代行屋、断る

1/1
9人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
「――代行屋。今なんと言った?」  俺は裏社会の代行屋・黒芝。金さえもらえりゃ、例えどんな汚れ仕事だろうが引き受ける業の深い男だ。そんな俺だが、今人生最大の難題に直面していた。 「ですから、松脂(まつやに)のオヤジ。それだけは引き受けかねると言っているのです」  裏社会のドン――松脂瀬三郎(まつやにせざぶろう)を前に、俺は声を絞り出す。彼が指を鳴らしさえすれば、控えた部下達がたちどころに飛んでくるだろう。  だが、ここで引くわけにはいかない。頑として動かぬ俺に、松脂はイライラとテーブルを叩いた。 「何を言う、代行屋! 金さえ出せばどんな仕事でも引き受ける。それがお前の生業だろうが!」 「こればっかりは譲れません! お断りします!」 「なせだ!」 「なぜって――」  俺は大きく息を吸い込み、一歩足を踏み出した。 「アンタが男手一つで育てた一人娘の結婚式だからでしょうが! 何一世一代の晴れ舞台に父親レンタルとか頼んでるんです!」 「うるせぇうるせぇうるせぇ! 俺がやれと言ったんだ! 黙って引き受けろや!」 「困りますよ! お嬢さんの為にも式に出てください!」 「この期に及んで怖気付いたか!?」 「それアンタじゃねぇのか!」  ――松脂の一人娘である、松脂静雅(まつやにしずか)。父の遺伝子が寸分も感じられない驚異の母似でとても見目麗しく、また淑やかな大和撫子でもあった。  しかし母は彼女がごく幼少の頃に亡くなったため、松脂はたった一人でおっかなびっくり娘を育ててきたのだ。生活に窮した彼は、金を手に入れられるなら何でもした。そう、売買人や別組織から横取りした違法薬物を裏医療機関や裏研究機関に安く横流ししたり。ついでに当時無法と化していた銃火器もどんどん奪い、鉄に変え資材として流通させていった。当然人手が足りなくなったが、そこは知恵を絞る。人件費を抑える為、毎日の寝床にすら困るような貧民を大量雇用し労働力とすることに成功したのだ。幸い知人の裏医者達の中に土地や空き家を提供してくれる人がいたので、彼らを家族で同じ場所に住まわせてやることもできた。まだ事業が軌道に乗っていなかった為に最低賃金に色をつけた程度の日給だったが、毎日の食事を無償提供してやれば彼らは進んで身を粉にして働いた。  無論、裏社会からの報復もあったのだ。だがここは一騎当千、百個師団相当の臂力を持つ松脂瀬三郎である。何より彼にはびっくりするぐらいの数の味方がいたため、刺客は一人残らず返り討ちにあった。しかしそんな彼らにも、松脂には「帰る場所がねぇなら、うちに来いや」と声をかけ迎え入れたのである。そうしてガンガン主力が引き抜かれていった結果、気づけば敵組織は残らず壊滅していた。なおこの時に命を狙ってきた元敵幹部の一人も、今では立派なマツヤニ薬局の店長だ。  そんな父の背中を見て育ったのが、娘の静雅だったのである。真っ直ぐな目で、真っ直ぐに生きてきた。裏社会どころか表社会に出しても恥ずかしくないほどの、立派な大人の女性へと成長したのだ。  そしてこのたび、彼女を心から愛してくれる男性が現れ、めでたく結婚する運びとなった。この慶報には松脂一家を知る誰もが喜び、涙した。けれど誰より松脂のオヤジこそが、娘の式を待ち望んでいるのだと皆確信していたのである。  なのにこれだよ。どうなってんだ、オヤジ。 「金が足りねぇってのか」  凄みのある声で松脂は唸る。声だけじゃない、顔も相当なものだ。この間だって、幼稚園の視察で園児に泣かれてたしな。まあ三十分後には打ち解けて、幼児二十人から抱っこをせがまれてたけど。 「金の問題じゃありません。心の問題です」 「ンだとお? テメェ、うちの娘の結婚式に何の不足があるってんだ!」 「むしろ俺が行くことで不足になるんですよ! なんで父親であるアンタが行かないんですか!」 「そりゃあ、オメェが……!」  何かを言いかけた松脂だったが、むごむごと口をつぐんだ。やはり何か理由があるのだろう。俺は真正面からオヤジを見据えた。 「オヤジ、アンタ今までほんと心を込めて静雅お嬢さんを育ててきたじゃないですか。お嬢さんだって、花嫁姿をオヤジに見てもらいたがってます。そりゃもう一番に」 「……うるせぇ。俺にそんな資格なんざねぇんだ」 「資格とは?」 「静雅が小さぇ頃から、俺は家を空けてばっかりだった。夜が明けても日が暮れても、金金金……。母親を亡くしたばかりってぇのに、あれには酷く寂しい思いをさせちまった」 「そんな! だって静雅さんは心臓の病気があり、治療に多額の金が必要だったじゃないですか! 感謝こそすれど、恨むわけありません!」 「別に感謝されたいが為に金を集めてたんじゃねぇ! 俺ァ病気を治したアイツが、世界一幸せになるのを見たかっただけだ!」 「ほらもうめちゃくちゃいい父親じゃないですか! いいから結婚式に出てくださいよ! それとも何か!? まだ他に理由があるってんですか!?」 「む……!」  またしても松脂は黙りこみ、首に貫禄のある二重顎を埋めてしまう。だが俺だって折れることはできない。数秒の重苦しい沈黙の後、彼は低い声で口火を切った。 「……オメェ、例の任務に就いてから何年になる?」 「はい、静雅お嬢さんが二歳の頃ですから……かれこれ二十二年ですかね」 「そう。そんだけ長い間、オメェは“役割”を果たしてくれた」  ――あれは二十二年前のこと。表社会でパワハラモラハラ給料未払いのフルコンボをくらった俺は、全てを諦めて裏社会へと落ちた。世の中を憎み、失うものも無かった俺は、金さえもらえばどんなことでも代行してやろうと『代行屋』の看板を掲げたのである。それこそ強盗、殺人に至るまで、何だってやってやろうと思ったのだ。  その最初の客が、松脂のオヤジだった。 「おう……金さえ積めば何だってやるって奴ァ、オメェか」 「は、はい。代行屋の黒芝と申します」 「黒芝。オメェ、つい最近まで表にいたんだって? しかも大層立派な大学まで出たそうじゃねぇか……。なんだってそんなご身分で、こんな汚ぇ世界に落ちてきちまったんだい」 「……」 「いいや、事情なんざ構わねぇ。俺にとって大事なのは、間違いなく任務を遂行してくれるかどうかだ」  俺の前にアタッシュケースが置かれる。無造作に鍵を開けられたその中には、ぎっしりと札束が詰まっていた。 「この金で、向こう三年テメェの時間を買いたい」 「……長いですね。俺は、一体何をやりゃあいいんですか」 「まあ簡単なことじゃねぇな。当然でけぇ責任は伴うし、生半可な覚悟でできるもんじゃねぇ。途中で音を上げる奴もいる」 「……分かりました。どんなご依頼だろうと、必ずや金に見合う成果を上げてご覧に入れます」 「話が早ぇ奴は好きだぜ。それじゃ早速、現場に案内してやろう」  松脂が指を鳴らすと、控えていた部下達が俺に群がってきて目隠しをした。車に乗り込み、安定した運転でどこかへと輸送される。連れてこられたのは、ごく普通の一軒家だった。 「ここに、何が……?」  厳重な身体検査の末、丸腰にされた自分は怯えを必死で隠しながら足を踏み入れる。だが、ドアを開けた先にいたのは……。 「パパァ!」  それはそれは愛らしい、二歳の女の子だったのだ。 「はぁい、ただいまでちゅよー! 静雅たんのパパでちゅよー!」 「パパー、すきー!」 「うんうん、パパも好きでちゅ! 静雅たんは世界で一番可愛いでちゅよー!」 「パパー!」 「はぁい!」  何が起きたのか分からなかった。まさか裏社会のドンと呼ばれる男が、顔をこれでもかと溶かして幼女を抱き上げているとは。あまりにギャップのあるハートフルに、逆にこの世の終わりみたいな光景だった。 「静雅ってんだ。オメェには今日から、この子の教育係になってもらう」  手慣れた様子で娘を抱っこした松脂は、まだ呆然とする俺に向かって普通の言葉遣いで言った。 「抜かるなよ。とはいえ、慣れねぇ子育てに失敗はつきものだ。子育て経験のある部下を何人か置いておくから、力を合わせて解決しろ。絶対一人で抱え込むんじゃねぇ」 「え……じゃあその人達に任せたらいいんじゃないですか? 何も俺に頼まなくたって」 「他の奴らにだって家族はいるんだよ! だが一人ぼっちにしたら静雅が可哀想じゃねぇか!」  なるほど、その点俺は天涯孤独の身なので都合が良いというわけだ。こうして俺は、思わぬきっかけで静雅お嬢さんの教育係を仰せつかったのである。 「……確かに、松脂のオヤジより俺のほうが、お嬢さんと長い時間を過ごしてきた自負はあります」  場面は戻って、現在。言葉を選びつつ、俺はオヤジに向かって口を開いた。 「なんせ契約が延長に延長を重ねられましたからね。よもやラブレターの書き方まで、お付き合いするとは思いませんでしたが……」 「ああ、まったくもって世話になった。感謝している」 「だからって俺は父親にはなれません。自分はあくまで『代行屋』。代わりにしかなれないのです」  この自分の発言に胸を針の先で突かれたような痛みが走ったが、俺はオヤジの目を見て言い切った。 「親子の繋がりってのは、血や時間だけじゃありません! どんだけ立派な背中を見せられたかってのもでけぇんです!」 「ぐっ……!」 「アンタ娘に胸を張れる生き方をしてきたじゃないですか! 身を削って、大事なお嬢さんとの時間すら削って! アンタにしかできねぇことをやり遂げてきたでしょう! そんなアンタを、静雅お嬢さんは心から父親として慕っているんです!」 「オメェ、そんなことを……!」 「結婚式に参列するのは、オヤジしかいません! 俺は……!」 「しかし、それだとオメェが結婚式に出られねぇじゃねぇか!」  たまりかねたようにオヤジが叫んだ。その一言に、俺もウッと押し黙る。痛い所を突かれたのだ。何故なら俺だって、お嬢さんの晴れ姿は見たくてたまらなかったのだから。 「……昨今の感染症事情や、そもそもの俺の立場。賢明な静雅たんはそういったものを考慮して、ごく少人数の家族だけで式を挙げたいと言った」 「ええ、お嬢さんらしい判断だと思います」 「だが、静雅たんの招待状リストにあったのは父親という単語だけ……。教育係であるお前の名前は、無かった」 「当然のことです。俺はしがない代行屋ですから」 「俺は、恩義を忘れている娘に一言言ってやろうとした。しかし、ふと考えたんだ。果たして俺は、父親と言えるほどあの子に父親らしいことができたのだろうかと」  哀しみと慈愛がないまぜになった目で、オヤジは俺を見た。 「なあ、黒芝。父親と呼ばれるべきは俺じゃねぇ。この二十二年間、片時も心を離さず静雅たんと共に歩いてくれたお前にこそふさわしい肩書きなんだよ」 「オヤジ……」 「式に出てくれ。それが俺の望みであり、娘の望みだ」 「そんな、認められねぇ! 俺はアンタにだって恩があって……!」 「あと式に出たら前後不覚なまでに泣きそうでさ」 「そこは本当に知らん」 「うるせぇ、話はここまでだ! これ以上ここでグダグダしてられねぇ、俺は自警団のパトロールに参加しなきゃいけねぇんだよ!」 「それもなんでオヤジが参加してるんだよ! アンタ組のトップだろうが! そういうのこそ代行屋の俺に頼めって!」 「オメェはオメェで、老齢者施設への慰安に行かなきゃなんねぇじゃねぇか! 落語のネタは覚えたのか!?」 「時間繋ぎの手品もばっちりです!」 「クク、つくづく役に立つ奴だ……。そんなオメェにこそ、静雅たんの父親にふさわしい」 「あっ、まとめてきやがった! だからそれは……!」 「いいや、これ以上グダグダ抜かすんじゃねぇ! オメェだって静雅たんのドレス姿は見てぇんだろ!」 「そりゃ見たいですがオヤジだってそうでしょう! さっきからずっと静雅たんっつってるのに!」 「可愛いんだから仕方ねぇや!」 「やっぱアンタが出るべきだよ!」  言い合う俺たちの視界の片隅で、松脂の部下達がそわそわとしている。割って入るべきかと考えているのだろうが、どちらの言い分も理解してくれているからこそ動けないのだ。あと、静雅のウェディングドレスが見たいのは彼らも同じだろうし。  どこまでいっても譲れぬ、平行線の話し合い。しかし、思いも寄らぬ形で決着することとなった。 「あー! やっぱりここにいたー!」  バンとドアが開け放たれる。俺とオヤジは、同時にそちらを見て目を丸くした。ドアの前には、ショートカットの似合う凛とした女性――松脂静雅が立っていたのだ。 「二人とも、今日はお休みだって言ったじゃない! ダメでしょ、ちゃんと休まなきゃ! どうせまた新しい事業の話し合いでもしてたんでしょ!」 「し、静雅たん、これは……!」 「パパもあんまり黒芝さんを困らせちゃダメよ。黒芝さんもパパを甘やかしちゃダメ。パパったら、困ってる人がいたらすーぐ飛んでっちゃうんだから。もうだいぶ年なんだし、もっと自分の体を大切にしてもらわないと」 「むむ……」  愛娘の勢いに、裏社会のドンもたじたじである。ほのぼのとした光景だ。この二十数年、自分は決してお嬢さんの父親にはなれないと確信した理由もここにある。どんなに過ごした時間が少なかったと思っていたとしても、二人は間違いなく親子の絆で結ばれているのだ。  一通り言いたいことを言ってスッキリしたのか、静雅はごそごそと小さなポーチを探り始めた。 「そうそう、結婚式の件なんだけどね。招待状を渡しておきたくてここまで来たの」 「しょ、招待状? そんなもの口頭でいいんじゃ……」 「親しき仲にも礼儀あり、でしょ? それに大事な家族だし、ちゃんとしたかったの」  彼女の手にあったのは、銀のラインに縁取られた上品なカード。宛名には、『父 松脂瀬三郎様』と書かれてあった。 「静雅たん、これ……!」 「来てくれるわよね?」 「そ、そりゃあ勿論だが……」  オヤジの視線がこちらに向けられる。対する俺は、黙って微笑んで一つ頷いた。……これでいい。これで正しいのだ。俺は所詮、しがない『代行屋』なのだから。  それに、俺はもう十分過ぎるものをお嬢さんとオヤジから貰ったのである。温かな時間を。腹から笑った思い出を。当然大いに悩み、怒り、間違え、謝り、眠れぬほど苦しんだこともある。だけど俺が感じたことだけを言わせてもらえるなら、お嬢さんと出会ったあの日からの一瞬一瞬が、何物にも代え難い宝になっていたのだ。  それさえ胸に残ればいい。俺は、もう上等に幸福だ。  背を向ける。開けっぱなしのドアに向かって歩き出す。さあ、これで俺の『父親代行』も終わりだろう。今後は何をするとしようか。幸い子育てに関しては、かなり他の人を手伝えるようになった。産前産後のお母さんや新米お父さんのヘルプをする事業を立ち上げるのも、いいかもしれない。  だが、俺が部屋の敷居をまたごうとした時である。後ろから強く腕を掴まれたのだ。 「もう、どこ行こうとしてるのよ!」  静雅お嬢さんである。 「まだ話は終わってないわ! ほら、これ!」  突き出されたカードに目を見張る。何故なら、そこに書いたあった文字は……。 「『父 黒芝久助様』……?」 「ええ、せっかくの結婚式だもの! どっちのパパにも来てもらわなくちゃ!」 「……で、でも……自分は、父親代行で……」 「だって黒芝さん、私が小さい頃から一緒にいてくれたでしょ? たくさん相談に乗ってくれて、たくさん遊んでくれた。あなただって、私の大好きなパパなのよ」 「……」 「少なくとも、私はずっとそう思ってきたわ」  くすぐったそうに笑う静雅に、俺はどんな表情をすればいいのか分からなかった。部屋の奥に顔を向けると、何故か泣きそうな顔をした松脂が何度も頷いている。とりあえず、彼女にカードを持たせたままにしておくわけにはいかない。手を差し出したが、震えてしまって上手く取れなかった。 「……ありがとうございます」  ポタッとカードに何かが落ちる。それが自分の涙だとわかるまで、少し時間がかかった。 「んもう、何泣いてるのよ黒芝さん! そんな顔されたら私まで泣けてきちゃうじゃない!」 「静雅たん! こ、こら、黒芝! テメェ何静雅たんを泣かしてやがんだ!」 「パパだって泣いてるでしょ! 黒芝さんを怒らないの!」 「あ、ありがとうございます、ありがとうございます……!」 「お礼なんていいわよ! 私にとっては当たり前のことだし、二人とも私の大好きなパパなんだから!」  部屋のど真ん中で、中年男二人とうら若き女性が人目を憚らず泣いている。だけどいいのだ。何なら周りの部下ももらい泣きしてたから。  そうした経緯で、代行屋だったはずの俺は本物の父親としてお嬢さんの結婚式に父親として参列したのである。お嬢さんは本当にウェディングドレスがよく似合っていて、綺麗で、幸せそうで、俺とオヤジは目立つ席でまたおんおんと泣いた。  なお、どっちが上座に座るかでもう一度オヤジと喧嘩したのは、ここだけの話である。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!