WAVE×WAVE again

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 3月31日、桜が軽音部を早期引退した時よりもひどいふさぎ込み方をしていた私の家に、アポなしで久々に来夢がやってきた。開口一番に来夢は玄関先で近所迷惑になるくらいの大声で「ごめん!」と叫んだ。 「去年は失礼なこと言ってごめん。WAVE×WAVEの時のいちごのベースが好きだったからさ。こんなこと今更言っても言い訳にしか聞こえないと思うけどさ、あたしの中でWAVE×WAVEは神格化されてんだよ。だから、いちごがWAVE×WAVEのいちごじゃなくなることが怖かった。桜だけじゃなくていちごまで音楽やめちゃうような気がして発破かけるつもりだった。でも、今考えるとあの言い方はなかった。新しい仲間に嫉妬してたって思ってくれていい。本当にごめん」  ポケットに両手を突っ込んだままとはいえ、来夢が深々と頭を下げて私に謝るなんて、雪でも降るんじゃないかと思った。逆に不吉だからやめてほしい。 「私も言っちゃいけないこと言った。ごめん。ずっと大嫌いだったは嘘」 「うん、知ってる。だっていちご、どんなにあたしが酷いこと言っても、言い返す時にWAVE×WAVEだけは否定しなかったじゃん」  当たり前だ。WAVE×WAVEは私の大切な思い出。これから先、また来夢と喧嘩をすることがあったとしても、絶交することがあったとしてもWAVE×WAVEは否定しない。 「それで、今日はどういう風の吹きまわし?」  もう怒っていないし、仲直りしようと思っているのに、来夢に対してはどうしてもとげとげしい口調になってしまう。 「今日3時の電車で東京に行く! ミュージシャンになるためには田舎で燻ってるわけにはいかないからさ!」  筋金入りの勉強嫌いだった来夢が進路に進学を選ぶとは思えなかったけれど、まさか単身で東京に乗り込むとは想像もつかなかった。 「嘘……ほんとに?」 「だって、そう書いたじゃん。将来の夢。あれ全部本気だかんな」  中学最後の期末テストに書いた夢。プロのギタリスト。あまりに壮大な夢を来夢は18歳になった今も本気で追いかけている。夢を語ることすらできない私と違って、来夢はそのすべてを有言実行しようとしているのだ。 「スミレのことはもういいの?」  触れていいことなのかは分からないが、おそるおそる聞いてみた。来夢は少し間を置いた後、肩をすくめて答えた。 「振られちゃった。貴女とは一緒に行けないってさ。いやー、あの時は泣いたわー」  来夢が笑い飛ばす。吹っ切れたようだった。来夢は私と違って強いから、どんなに大きな失恋を何度繰り返しても、夢に向かってまっすぐに進んでいくんだ。そういうところが、羨ましくて妬ましくて、憧れていた。  しばらく話した後、「大学生活楽しめよ花の女子大生!」と茶化してくる来夢に少しだけ安心した。  電車の時間が迫り、いよいよ行かなくちゃと言うときにバツが悪そうに来夢が告げた。 「桜にも謝っておいてくれない?例の文化祭の後、大ゲンカしちゃったんだよね」  ふと思い出す。あの時、桜と喧嘩したのは来夢だったんだ。だから、大事にしないでほしいと頼まれた。でも、なんで?思い当たる理由は1つ。来夢が私を泣かせたから。品行方正な優等生の桜が私のために喧嘩をしてくれた。  あの時、喧嘩の相手と理由を頑なに言わなかったのは、執拗なまでに「いちごは関係ない」と言ったのはきっと私に罪悪感を与えないため。「いちごは何も心配しなくていい」はきっと「もう来夢はいちごを傷つけたりしないから安心していい」という意味だ。やっぱり、桜はずっと私のヒーローだ。  私を守るために戦ってくれた桜を傷つけたことを怒りたかったけれど、当の桜がそれを望んでいない。元々桜と来夢は友達だったのだから仲直りを望んでいるし、はっきりとは言わないけれどならば、私がすべきことはそれを伝えることだ。 「桜、もう怒ってないと思う。またWAVE×WAVEで集まりたいって言ってた! あと、さっきも言ったけど私ももう怒ってないから。でも、桜のこと次殴ったらほんとに来夢のこと許さないから! 百倍返しで殴るから! いつまでも桜に守ってもらうわけにもいかないし!」 「そっか。良かった」  安心したように一息ついた来夢の左手が私の手に触れる。 「でも簡単に殴るとか言うなよ。ベース弾くための大事な手だろ」 「ギター弾く大事な手で桜のこと殴ったくせに」 「あたしは2発しか殴ってないけど、桜はドラム叩く大事な手で5発殴り返してきたからな。口の中切れて、1週間くらいご飯食べる時めちゃくちゃ痛かったし、文化祭近いっていうのに歌うのに支障出るし本当にやばかったんだからな!」 「桜の大事な手をそんなことに使わせることがギルティなんですけど」 「それもそうだな。ごめん。もう迷惑かけないから」  私の指を撫でていた来夢の左手が私の髪に触れた。 「あの時の言い方は悪かったけどさ、いちごはやっぱり髪伸ばした方がいいよ。せっかく綺麗な髪なんだからさ」  手櫛で解くように来夢の左手が何度も私の髪をなぞる。その手は私の頬で止まり、私の目を見つめる。すっかり背が高くなった来夢はそのまま私のおでこに触れるようなキスをした。 「バイバイ、いちご。スミレの次に好きだった」  来夢は私の返事を待たずに駅へと軽やかに走っていた。ギターケースを背負う後姿がとても様になっていた。映画のワンシーンのような美しさに、私は言葉を失った。
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