WAVE×WAVE again

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 空っぽの私がうずくまる小さな部屋に、スマホのアラームが鳴り響く。あの頃流行っていた、WAVE×WAVEで初めてコピーした曲をいまだにアラーム音に設定している。着信音だってWAVE×WAVEのラストライブでコピーした曲だ。放送が始まったので、涙を拭ってテレビをつける。心を揺さぶるような声と未来を切り開くようなギターの音色とともに、来夢が登場する。全国の人が同時に聴いているであろう来夢の音楽。  敵うわけがなかった。こんなすごい音を聴かされたら、「来夢にライバル認定されてました」なんて言えるわけがない。今の来夢の圧倒的な表現力と技術は、あの頃世界で1番最強だと信じていたWAVE×WAVEを過去のものにした。来夢はもうあの頃の来夢じゃない。来夢の右手の薬指には、指輪が光っていた。  日本人なら誰でも知っている有名司会と来夢の会話が、右耳から左耳へ抜けていってロクに入ってこない。 「好きだった人が結婚しました」  その言葉だけははっきりと耳に入った。 「その人にこの曲を送ります。それでは、聴いてください! 『スミレ』!」  相変わらずど真ん中ストレートなタイトル。まさか、好きな人の名前をそのままタイトルにするとは。どんなに歌やギターがうまくなっても来夢の根っこの部分は変わらない。  変わらない来夢だったからこそ、夢を叶えたのだと思う。ギタリストとしてプロデビューして、晴れ舞台でスミレに告白すること。来夢はこの先もっと大きな舞台に羽ばたいていくのだろうけれど、来夢にとってスミレのいる町に確実に映るこの番組以上の晴れ舞台はないだろう。  WAVE×WAVEはプロになれなかったけれど、私は来夢が夢を叶えた時隣にいることはできなかったけれど、私にはこの告白を見届ける義務がある。 「焦がれ焦がされてヴァイオレット 僕の世界に君が咲く」  あの頃より来夢の音域は遥かに広い。こんな高音出せないと言っていた声よりも高い声のサビが美しく響き渡る。 「スミレ咲く畦道を駆け抜ける 僕は二度と振り返らない」  去年は惜しくも紅白出場を逃したけれど、今年は始まったばかりなのに既に一部の気が早い界隈では来夢は紅白出場最有力候補と騒がれている。隣町のライブハウスの何十倍も大きなハコのライブチケットが売り切れたらしい。この曲は間違いなくオリコン1位もミリオンもとるだろう。スミレをこの町に残して、振り返らずに夢へと一直線に駆け抜けた来夢はプロデビューの夢を叶えた。だから、東京ドームの夢も紅白出場の夢もきっと叶えるだろう。 「どうか幸せに咲き続けて これは愛したスミレに捧ぐ歌」  来夢の新曲「スミレ」は圧巻と言うほかなかった。観客の拍手がいつまでも鳴りやまなかった。  人は少しずつ変わっていく。私がいつまでも小さな田舎の港町で中途半端に思い出に浸っている間に、2人は東京という舞台で進んだり戻ったり、笑ったり泣いたりしながら変わっていった。ドラマや漫画で描かれる東京は希望の色をしているのに、2人のSNSに映る東京はどちらも別れの色をしていた。  桜は変わってしまった。桜はきっともう約束を覚えていない。かっこつけたがりだけれど見えないところで努力していた桜。自分なりの美徳を貫いていたクールな桜。頼りになる私の桜はもういない。もう10年東京に染まり続けたら、きっとWAVE×WAVEそのものを忘れてしまうんじゃないかと思うほどに、昔の面影がなくなっていく。桜は地に足をつけて現実を生きている。  来夢は見た目もオーラも変わったけれど、中身は今も昔も変わらない。純粋な心のままで夢を叶えた。元々は異性愛者だった初恋の相手と1度は恋人になって、生涯忘れられない人と言わしめた。そして、スミレの生き方そのものを変えるまでに至った。そんなスミレと道をたがえてでも夢を追うことを選び、つかみ取った。また逢える日が来たら、セッションしようと変わらない笑顔で言ってくれると思う。15歳の来夢は、血のにじむような努力で身につけたほかの誰にも真似できない音だけを身にまとって、私たちが決して手の届かない場所に行ってしまった。来夢からしたら変わってしまったのは私の方なのだと思う。来夢は昔からずっと夢に生きている。  過去を過去と割り切って現実を生きる桜と10年に渡って愚直に夢を追い続けた来夢。同じ東京で対照的な生き方をする2人。私はそのどちらの生き方も選べなかった。無機質な電波に乗ってやってくる2人が描いた東京のカタチは、もう2度とWAVE×WAVEで過ごした日々が戻らないことを7年かけて私に教えた。さっき切れてしまった弦のように。  どこで間違ってしまったんだろう。がむしゃらに夢を追い続けたら夢は叶ったんだろうか。ダメ元で桜に告白していたら良かったんだろうか。思いを口にしたら何か変わったんだろうか。  あの時、中学3年生の2学期の英語の期末試験で、ちゃんと私の本当の夢を書いていたら今とは違う未来があったんだろうか。15歳の私が願った、大人になっても音楽を奏で続けるWAVE×WAVE。15歳の来夢が信じた、WAVE×WAVE全員で立つ日本最高峰のステージ。15歳の桜が、叶わないと知りながら頭の片隅にでも思い浮かべてくれていたかもしれない未来。  あの日と同じように、拙い英語で手紙を書き始める。もう何年も英語に触れていない。それこそ、中学3年生の私よりも稚拙な文になるかもしれない。これは、15歳の私の遺書。15歳の私を弔うように、あの日書けなかった本音を書く。 “Dear Sakura”  桜のことが好きだった。桜と一緒にいたくて始めた音楽だった。桜のドラムの音に恋をしていた。桜のドラムの音に恋をしていた。桜は私の青春のすべてだった。桜がドラムを叩かなくなってから、私の音は死んだ。  私の好きだった桜は変わってしまった。あの日の桜はもういないのに、今でも桜が好きだ。あなたが誘ったんだから勝手にいなくならないで。彼氏なんて作らないで。他の人のものになんてならないで。  ねえ、帰ってきて桜。一緒に、一つずつ思い出していこうよ。付き合ってなんて贅沢言わないから。一緒にミュージシャンになろうなんて我侭言わないから、せめて一瞬だけでも昔の桜に戻って。1回だけでも昔みたいにドラム叩いてよ。立場とかいろいろあることは分かってるけどさ、せめて心だけは昔の桜のままでいて。ねえ、桜。ずっと言えなかったんだけど、私の夢はね……。 “Dear Raimu”  来夢のことが大嫌いだった。来夢に嫉妬していた。だからLimeなんて書いてやらない。来夢のようになりたかった。来夢のようにまっすぐに生きたかった。間違いだらけの英語で”gitalist”になりたいと語る来夢が眩しかった。私の音が変わったのに気づいたのは来夢だけだった。18歳の今日3月31日、スミレの代わりに私を東京に連れて行ってほしかった。来夢と一緒なら、私の愛した桜を取り戻せたかもしれなかったのに。  桜は私のヒーローだったけれども、来夢も私にとって紛れもなくヒーローだった。今からでも、私を東京へ連れ去ってほしいと願っても、来夢なら「しょうがないな」って強引に腕をひっぱってくれるような気がするのは私の都合のいい妄想ですか?  ねえ、来夢。もう遅いけど、今なら言えるよ。私の夢はね……。  2通の手紙は同じ1文で結んだ。あったかもしれない未来を描いた手紙を小瓶に折りたたんで入れた。これをメッセージボトルのように海に流したら、海の藻屑になって、大人になったふりをしてもいつまでも変われないままの私を消してくれるかもしれない。さようなら、15歳の私。さようなら、WAVE×WAVE。  でも、もしこの手紙が波に乗って東京湾に流れ着いて、桜か来夢が拾ってくれたらいいのに、と心のどこかで願う私がいる。 “My dream was to be a bassist with you.”
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