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こういう日に限って、桜は塾、スミレは習い事で、放課後は来夢と2人だ。部室に入ると、いきなり来夢に抱き着かれた。私より数センチ背が低い来夢の肩が震えていた。
「スミレに、彼氏できたって言われた」
「うん、私も聞いた」
気のきいたセリフは出て来ない。
「いちご、今だけ抱きしめてよ」
嗚咽交じりの声で来夢が言った。明らかにいつもの来夢ではなかった。
「今だけスミレの代わりになってよ」
目を真っ赤にして私の制服のシャツを掴む来夢。普段だったら泣いているところなんて見た日には、「見てんじゃねーよ!」とポケットティッシュの1つでも投げつけてきそうなプライドの高い来夢が私に縋りついている。
「あたしのことも、桜の代わりにしてもいいからさあ」
桜の名前を出され、動揺する。どうしてだか分からないけれど、思い出すのは遠い日の記憶。恋も愛も分からなかった、小学校に上がる少し前のこと。
「私ね、桜のこと大好きだから桜とずっと一緒にいたい! だからね、桜、大人になったら私と結婚して!」
「えー、無理だよ。だって、いちごは女の子じゃん。女の子同士で結婚はできないんだよ」
「うわあああん! 嫌だよぉ、桜とずっと一緒にいるんだもん!」
「結婚しなくっても、ずっと友達でいようよ。ほら、泣かないで」
桜はそう言って私の頭を撫でてくれた。あの時、泣き喚いた私は本当に何も分からなかったんだろうか。分かっていていったんじゃないんだろうか。ずっと桜の隣にいるために、小さな初恋を「友情」とラベリングして、桜の親友として生きる道を選んだんじゃないんだろうか。
遠い未来の話だと思っていた桜に恋人ができる日は、案外近くまで来ているんじゃないだろうか。私はその時、きっと冷静ではいられない。桜が私の手を離すことが怖い。
私は気づいてしまった。きっと、今泣いている来夢は未来の私の姿だ。私は桜のことが好きだ。
来夢の背中に腕を回して、来夢を強く抱きしめた。
「私は来夢の味方だよ」
いつかスミレと来夢が結ばれますように。いつか私と桜が結ばれますように。叶わない願いをこめて、ただただ泣きじゃくる来夢の背中をさすった。
恋を自覚してしまった私も、失恋直後の来夢も練習どころではなかった。帰り道、空を仰ぎながら来夢が呟く。
「スミレの彼氏、身長181センチなんだってさ」
「あー、バスケ部って言ってたもんね」
「そんなにでっかい男がいいのかよって感じだよなー。あたしも早くでっかくなりたい」
「すぐ大きくなるよ、たぶん」
今日抱きしめた来夢は、4月に初めて会った時の来夢より明らかに背が伸びていた。
「だよな!最近成長痛で膝痛いんだよ。よっしゃ! 打倒スミレの彼氏だ! 泣いてる場合じゃないよな。っつーわけで、今日泣いてたのは成長痛ってことにしてな?」
「別に、いちいち口止めしなくても誰にも言わないよ。ちょっとくらい信頼してくれても良くない?」
いつもの来夢の口調に戻ったことに安心し、私も軽い口調で答える。
「だよな。いちごはいいやつだもんな。あたしもいちごの秘密は墓まで持ってくから、信頼してくれていいよ」
「私の秘密って何?」
「いちごって桜のこと好きだろ」
この場合の、「好き」が友情ではなく恋愛の方の好きであることはいくらそう言った話に疎い私でも分かった。
「私、桜に恋してるなんて言ってないんだけど!」
ついムキになって否定してしまう。これでは肯定したようなものだと焦った。
「素直じゃないなあ」
「もしそうだったとしても来夢には言わないし。墓までって言ったってスミレに聞かれたら絶対簡単にしゃべっちゃうでしょ」
「はあ? ちょっとくらい信用しろよー。じゃあ、約束する。いちごが桜のこと好きだって絶対スミレにも言わない」
「だから、何の根拠があって言ってるの? 意味わかんないんだけど」
「えー、だってさ、普通、スミレのこと好きだとか桜のこと好きなのとか言ったら女同士でそんなの変だって言うじゃん。でも、いちごにとってはそういうのは変なことじゃないんだろ?」
「普通は、人のこと簡単に変だとか言わないの! 来夢は毒舌だから分からないと思うけど、普通の人は思ったことすぐ口にしないんだよ」
人は簡単に本音なんて言えないから、私はきっとこれからも桜に告白はしない。でも、来夢はどうだろう。
「来夢はさ、もしスミレが彼氏と別れたら告白するの?」
「どうだろ。今告白しても勝算ないんだよな。前に出会ってから日が浅いっていちごに言われてキレたのも、悔しいけど図星だからだったんだ。まずは、いちごよりスミレと仲良くなるのが目標!」
「もしかして、私それで嫌われてたの?」
「そりゃあ嫉妬するっしょ。でも、いちごは桜狙いだって分かって安心したから、今はいちごのこと好きだよ」
あまりに身勝手な理由で嫌われていたことに辟易するが、私が来夢をよく思っていなかった理由も突き詰めれば同族嫌悪だから似たようなものだ。勝算の無い恋をすることの不毛さが見ていて痛々しかった。そして、私にはできないような積極的なアタックができる来夢が羨ましかった。人間単純なもので、今私は来夢を理解者としてそれなりに信頼している。それでも、10年秘め続けた恋を口に出して認める勇気はないけれど。
「だから、桜は親友なの! ほんっと、デリカシーなさすぎ!」
「はいはい、ごめんごめん」
来夢が笑いながら謝る。絶対に反省していない。
「ごめんついでだけどさ、今日練習邪魔してごめん」
「別に怒ってないよ」
「明日からは練習真面目にやる。スミレに彼氏できたのはショックだけどさ、付き合っちゃったものはしょうがないし、次の一手を考えるしかないじゃん? スミレは好きだけど、WAVE×WAVEも音楽も好きだからさ、バンドに悪影響出るようなことはもうしないよ。でも、卒業までにはちゃんと告白していつかは絶対スミレと恋人になる!」
来夢の目にはいつの間にか光が戻っていた。遠い未来を見つめる来夢の影が長く伸びていた。
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