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五番目の男
朝から太陽がぎらぎらしていた。
地下鉄を出たサラリーマンや日傘を差す女性たちがぞろぞろと同じ方向に歩いていた。
「おっはようございまーす」
背後から声がした。中根だった。
「朝から元気だな」
「竹村さんは疲れた顔してますね」
「このクソ暑い中、満員電車に乗るだけで疲れるよ」
「仕方ないですよね~」
なんとなく中根がウキウキしているような気がした。
まさか……。
妃奈に会った日から四日が経っていた。
その間、妃奈のSNSを頻繁にチェックしていたが、更新されていなかった。
三番目のモデル男と別れたのか?
もしそうなら、この中根の浮かれように納得がいくし、俺のアドバイスを妃奈は受け入れたということだ。
腹が立つようなうれしいような複雑な気分だ。
「なんか良いことあった?」
横目で盗み見るようにして中根に質問した。
「別にないですけど……」
そのわりには顔がニヤニヤしている。
表情と言葉が合っていない。
「今夜、飲みに行く?」
「すみません。用事があるんで……」
中根は、ほころぶ顔を隠すように右手を顔の前に立てた。
「デート?」
真実を知ることが怖かったが、聞かずにはいられなかった。
「まあ、そんなもんです。じゃ、お先に」
詮索されたくないのか、中根は足早に去った。
そうか、モデル男と別れたんだな。
そして、中根は妃奈と付き合っているということを俺に言わないつもりだ。
合コンで一緒だったのだから、俺に報告するのが当然だ。
先を越されたことも、先輩に対する無礼な態度も、調子のいいあのノリも中根のすべてが憎たらしい。
都心で三十五度の猛暑日が続いた週明けの月曜日、朝から中根は元気がよかった。
上司と談笑しながら笑っている。
週末は、楽しかったのだろうな。
中根と妃奈が週末を楽しく過ごしている想像をしていたら、隣の女性社員が俺の名前を呼んだ。
デスクの上の書類の束を押さえながら俺の顔をにらみつけていた。
自分が激しく貧乏ゆすりしていることに気づき、苦笑いをしながらあやまった。
はやく別れてくれないかなあ。
幸せそうな中根を見ながら思った。
偶然にも関係が終わるような出来事が重なり、三番目まではトントン拍子で順番が移っていった。
次は自分だと思うと、待ちきれない。
中根は至って普通の人間だ。
身長も学歴も顔も平均的。
俺と大差ないが、明るくノリが良いので上司や同僚には好かれている。
そんな中根は意外にも彼女に一途だった。
中学から二十歳まで付き合っていた彼女がいたと飲みの席で披露し驚いたことがある。
中根が浮気をしてくれれば一番簡単なのだが、同じ会社の高野さんには頼めないし、一途な中根は浮気なんかしないのだろうな。
男なら浮気ぐらいしろよ。
心の中で叫んでいた。
中根のSNSには、青い空と決してきれいとは言えない海の写真がアップされていた。
何枚か風景の写真が続いたあとに、水着で妃奈と映っている写真が現れた。
週末は海に行ったのか。
くそぉ。幸せそうな顔だ。
『筋肉ねえな。かなづちのくせに海かよ』
勝手に指が動いていた。
俺は何をやっているのだ。
すぐに文字を消してスマホを置いた。
中根を批判して落ち込ませてやりたかったが、中根はネット関係に詳しい。
悪口を書いた人間を突き留めるかもしれない。
そんなことになったら終わりだ。
自分の評判が落ちることはもちろん、妃奈に知られるのは必然で、そうなると五番目の整理券をはく奪されるだろう。
悪いことをすれば必ず明るみになる。
それに俺は、もう五番目じゃない。
二番目に昇格したのだ。
そんなに焦らなくても順番は必ず回ってくる。
もしかしたら中根のあの浮かれ具合もそんなに長く続かないかもしれないじゃないか。
いくらかわいくて誰もが付き合いたいと思うような子でも、いざ付き合ってみると価値観や性格が合わないということもある。
というわけで、静かに待つことにしよう。
一年かかったとしても、待つだけの価値はあるのだ。
十二時少し前に会議が終わり、経理部に寄った。
同期の大野に声をかけ昼飯に誘った。
エレベーターを待っていると、中根がやって来た。
「昼ですか? 俺もいいですか?」
大野にチラッと視線を送ってから「いいよ」と答えた。
中根は、気軽に先輩の中にも入ってくる。
反対に大野は、寡黙であまり自分の意見を言わない。
近くの蕎麦屋に入り、中根はかつ丼とそばのセットで、俺は天ぷら付のざるそばで、大野は月見そばを頼んだ。
注文の料理ひとつとっても性格がよく表れている。
「週末、空いてますか?」
中根が唐突に質問した。
「何? また合コン?」
「いえ、バーベキューです」
「バーベキュー?」
「はい。この前の合コンのメンバーでバーベキューしませんか?」
前回の合コンの男子メンバーがここに揃っていた。
「つまり、妃奈ちゃんと遥香ちゃんと、あと……」
「若葉ちゃんですよ」
「ああそうだ。それと俺たち三人でバーベキュー?」
「そうです」
中根の隣に座る大野を見るが特に反応はなかった。
そばが運ばれてくると、中根が割りばしを俺たちに配った。
遠慮がなく図々しいが、こうやってちゃんと先輩を立てたりもするから、中根を嫌いになれないのだ。
「何でまた」
「この間の合コンはすごく盛り上がったじゃないですか。あんなに盛り上がる合コンはまれですよ」
「そうか?」
「そうですよ」
たしかにそれぞれキャラクターがあって、役割がはっきりしていた。
盛り上げる中根、それに乗る俺、端っこでみんなの話を聞いている大野。
女子も全員よく笑っていた。
この間のメンバーでバーベキューとかしたいね、なんて妃奈と中根が話している姿が目に浮かんだ。
くそぉ。俺が四番目の男だったらバーベキューで中根に俺と妃奈を見せつけてやるのに。
「大野さん、どうですか?」
「別にいいよ」
大野は、箸を置き、ナプキンで口元をぬぐった。
「竹村さんは?」
断る理由も見つからないので、「いいよ」と返事をした。
中根は、嬉しそうにごはんをかきこんだ。
金曜の夕方、喫煙所には高野さんがいた。
「そういえば、好きな子どうなった?」
高野さんが煙を吐き出し俺に質問を投げかけた。
「それはちょっとまだ……」
「せっかく寝取ってあげたのに」
「まあ、それはおいおい……というか、高野さんはどうなんですか?」
「それがね、私としたことが……何ていうのかな。本気になっちゃったのよね」
なぜか残念そうに肩を落とした。
「竹村さん」
中根が焦った様子で喫煙所の扉を開けた。
高野さんに軽く会釈をすると早口でまくし立てた。
「明日のバーベキュー、遥香ちゃんと若葉ちゃんが来られなくなったって連絡がありました」
「マジか……」
灰が床に落ちた。
「何? 明日バーベキュー行くの?」
高野さんが中根に聞いた。
「そうなんですけど、女の子が二人来れなくなっちゃって」
「じゃあ、私、行こうかな」
今度は、俺の指からタバコが落ちた。
「行きます?」
「彼氏も一緒でいい?」
「いいっすよ」
急いでタバコを拾い、灰皿に押しつけた。
「ちょちょちょ、ちょっと待て!」
二人が、同時に目をぱちくりさせて俺に注目した。
「それはやめた方が……」
どう説明すればいいのだ。
高野さんの彼氏は妃奈の元彼で、その三人が一緒にバーベキューをするなんて修羅場になる。
しかも、俺の好きな子が妃奈だと思っている高野さんは、妃奈が中根と付き合っているということを知らないし、そうなると、なぜ俺の好きな子が中根と付き合っているのかという疑問が生じる。
中根は中根で、高野さんの彼氏が妃奈の元彼だということを知っているのか?
あー。関係が複雑すぎる。
どうしたらいいんだ。
頭を抱えて考えをめぐらすが脳が混乱してよく分からない。
とにかく、絶対に高野さんを止めなくてはいけない。
「じゃあ、明日ね。迎えに行くから」
高野さんは、そう言い残して部屋を出て行った。
いつのまにか話が進んでいたようだ。
「中止にしよう」
中根の肩を揺すった。
「どうしたんですか? もう決まりましたよ」
「絶対にダメだ」
「何でですか? 高野さんと仲良いですよね。何かまずいことでもあるんですか?」
中根は、一瞬ニヤッとした。
高野さんと俺が関係を持っていた方がまだマシだ。
高野さんを止めなくては。
急いで喫煙所を出た。
「明日、高野さんが竹村さんを迎えに行きますからね」
中根の叫ぶ声が背中に聞こえた。
高野さんを追いかけたが、デスクに姿は見当たらず、近くの人に聞いたら、もう退社したと言われた。
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