WAVE×WAVE again

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 桜の通う東京の医大には軽音部があるらしい。医者の家庭に生まれたおぼっちゃまやお嬢さまは幼いころから楽器をやっているものだから、きっとレベルが高いんだろう。桜がこれから組むであろうバンドメンバーに嫉妬した。  しかし、医学部体育会というものに入ったらしい。体育会と言っても、中高のテニス部よりは活動が緩いらしく、飲み会や合コンをしたり、チームメイトとカラオケに行っている風景をSNSにあげていた。部活の公式SNSには練習風景の写真も写っていた。スティックではなくラケットを握る桜の手は別人のように見えた。  大学の軽音サークルは何となく合わなくて、見学に行ったり顔を出したりはしていたけれど、本格的にバンドメンバーを組み始める5月の終わりには行かなくなった。かといって、桜の真似をして入ったテニスサークルはとんだ飲みサーだったので顔を出したのは新歓の一度きりだ。結局そんなに飲み会が激しくないボウリングサークルに入った。来夢と高校がバラバラになった時と同じように、桜が軽音部をやめたときと同じように、環境に順応していった。ボウリングのスコアが伸びていくにつれて、寂しさは少しずつ薄れていった。  来夢のSNSはインターネット音楽配信者としてのアカウントになっていた。春に50人だったフォロワーは夏には600人になっていた。オーディションは連敗が続いているらしい。東京は魔境だ。家賃も物価も高くて貧乏生活をしていることを、ユーモアを交えて書いた投稿には、フォロワー3000人の男の人が頑張れとコメントをつけていた。  季節は流れても、時々2人とは連絡を取っていた。来夢は桜にSNSを経由して謝ることができて仲直りはしたらしいが、お互いに忙しくて1度も直接会ってはいないらしい。町を歩いていて偶然会うことはないのかと聞いたら、東京は東の半分だけで1000万人もいるのにそう簡単に会えるわけがないと笑われた。  東京タワー、スカイツリー、シブヤ、シンジュク、イケブクロ、漫画やドラマに当たり前のように出てくるけど一度も行ったことのない場所の写真は2人のSNSに様々な角度で写っていた。  スミレとは同じ街に住んでいるのに嘘のように連絡を取らなくなった。成人式で1度だけ顔を合わせて近況を聞いたところ、高校時代に付き合っていた人とは別れてそれから誰とも付き合っていないらしい。あんなに誰かを好きになることはきっと二度とないと言っていた。桜と来夢は多忙を極め、成人式にすら帰ってくることはなかった。  私が大学を卒業して地元で公務員になった頃、来夢のフォロワーは12000人になっていた。この町の人口より多い人が来夢のファンなのだろうか。インディーズでCDを出したらしいが、田舎では手に入らなった。来夢のSNSを通して知った、音楽の化け物が群雄割拠して、夢破れた者たちが一人また一人と現実に帰っていくシビアな東京は気づけば、夢が少しずつ花開いていく明るい世界に見えてきた。  下宿先の叔父さんのもとで裕福な生活を送る桜のSNSはキラキラした東京を具現化したようだった。友達らしき人しかフォローしていない鍵をかけたアカウントは個人情報の心配なんてする必要もないのに、ドラムの話や地元の話、バンドの話は一切していない。投稿にコメントをすれば返信をくれるけれど、私はもう過去の人なんだろうか。  その2年後、桜は研修医になった。残業が忙しい、満員電車が大変だと東京の暗い面に関する投稿が増えた。気休めを言うことすら憚られた。産婦人科の研修をしていた桜がある日こんな投稿をしていた。 「もし結婚して子供ができて、ドラムをやりたいと言ったら実家のドラムとスティックを譲ってあげよう」  桜が男性と結婚して子供を作るという未来を想像したくないのはもちろんだが、それよりもドラムを誰かに譲るという発想が出てくることがショックだった。  ねえ、桜。それは桜のドラムでしょ?どうして、そんなことを言うの。何年経っても、戻ってきたらまたWAVE×WAVEを再結成するんじゃなかったの?  高潮のように、私の心を襲ったその言葉は希望を奪い去って私の心に大きな傷を残した。  桜の投稿は暗くなる一方だったけれど、来夢はついにメジャーデビューを果たした。デビューシングルのオリコン順位は決して悪くない。東京のテレビにも出ているらしい。桜が忘れてしまったWAVE×WAVEを来夢だけは覚えていてくれるような気がした。芸能界に片足を踏み入れて、華やかな世界に生きる来夢は私の希望だった。  来夢のCDを買った。レジに並んでいると、母校の軽音部らしき生徒たちも楽器をかついで来夢のCDを買いに来ていた。  名も知らぬ後輩たちは私のことを知らない。ねえ、私、中学生の時にあの来夢とバンド組んでたんだよ。なんて不審者みたいに話しかけたりしない。  職場でも「最近話題の来夢ってこの町の出身なんでしょ?」と同僚が騒いでいるけれど、来夢とWAVE×WAVEを組んでいたことは話していない。きっと桜なら他人のふんどしで相撲を取るような自慢はしないから。桜のいなくなったこの町で強く生きていかないといけない。困った時、迷った時、WAVE×WAVE時代の桜ならどうするかということを考えて生きれば間違えない気がした。あの頃の私にとって桜は神様だった。そうやって正しく生きていれば、またいつかWAVE×WAVEで過ごした日々を取り戻せるかもしれない。狂気じみていると言われかねない信仰を胸に抱いて生きていく。
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