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期末テストが近づくと、桜はいつも勉強を教えてくれる。あまり勉強が得意ではない私が赤点を取らずにいられるのは桜のおかげだ。桜は優しい。私にだけ優しい。
「いちごは理解早いし、教え甲斐あるよねー」
桜が1分で理解できることを30分かけてようやく理解しても、桜はこう言ってくれる。桜に褒められると、それだけで3日間は幸せでいられる。
音楽だってそうだ。出来なかったことが出来るようになるたび、桜は褒めてくれる。桜が私を肯定してくれるから、私は生きていける。
スミレは年上の彼氏に勉強を教えてもらっているらしい。来夢は勉強と言う概念がない。試験1週間前になると部活は禁止になり、桜と2人きりの時間が増えた。久しぶりに桜を独占できる時間。冬休みはまた昔みたいに桜の家に遊びに行きたいと思った。
試験3日前になると、さすがに桜の手を煩わせるわけにはいかなくなる。桜の家はスミレほど厳しくはないけれども、成績に関しては常に親御さんが目を光らせている。桜自身の勉強をこれ以上邪魔するわけにはいかない。
1人だとどうせ勉強も捗らないけれど、試験前にベースを弾いていたらいくら昼間でも親に怒られる。そんな中、来夢が私に提案した。
「夜まで親いないから、あたしの家で一緒に練習してもいいよ」
親には友達と勉強会をすると言って、来夢の家を訪れた。両親は共働きらしい。
「日没までは音出ししていいって言われてるんだ。破ると隣に住んでるばあちゃんにバレるから律儀に守ってんの。偉いだろ」
「試験前に弾いてる時点で偉くないけどね」
「だから、いちごのこと共犯者にしちゃった。Win-winの関係ってやつ?」
来夢の英語の成績は破滅的なのに、すぐ英語を使いたがる。スペリングの小テストは10点満点で2点取れれば御の字なのに、文化祭のパンフレットに書くメンバー紹介の名前も「Raimu」ではなく「Lime」にしろというこだわりを見せた。そのくせ髪色は黄緑ではなくライムグリーンだと言っているのに、「green」のスペルを「grean」と書いていたのには笑ってしまった。
桜に言えない秘密は1つだけ。その秘密を誰かと共有するなんて考えもしなかった。その相手があの来夢だなんて、1学期の私に伝えたら絶対嘘だと笑い飛ばすと思う。なんだか楽しくなって、ベースを弾く指がやたらと軽い。いつもよりうまく弾けている気がする。
「いちご、今日調子いいじゃん。何かいいことあった?」
「別にー。面白いことはあったけどね」
「何それ、聞きたい」
「来夢には言わない」
「えー、ケチ」
すっかり日も落ちたので帰ろうとしたとき、私の制服の裾を来夢が掴んで引き止めた。確かに、来夢がわざわざ家に呼び寄せたんだから裏があると考える方が自然だ。練習の最中に私に近況を聞いてきたのも、自分の近況に変化があったことの裏返しだったのだろう。
「スミレがさ、キスしたんだって。彼氏と」
来夢は俯いたままだ。ショッキングな出来事だったはずなのに、今日の来夢の音が特におかしかったようには聞こえなかった。来夢はいつの間にか強くなっていた。私が来夢の立場だったらきっと練習どころではない。
「スミレと恋愛経験値違いすぎて、スミレが彼氏と別れても付き合える気がしない」
「いちご、いつかスミレと付き合えた時のために練習させてよ」
「練習?」
「キスの練習。いちごだって、いつか桜と付き合えた時の練習になるだろ。Win-winの関係じゃん」
「はあ? 無理! 絶対無理」
来夢はいつだって自分勝手だ。そんなことできるわけがない。
「じゃあ、せめて抱きしめてよ。あの時みたいに」
来夢が私の手首を引っ張って引き寄せる。来夢の手の体温は温かくて、桜の体温に似ていた。
「いちご、一生のお願い。寂しくて死にそう」
どうして分かってしまうんだろう。それはきっと私も同じ叶わない恋をしているからだ。練習なんて言い訳で、来夢は結局失恋の辛さを誰かで埋めたくなっている。
「あたしのこと桜だと思ってよ。桜の代わりにしてよ」
それでも、私は桜が好きだとたとえ秘密がバレている同志の前でも口にできない。
「そういうんじゃないけど、来夢が元気ないとWAVE×WAVEの士気にかかわるから。だから、これは同情だから」
そう言い訳をして来夢を抱きしめる。目を閉じると、私は桜と抱き合っている。妄想の中で私は桜の恋人。私だけの桜の腕の中で、永遠を誓う。
「いちごの体温って、ちょっとスミレの体温に近いかも」
「他の女の子の話しないでよ」
来夢の声を聞けば我に返ると思ったが、つい来夢と桜を重ねた言葉が口をついてしまった。歌声と話し声の印象が違いすぎるせいか今まで気づかなかったけれど、来夢の地声は少し桜の声質に似ている。体温も、首筋にほくろがあるところも。プライドが高いところも。努力家なところも。私を引っ張ってくれる少し強引なところも。後ろを振り返らず前だけを見つめるカッコよさも。
しばらく抱き合った後、来夢が呟いた。
「よっし、充電完了。明日からまた練習あるのみ!」
「練習ってどっちの?」
「どっちって……?」
私は墓穴を掘ってしまったようだ。キスはともかくハグに練習も何もない。来夢は少し考えた後、何かを思いついたように私に微笑みかける。
「いちごさえよければ明日も来てよ。うち好きに使っていいよ」
なんだかんだで親の目を気にせずベースを弾ける場所を提供してくれるのはありがたかった。
翌日も来夢の家で好きなだけベースを弾いた。中間テストの時は、文化祭が近いというのにテスト明けに感覚がなかなか戻らなくて大変だったので、次のテストの時も来夢さえよければここに来ようと思った。
日が落ちて、私たちが演奏をやめると沈黙が流れる。来夢はじっと私を見つめている。
「いちご」
私を呼ぶ口調が心なしか桜に似ていた。
「その言い方、桜の真似?」
私は苦笑する。来夢の誘い方は雑だ。
「そんなつもりなかったんだけどな。でも、そっちの方がいちごは嬉しい?」
来夢は2回咳払いをした後、私の目を見つめる。
「いちご」
意図的に桜の声と大人っぽいしゃべり方を真似した来夢。元々声質が似ているからか、才限度が高すぎる。心臓がドクドクと高鳴った。
「桜……」
「昨日みたいにしていい?」
「うん」
目を閉じる。そうすれば、私が今抱き合っているのは来夢ではなく桜だと思えた。
「好きだよ、スミレ。本当に好きなんだ。初恋なんだ」
来夢の声のうち「スミレ」の部分だけを努めて頭から消し去る。
「好き」
私も声に出して応える。
「好きだよ」
桜の名前を呼ぼうとしたけれど、呼べなかった。来夢に合わせて恋愛ごっこをしてあげているという体裁を失うことが怖かった。
帰り際、来夢が私を呼び止める。
「いちご、あたしの我侭に付き合ってくれてありがと」
言い訳をくれる来夢の優しさに甘えることにした。こうして甘えさせてくれるところも、桜に似ていると感じるゆえんなのかもしれない。テスト期間中、ずっとこれを繰り返した。家に帰った後は、罪悪感を振り払うように勉強したので赤点は免れた。たぶん来夢は私が帰った後も勉強しなかったからかどうかは分からないが、来夢は赤点で補修を受けていた。
以後、桜とスミレが部活に来られない日は、練習の後、来夢の家に行くようになった。お互いの想い人の影を相手に重ねることは世間から見れば非生産的かもしれない。でも、いつしかそれは私にとっては救いになっていた。
こうして現実から目を逸らす時間があれば、私は桜の前では普通の親友でいられた。桜との時間を思う存分楽しむことが出来た。桜に彼氏ができるようなことがあれば違ったのかもしれないが、幸いにもそんなことはなかった。ずっと今がこのまま続いてくれればいいと思った。
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