五番目の男

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五番目の男

店内は中年のサラリーマンでにぎわっていた。狭い通路を店員がせわしなく行き交う。 「竹村から誘うなんてめずらしいじゃん」 会社の先輩社員の高野さんを大衆居酒屋に呼び出した。 「お願いというか、いいバイトがあるんですけど興味ないですか?」 高野さんは、ジョッキをテーブルに叩きつけると、目を細めて俺をにらみつけた。 「あやしい」 「全然あやしくないです」   急いで否定した。 高野さんは疑惑の目を向けたまま「一応、話してみな」と言った。 左右に視線を走らせ、高野さんに顔を近づけてバイトの内容を話した。 「私がある男を寝取る?」 「はい。高野さんにしかできないバイトです」   キッと再びにらまれたが、高野さんは「たしかに!」と高々と声を張り上げた。 「男を落とすなんて朝飯前。この美貌と隠しても隠しきれないフェロモンとテクニックで男はイチコロ」 俺は、小さく拍手した。 高野さんは、彼女が言う通りの美貌の持ち主で、男はとっかえひっかえ。 男を落とすことに快感を覚えるタイプだった。 なぜか、俺は高野さんに気に入られているが、彼女とは何もなく、弟のようにかわいがられているだけだった。 高野さんは、ジョッキを掲げ、「おかわり!」と叫び、空になったジョッキをドンッとテーブルに置くと、俺に向き合った。 「で、なんで?」 「実は、好きな子がいるんですけど、その子には彼氏がいて……もし、その男が他の女性に見向きもせずに彼女を大切に思っているならあきらめがつくんですけど……」 高野さんに嫌われたくなくて少し嘘をついた。 「ちがうでしょ?」 「へ?」 「別れさせたいんでしょ?」   高野さんはお見通しだ。 嫉妬や悪意など醜い感情を持っていることではなく、それを隠す人間が嫌いなのだ。 俺は、正直にうなずいた。 「でも、その子と彼氏が別れたとしても、竹村と付き合ってくれる保証はないんじゃないの?」 「いえ、彼女は俺に少し気があるみたいなんです」   自分が五番目だということは黙っていた。 「ふーん」   高野さんは、枝豆をつまみながら考え込んでいた。 しばらくすると、「おもしろそうだね」と不敵な笑みを浮かべた。 「バイト代はいらないよ」 「本当ですか?」 「一発で落としてあげるよ」 ニヤリとした顔が魔女のように見えた。 現彼氏の経営する会社のことは遥香ちゃんから聞いていたので、男の素性を調べるのは簡単だった。 自宅マンションの場所と名前、会社名を高野さんに知らせて、やり方は彼女に任せた。   数日後、高野さんから数枚の写真が送られてきた。 男の自宅と思われるリビングでくつろぐ高野さんと男。 よく陽に焼けた筋肉質な身体の男がベッドで寝ている。 その寝ている男をバックに自撮りする高野さん。 そのあとに、『いい男だからしばらく付き合うわ』という文面が送られてきた。 これで証拠はそろった。 問題は、これをどうやって妃奈に知らせるかということだ。 考えを巡らせていると、またピコンとスマホが鳴った。 『彼女とは別れさせたから』 さすが高野さん。 魔女のような顔でニヤリとする高野さんの顔が思い浮かんだ。 最強の女だ。   整理券を手にしたものの自分の番がいつ回ってくるのか、それは誰にも分らない。 現彼氏と別れても次に三人が待っているということは、一人が一年間付き合ったとして俺の番が回ってくるのは三年後。 そう考えると長い。 恋人関係なんてちょっとしたきっかけで別れるものだ。 それを作ってしまえば、三年も待つ必要はない。 現彼氏が簡単に別れたことがその証拠だ。   二番目の男は、イケメンのバーテンダー。 高野さんに頼めば簡単だったが、今、高野さんはめずらしく寝取った男に夢中だった。 しかも、五番目だということを隠しているのでもう頼めない。 男のSNSを見ていると、あることに気がついた。 妃奈はおろか、女性の写真が一枚もない。 自分の姿か、猫か、風景の写真ばかりだった。 これだけ顔面が整っている男がモテないわけがない。 それなのに、彼女の写真をSNSに載せないということは、何か理由があるはずだ。 特定の彼女がいれば自慢したいし、特に妃奈と並べば誰もがうらやむ美男美女カップルだ。 それをしないということは、特定の彼女がいないということだ。 つまり、たくさんの女と付き合っている。   ちょっとしたいたずら心で、ネットの掲示板に『奏人にだまされた』と女性のふりをして投稿してみた。 同じ名前の人はたくさんいるし、感想や意見や共感くらいの反応だと思っていた。 しかし、奏人という男に何股もかけられたという複数の女性から反応があったことに驚いた。 奏人にとって、妃奈は何人もの女のうちの一人なのだ。 これじゃ妃奈がかわいそうだ。 すぐに知らせた方がいいと思い、会う約束を取ろうとしたが、予定が詰まっていて会えるのは二週間後だと言われた。 予約のとれない占い師みたいだな。 まあいい。 メールで掲示板の存在と今の彼氏は大丈夫? と送った。 確認する、というメールを最後に妃奈から連絡が途絶えて一週間。 土曜の昼頃、買い物をしていたら、映画館に入る妃奈を偶然見つけた。 背の高い男と一緒だった。 バーテンダーではない。 たくさんの人の中で長身の男はすごく目立っていた。 もしかして三番目のモデルだろうか。 さすがモデルだ。 手足が長く、顔が小さい。 ファッション雑誌からそのまま出てきたみたいな二人だった。 妃奈のSNSをのぞくと、堂々と男と交際宣言をしていた。 その男のSNSのフォロワーがすごかった。 五十万人。 そこそこ名の知れたモデルらしい。 妃奈はそれを知っていて公表したのだろう。 その証拠に、妃奈のフォロワーが増えている。 それぞれのSNSには同じ場所やシチュエーションの写真がアップされている。 男は、遠くの方を見ていたり、視線をはずしたり、自然体を装っている写真ばかりだ。 服装もどこで売っているのか分からないような個性的な服ばかりだ。 その男の隣にはカメラ目線の妃奈がかわいい笑顔で映っている。 ファッション雑誌のような写真ばかりだが、この男も『3』のプラカードを掲げた黒柴のキーホルダーを持っていたのかと思うとおかしかった。 しかし、お似合いだ。 絵になる。 美男美女は見ていて飽きない。 顔を上げると、地下鉄の窓に自分の顔が映っていた。 モデルの男と比べると見劣りする。 しかし、一般市民の中ではそんなに悪くないと思う。 学生時代は、そこそこ告白もされたし、良いパパになりそうな顔だねと言われたこともある。 つまり、それは普通の平均的な顔で安心できる顔だということなのだが。 俺と妃奈を頭の中で並べてみる。 やっぱり平凡な俺の横には平凡な普通の子が似合う。 しかし、美女と野獣というカップルも多い。 モテる女性というのは、男を見る目が肥えているのだ。 外見は関係ない。 あのモデルの男は性格が悪いかもしれないし、ひ弱で頼りないかもしれない。 映画館から出てきた二人の前に怖い人たちが立ちはだかり、妃奈を連れ去ろうとする。 モデルの男に助けを求める妃奈。 男は細い足をがくがく震わせ、その場から逃げる。 そんな男に愛想を尽かす妃奈。 そこに偶然通りかかった俺が妃奈を助けるのだ。 そうなったら四番を飛び越して俺と付き合うに決まっている。 いや、もはや順番待ちなんてなくなる。 つまり、妃奈は俺と結婚するのだ。   隣に立つ女性が地下鉄の窓越しに俺を見ていた。 妄想でニヤついていた口元を引き締め、ちょうど空いた座席に座った。 妃奈のSNSのコメント欄を読むと、『お似合いです』とか『理想のカップル』とか肯定的なコメントが多いが、時々、悪意のあるコメントがあった。 男を応援するファン心理としては特定の彼女は作ってほしくないのだろう。 特定の恋人がいたとしても公表するな、それがファンに対する礼儀だということなのかもしれない。 アイドルかっ! と突っ込みたいところだが、ある考えがひらめいた。 ちょっとだけ意地悪をしてやろう。 電車を降りるとスポーツ新聞を買った。 アパートに帰り、新聞の文字を丁寧に切り抜いた。 そして、一文字ずつ組み合わせて、コピー用紙に貼りつけ文章を作った。 ドラマや映画で見る犯人からの脅迫文だ。 なかなかうまく作れた。 ファンの仕業であることを強調するために、『私たちのショウをとるな』とか、『ファンをなめるな』とか少々過激な文面にした。 切り抜くのも文字を組み合わせるのも楽しくなってきて、いろんな文面を何枚も作り、気づくと日が暮れ始めていた。 出来た脅迫文の紙は床一面に散らばり、窓から射しこむ西日に照らされていた。 それらを眺めながら、ふと思った。 古くないか? 男のファンは若い女性ばかりだ。 今どきの若い女性がこんな脅迫文を作るだろうか。 しかし、この手作り感こそが執念みたいなものが伝わって怖い。 でこぼこした紙の束をかき集め、机でトントンとそろえ、その厚みに俺は満足感を覚えた。   夜、妃奈のマンションに足を運んだ。 明かりは点いていない。 階段を上がり、妃奈の部屋の前に到着すると息が止まった。 玄関の扉にペンキで文字が書かれていたのだ。 その言葉がネットであふれている汚い言葉だった。 いたずら心でモデル男のファンになりすまして脅迫文を作ったが、俺がそんなことをしなくてもすでに妃奈はファンに攻撃されていた。 どうやって自宅を調べたのか分からないが、妃奈に危険が迫っていることを実感した。   左右に人がいないことを確認し、階段を駆け下りた。 もし、妃奈のマンションから俺が出てきたところを妃奈に見られたら、俺がやったと思われてしまう。 それだけは絶対に避けたい。 マンションの入口で神経を研ぎ澄まし、聞き耳を立て、道に人がいないことを目視して闇夜にまぎれた。 帰宅すると、すぐに脅迫文をシュレッダーにかけた。   週が明けた月曜日、仕事を早めに切り上げると、妃奈の大学のある駅に向かった。 六時を過ぎても空は明るく、アスファルトからは熱気が伝わってくる。 汗をぬぐいながらコーヒー店に入った。 妃奈に会えるか分からないが、コーヒーを飲みながら道行く人を眺めた。 三十分くらい経った頃、花柄のワンピースを着た妃奈が一人で歩いている姿が見えた。 人混みにまぎれていても妃奈の華やかさは目立つ。 すぐに店を出て妃奈に声をかけた。 「妃奈ちゃん」 「雄聖くん」   妃奈は、一瞬ビクッとしたが、俺の顔を見ると笑顔になった。 「こんなところでどうしたの?」 「営業でたまたまこっちに来て。それより、なんか元気ないね」 妃奈はうつむきかげんにつぶやいた。 「なんかいろいろあってね」   俺たちは、自然と駅に向かって歩いていた。 「いろいろって?」 うつむく彼女をのぞき込む。 「嫌がらせを受けてて……」 「彼氏のファンの子でしょ?」 「なんで分かるの?」 妃奈がパッと顔を上げた。 「そりゃ、あんな人気があるモデルなんだから、ファンの子は嫉妬するよ」 妃奈は、あいまいに返事をすると黙ってしまった。 「元気出しなよ。妃奈ちゃんらしくないよ」   励ましても妃奈はため息をつくばかりだった。 「もう別れちゃえば? そうすれば嫌がらせもなくなるよ」   ポケットの中で黒柴を触る。 妃奈にこの黒柴のキーホルダーを見せて、待ってるから元気出しな、俺だったら嫌がらせなんてされないよ、と笑いに変えようと思ったが、これまでの男たちのスペックを考えると自分に自信が持てなかった。 自分の存在をちらつかせて、妃奈の気持ちが変わって整理券をはく奪されたら困る。 それよりも静かに順番を待った方が得策のような気がした。 「このあとごはんでも……」と言いかけて、妃奈が立ち止まった。 「これからデートだから……じゃあ」 「そ、そっか」   裏返った声をごまかすために大げさに笑顔を作り、改札を抜ける妃奈の後ろ姿を見送った。
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