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翌年の新歓ライブは、先輩が助っ人に入ってくれた。そのおかげでドラム経験者の新入生の1人が私たちのバンドに入ってくれた。桜とは忙しくて遊ぶことはなくなっていたとはいえ、昼休みはずっと桜と2人でお弁当を食べていた。音楽を休んでいても、桜は私の全てだ。
来夢は今年も文化祭に来た。ステージが終わった後、ポケットに手を突っ込んだまま、私に吐き捨てた。
「何だよ、あの腑抜けた音。昔のいちごの音の方が好きだった」
その言葉にはさすがにイラッとしたので、強い口調で言い返した。
「うるさいなっ! 来夢には関係ないでしょ! そう思うならわざわざ下手なやつに絡んでないで大好きなスミレとだけ話してればいいじゃん! もう私に関わらないで!」
「はあ? せっかくスミレと組んでるのにふざけた演奏しやがって!」
「バカにしたいだけなら帰ってよ! 昔から思ってたけど、その髪似合ってないし! 見た目も態度もふざけてる来夢に私のことどうこう言われたくない!」
「髪が似合ってないのはいちごの方だろ! ショートカットだとクソブスに見えるからとっとと髪伸ばせよ!」
「ほんっと、サイテー! 大嫌い! ブスとかそういうこと平気で言うからみんなに嫌われるんだよ! 私も初めて会った時からずっと大嫌いだった!」
自分が最初に暴言を吐いたくせに被害者面して傷ついた顔をする来夢が大嫌いだ。
「ああ、そうかよ! お望み通り絶交してやる! でも、そんなベースで桜が戻ってくると思うなよ!」
来夢は舌打ちをした。来夢なんて大嫌い。もう2度と会いたくない。
ライブは桜も見に来てくれていた。来夢と入れ違いになるように私のもとに来た桜は、すぐ私の異変に気付いてくれた。
「どうした? 演奏よかったのに元気ないじゃん。ミスってるようには聞こえなかったよ」
「桜ぁ……!」
私は桜に縋りついて泣いた。
「どうしたの? お世辞とかじゃなくて、ライブ良かったよ。いちごはちゃんと弾けてたよ」
「来夢に酷いこと言われたぁ」
「来夢が? また来夢が何かやらかしたの?」
「ヘタクソって言われたぁ」
「ああ、それは酷いね。でも、来夢が口悪いのは昔からだから、いちいち真に受けてたらいちごが疲れちゃうよ。気にしなくていいからね」
桜が慰めてくれる。やっぱり、私には桜しかいない。なんであんな奴を桜の代わりにしてたんだろう。自分の見る目の無さにあきれる。来夢の口汚さは桜より私の方が知っているはずなのに。
でも、来夢は思ってもみない悪口を、相手を傷つけるためだけに言ったりはしない。来夢は悪意なく自分の本音を言った結果、相手を不愉快にさせるタイプの人間だ。でも、人が1番傷つくのは本当のことを言われた時だ。だからこそ来夢はたちが悪い。
桜がバンドメンバーだった頃より下手になっているということは決してないと思う。でも、停滞しているというのは自分が1番分かっている。ショートカットが似合わないことだって分かっている。
何より今の私にとって、「そんな演奏で桜が戻ってくるわけがない」と言われることはナイフで刺されることに等しかった。
「ふざけた演奏するやつはスミレにふさわしくないって言われた。ブスって言われた。私が下手だから、桜が戻ってこないんだって言われたぁ」
「嫌だなあ。私が退部した理由もしかして変な風に来夢に伝わってんのかな。受験勉強するからやめただけなのに。スミレから伝わったんだと思うけど、誤解があると思うから来夢には説明しておく。私がドラムやめたことは全然いちごと関係ないから、いちごが気に病むことないから」
「説明しなくていい。もう来夢とかかわりたくない」
「そうだよね。それでいいよ。とにかく、誰もいちごのこと下手とかブスとか思ってないから安心して」
桜は忙しいはずなのに下校時刻が来るまでずっと私を慰めてくれた。桜だけは信頼できる。世界中が敵になってもきっと桜だけは味方でいてくれる。1度も、「必ず音楽の世界に戻る」とは言ってくれなかったけれど、桜の優しさは充分伝わった。
翌週、桜が頬を腫らして学校に来た。眼鏡の蔓が曲がっていた。
「桜、どうしたの? 顔、大丈夫? 誰かにいじめられたの? 許せない! 誰にやられたの?」
「いちごが気にすることじゃないから」
「だって、桜のこと傷つける人許せないもん。どうしよう。先生に言った方がいいのかな? それとも警察?」
「あんまり大事にしないで。一方的にやられたわけじゃなくて普通にやり返したし。1対1だから喧嘩両成敗ってやつ」
「でも、怪我してるじゃん。もしかして、相手うちのクラスの人?」
「学校じゃないよ。塾でのトラブルだから、本当に騒ぎにしないでほしい。一応解決したから、もういちごが心配するようなことは何もないよ」
私は無力だ。桜を守れない。男の子じゃないから、体が小さいから、喧嘩慣れしていないから、柄の悪い元友人に悪口を言われたくらいで泣いてしまうくらい弱いから。こんなんじゃ桜を好きだなんて言う資格はない。
恋も音楽も中途半端なまま、休み時間は桜と過ごし、WAVE×WAVEに比べると緩く音楽を楽しみたいメンバーでそれなりにバンド活動をしながら70点くらいの充実度の高校生活を送った。
未だにスミレの追っかけをしている来夢は、相変わらずライブのたびに最後列に居座っていたけれど、私に喧嘩を売ったのはあの文化祭の1度きりで、スミレと一言二言話すと私とは目も合わせず帰って行った。
特に大きな出来事は起こらないまま、引退・受験を終え、無事に私は地元の市立大学、スミレは実家から通える範囲の女子大、桜は東京の医大に合格した。お互いの合格を祝い合って、卒業式の翌日、東京行の電車に乗る桜の見送りに行った。
あと数分で電車が来て、15年間一緒だった桜を奪い去っていく。桜離れできていたと思っていたのに、いざこうなってみると全然できていなかった。
桜、行かないで。私を置いていかないで。引き止めたかった。どこか遠くまで桜を連れ去りたかった。でも、桜の両親の手前言えなかった。
「大人になって、いちごが結婚していちごの子供がWAVE×WAVEやってたくらいの年になる頃には、病院継ぎにこの町に戻ってくるからさ、覚えてたらまたセッションしよう。その時はスミレと、できたら来夢も誘えたらいいね」
現実を生きる桜の未来の中にも、ちゃんとWAVE×WAVEはあった。ひいおじいさんの代から続く病院を一人っ子の桜が継がなくてはいけない。桜はそういう運命を背負って生まれてきた。それでも、その制約の中で私と音楽をすることを選んでくれた。私に音楽の世界を教えてくれた。
「覚えてるに決まってる! 何十年たっても、ずっと覚えてる! 約束する!」
私が叫ぶと同時に、電車のドアが閉まった。
結局、最後の最後まで桜に好きだとは言えなかった。桜の親がいる前でそんなことを言えるわけがないと自分に言い訳をした。次に桜が帰ってきた時までに桜に釣り合うような自分になろう。桜が望むなら、それまでに来夢とも仲直りをしなきゃ。そしたらその暁には今度こそ好きだと言うんだ。
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