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春休みの終わりが近づいた頃、来夢の家に呼ばれた。桜は春期講習、スミレは茶道教室があって4人揃っての練習はできないとはいえ、お盆のように学校立ち入り禁止ではないのに、学校ではなく家に呼ばれた。
「今日親いないし、泊まっていく?」
桜以外の人の家に泊まるのは初めてだった。いつものように日没まで練習をした後、ハンバーガーをテイクアウトして食べる。お風呂を借りた後は、来夢の薄手のパジャマを借りてダラダラとゲームをしていた。
「あのさあ、あたしたち、恋人ごっこしてる関係なわけじゃん。泊まるってどういうことか分かってる?」
突然、来夢が私を壁に追い詰めて桜に似た声で言う。その声を出されると私はドキドキしてしまう。
「いちごはお子ちゃまだから、知らないっしょ。大人のキスとか、キスの先とか」
いちいち癇に障る言い方をするところは変わらない。ムードはぶち壊れ、私はムキになって言い返した。
「来夢だって、どうせ知ったかぶってるだけでしょ?」
「はあ、あたしはちっちゃいいちごと違って大人だからちゃんと知ってますぅー」
そうおちゃらけたかと思えば、この空間には2人しかいないのにわざわざ耳元で誰にも聞こえないようにボソボソとささやいた。ディープキスというのは口の中に舌を入れることだとか、もっと過激なことだとかを耳打ちする。
「来夢のえっち! サイテー!」
縁のなかった話題の過多な情報に脳が処理落ちした私は思わず来夢を突き飛ばした。
「あはは、真っ赤になっちゃって。いちご、カワイイ」
来夢が手を叩いて笑う。私は近くに会った枕で来夢を叩いた。
「来夢のバカ! ありえない!」
桜と色々することを想像してしまった。新学期どんな顔で桜と会えばいいんだろう。本当に迷惑だ。
「そんなに怒るなよー。冗談だって」
「なんでそんな馬鹿な男子みたいな冗談言うの! もうすぐ新学期なのに!」
「いや、さすがに今のは冗談だけどさ、そろそろキスの練習くらいしませんかーってお誘い」
来夢はへらへらしているけれど、どこか元気がなかった。最初にキスしようと言われた時も、来夢にとってショッキングな出来事があった時だ。
「何かあったの?」
「スミレとまたクラス離れるかもって不安で」
過激な発言をしたのと同じ口で、純粋な乙女そのものの悩みを呟いた。当然のように他人事だとは思えなかった。小学校は2クラス編成でクラス替えの回数が少なかったということもあるが、今まで桜とずっと同じクラスでいられたのは奇跡に近い。来夢に言われるまで、それを奇跡とも思わず当たり前のことだと思い込んでいたけれど、来年桜と同じクラスになれる保証はどこにもない。
急激に不安が襲った。その不安を何かで埋めたかった。
「いいよ」
私が意を決すると逆に来夢が驚いていた。
「しようよ、キス」
来夢の頬に手を当てて、来夢の顔を見つめる。息をのんで心を落ち着けて、少しずつゆっくりと来夢の唇に顔を近づける。
ここから先は後戻りできない。好きと言い合うことも、抱き合うことも、グレーゾーンではあるけれど友達同士の範疇で収まる。けれど、キスはその一線を越えることになる。桜以外の人とキスをすることに抵抗はあった。
でも、どうせ桜とキスする未来なんて夢物語だし、もし億が一にもそういう未来があったとして経験がなければ、手間取って桜を幻滅させてしまうかもしれない。
来夢といけないことをしていることが桜にバレたらどうしようという感情はあったが、きっと桜は嫉妬なんてしてくれない。桜は偏見を持つような人ではないから、きっと笑顔で私たちのことを応援するのだろう。そう思うと、切なさがこみあげてくる。体が動かなくなった。
来夢は固まっている私の両手を掴んでどけた。その後、肩を軽く押して私の顔を遠ざける。
「やっぱ、よくないな。こういうことは」
「何それ、来夢から言い出したくせに」
「そのつもりだったけどさあ。スミレはともかく、桜は潔癖な感じするじゃん? ファーストキスは桜にとっておきなよ」
いつも無神経な来夢に気を使われてしまった。もうどうしたらいいか分からなくて、泣いてしまう。来夢の前で泣きたくなんかないのに。
「あー、ごめんな。あたしが全部悪い」
「そうだよ、来夢のせいなんだから」
来夢は私を抱きしめて背中をさする。その手つきが桜に似ていたことで、また感情がコントロールしきれなくなる。どうして私はスミレじゃないんだろう。どうして来夢は桜じゃないんだろう。世の中うまくいかない。
「なんでよりにもよってスミレのこと好きになっちゃったんだろうなあ」
私が思っていたことと似たようなことを、私の背中をさする手を止めずに来夢が呟く。
「いちごのこと、好きになれたらよかったのに」
同じことを思ったことはある。私の想い人がもし来夢だったら、好きな人と抱き合ったりキスしたりできるのにと。でも、来夢が好きなのはスミレだから、結局片思いだ。いずれにせよ、ハッピーエンドは訪れない。ハッピーエンドにならないのなら終わりなんて来ないでほしい。ずっと今のままがいい。
「嫌だよ、来夢全然私のタイプじゃないもん」
嗚咽しながら精一杯の憎まれ口を叩く。
「そうだよなあ、いちごが好きなのは桜だもんな」
「私、そんなこと一言も言ってない」
「その設定まだ続いてんのかよ。いい加減認めろって」
「来夢が勝手に言ってるだけでしょ。もういい。寝る」
「そうだなー。こういう時は寝るのが1番だ」
狭いベッドに2人で入った。来夢の顔が近い。来夢が布団の中で私の手を握った。目を逸らして真っ暗な天井を見つめる。
突然、来夢の唇が私の頬に触れた。私が呆然としていると、来夢が私の手をいっそう強く握った。
「これくらいだったら、ギリギリ友達同士のノリで済むだろ」
だったらスミレにすればいいのにと思いながらも、私も同じように来夢の頬にキスをした。暗闇で何も見えない中だと、本当に桜とキスしている気分になってやたら背徳的だった。
「お返しだ、バーカ」
ぐちゃぐちゃな情緒を整理するために、わざとその場にそぐわない子供っぽい声を出す。
一息つくと、どっと疲れが襲ってきて、眠気に襲われた。来夢と指を絡めたまま眠り、桜とキスをする夢を見た。
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