちゃんのお仏壇になにかを語りかけるようになった。傍からみると少し不気味ではあったけど、おばあちゃんとの会話の最中、おじいちゃんの顏はとても穏やかな顔をしていたので、僕はその顔を見るとなぜだかすごく安心した。  ポワンが亡くなって以来、おばあちゃんのお仏壇になにかを語るおじいちゃんを、僕は一度も見たことがない。  僕はそんなおじいちゃんの様子が気になって、ここ一年くらいは学校が終わるとすぐ、おじいちゃんの家に寄ることにしていた。ただしそれは、おじいちゃんを心配してという理由だけでなく、他の理由もあった。なんとなく今まで付き合っていた友達と、微妙な距離感を感じてしまい、どことなく居場所がないような状態だった僕にとって、おじいちゃんの家は落ち着ける場所でもあったのだ。家でただゴロゴロしていると母や姉が色々とうるさいのだが、おじいちゃんは何も言わずにただお茶を飲んだり新聞を読んだりしているだけだ。そんな僕にとっては、おじいちゃん家は居心地の良い空間だった。昨今の小学生には、ストレスやら気苦労やら、色々とあるのだ。  白状しちゃえば、おじいちゃんに対する心配を隠れみのにして、自分にとって落ちつける場所へと逃げ込んだ、というところもあったのかもしれない。あんまり認めたくないけれど、そういう部分がなかったとはいえない。そういう自分の弱さを見て見ぬフリするような、弱い人間に僕はなりたくないから、あまんじてそれを受けいれようと思う。僕はそういう弱さを持っている、今のところは。  けどその僕の弱さが、おじいちゃんの異変に気付くきっかけになったのだから、あながち悪いことばかりじゃないのかもしれない。おじいちゃんの家に通いつめる日々のなかで、おじいちゃんの気持ちが着実に弱っていき、最近では脳味噌の方まで弱ってきてしまっているようなのだ。それはおじいちゃんが口にする言葉の端々から感じとれてしまう。  僕はそれを、僕の母やお父さんに伝えるべきか迷ったけど、あまり大袈裟にしたくなかった。そんなことになればおじいちゃんだって迷惑だろうし、場合によっては顔を真っ赤にして怒りだしたりするかもしれない。それにもしも万が一、僕の勘違いであれば両親から僕はこっぴどく怒られるだろう。そんなのはまっぴらごめんだ。 どうしたものかと悩んだ僕は、日課としてつけている日記を利用することを思いついた。それまでは主に学校や放課後の友達とのやり取りなどを日記に書くことが多かったけど、おじいちゃんとの会話や言動などを細かく記録することにしたのだ。そしたらやっぱり、残念だけど僕の勘違いではなかった。おじいちゃんは確かに、少しずつ少しずつ、物忘れや勘違いが進行しているのだ。  やっぱり両親に話すべきか。でもおじいちゃんの気持ちを考えると……相談すべき相手もいない僕は途方に暮れていた、そんな時だった。僕にとって、救いの神ともいうべき、明るいニュースが入ってきたのだ。  故障したWANPOの内部に記録されたデータを新しい型のWANPOに移しかえることができる、僕はおじいちゃん家のちゃぶ台に置かれたその新聞の記事を見つけた時、思わず身体が震えるのを感じだ。これだ!と瞬間的に身体中に電流が走ったようだった。  WANPOはもともと、かなり前に発売された商品だ。僕の母親がおじいちゃんにプレゼントした時は、もうすでにかなり流行りはすぎていて、どちらかといえばちょっと時代遅れの商品、といってもいいものだった。そのため、発売された当初に買われたWANPOたちは、かなりの数、故障したものがでてきてしまっているのだという。しかしそのどれもが、色々な問題から修理が不可能な状態になってしまっていて、家電メーカーにはかなりの苦情が寄せられていたのだそうだ。そしてそのクレームに、家電メーカーは画期的な方法で対処することを可能にした。それが新聞に出ていた、内部のデータを新しいWANPOに移し替える、というものだった。  この家電メーカーがいうところの画期的な新技術、を用いれば、亡くなったポワンも見事に元の姿で蘇るのだ。僕はその新聞記事を切り抜いて、日記にでかでかと貼りつけた。そしてその日から、日記は僕の節約生活のためのお小遣い帳となって生まれ変わった。僕はそれまで自由気ままに使っていた月々のお小遣いを厳しく管理し、少しずつお金を貯めることにした。漫画を我慢し、買い食いも我慢し、誕生日プレゼントを断りその分をお年玉としてプラスしてくれと両親に頼み込んだ。その願いがどれくらい聞き入れられたのか詳しいことはわからないけど、お年玉の額は確かに去年よりも遥かにアップされていて、姉とほぼ変わらない額を手に入れることができた。  そんなことをしたのはもちろん、ポワンのデータを移し替える新しい型のWANPOを買うためだった。はじめは両親に頼もうとも思ったけど、また壊れたらどうするの?とかそんなにおじいちゃんは落ち込んでるの?とか都合の悪い余計なことを聞かれるのも嫌だったので、僕は僕一人でこの計画を進めることにした。それになにより、これは僕が一人でやるべきことのような気がしてならなかった。おじいちゃんの家に逃げ込ませてもらった僕が、一人でやるべきことのような気が。おじいちゃんの少し丸まって小さくなった背中を見て、僕は改めてそう思った。  ピンポーン。  来た!ポワンの一周忌にあたる今日、ようやくお金を貯めた僕は、インターネットでこの家に届くよう注文をしていたのだ。僕は座布団から立ち上がり、勢いよく玄関へと飛び出した。  実はこの計画、おじいちゃんにも内緒の計画だった。別にびっくりさせようと思ったわけではなく、おじいちゃんは故障したWANPOのデータを新しい型(身体)に移しかえるということに対して、受け入れがたいものを感じているようだったからだ。  ある時、おじいちゃんがこの記事の話題に触れることがあった。 「これはちょっと、どうなんだろうねぇ。中にあるものを移し替えたからって、全く同じになるわけじゃないし。故障したものを修理するのなら、病気になったのを治療するようなものだけど。死んだものを新しい身体で蘇らせるなんて、なんだか死んだ人を冒涜してるというか、ないがしろにしているような気がするなぁ」  冒涜、という言葉の意味がわからなくて辞書を引いてみたけど、やっぱりおじいちゃんの言葉の意味するところはあんまりよくわからなかった。わかるような、わからないような。 それでもおじいちゃんの気持ちを理解したくて、僕は自分なりに考えてみることにした。例えばお気に入りのゲームの世界で、すごく思い入れのあるキャラクターたちが全滅してしまったのでリセットボタンを押してやり直した時、全滅したこと自体がなかったようにゲームの世界では扱われる。けど、僕の記憶の中では確かに一度、キャラクターたちは全滅している。なのだけど、それは、ゲームの世界ではなかったこととして扱われてしまう。そのことに、なんだかやましい気持ちというか、ちょっとだけズルしたような、どこかもやもやした思いを感じたことがあるけど、もしかしたらそんな気持ちをおじいちゃんも覚えたのかもしれない。全然、見当はずれかもしれないけど。  でも、おじいちゃんは僕が密かに立てた計画をよく思わないことはよくわかった。僕としては、ポワンを新しい型(身体)で蘇らせることが、おじいちゃんの気持ちと脳の復活に繋がるのではないかと考えているのだけど、おじいちゃんが新たなポワン(ニューポワン)を受けいれなければ、そもそもその計画は成り立たない。だから僕は、頭を巡らせ新たな策を捻りだした。それは、データを移し替えたのではなく、故障したポワンが修理して帰ってきたのだということにしてしまえばよい、というものだ。 それはようするに、おじいちゃんに嘘をつく、ということになる。  おじいちゃんに嘘をつくのは心苦しいところもあるけれど、これも全ておじいちゃんのためなのだ。嘘は時に、人を救う。 そして僕はこの計画をやり遂げ、それをきっかけにおじいちゃんの家に逃げ込むこの生活からも、一歩踏み出してみようと思っている。仲の良かった友達との問題がきっかけで、この家に入り浸ることになったけど、それももうそろそろおしまいにすべきだ。この計画とともに、見て見ぬふりをしてきた友達との問題にも、そろそろ手をつけなきゃならない。この一年、ぐずぐずと先延ばしにしてきたけど、僕は今、やる気に満ちているのだ。きっとおじいちゃんを元気づけようとすることで、逆に自分が元気になって勇気とやる気に満ち溢れているのだ。 大丈夫、今の僕なら、お小遣いを我慢して絶えぬいた僕ならば、きっとおじいちゃんの件も友達の件も、やり遂げられるはずなのだ。  チーン。  響き渡る鐘の音が、なにかの戦いの開始へのゴングのように僕には聴こえてならなかった。
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