五番目の男

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五番目の男

俺の嘘は、誰にも知られることなく葬られていくのだろう。 葬儀には会社の人間もたくさん来ていた。 上司に、有休を取れと言われた。 一週間休んで、出社してすぐに、毎日連絡をくれた高野さんに無視していたことをわびた。 怒るでもなく、ただ「竹村のせいじゃないから」と俺をなぐさめた。   その日、あれ以来連絡を取っていなかった妃奈に連絡をし、待ち合わせをした。 しばらく二人とも黙っていた。 本当は、俺から妃奈に声をかけなければいけないのにそれができなかった。 「雄聖くんのせいじゃないよ」   なぐさめるべきは俺の方なのに、俺がなぐさめられていた。 俺のせいだ、と俺自身は一言も口にしていないのに、なぜかみんな俺のせいじゃないと口にする。 それは、逆に俺のせいなんじゃないかという思いが増す。 いや、俺のせいなのだ。 俺がすぐに助けを呼んでいたら、中根は助かったかもしれない。 俺が中根を殺した。 でもこのことは誰も知らない。   俺と妃奈の交際は静かに始まった。 本当なら、はしゃいで自慢するはずが、隠れるように妃奈と会っていた。 あいかわらず俺は、自分を責めるかわいそうな人として認識されている。 罪悪感を持つことはない、おまえは悪くないという周りの認識と自分の中の罪悪感はちがう。 それを知っているのは自分だけで、誰にも言えないことで苦しみは増した。   それでも日常は過ぎていく。 静かに妃奈と愛をはぐくみ、あれから四ヶ月が過ぎて小さな幸せを感じるようになった。 お互い中根のことは口にしなくなっていた。   街はイルミネーションに彩られ、活気づいていた。 妃奈とクリスマスを過ごせることに浮き足立っていた。 銀座に出て、予約していた妃奈へのプレゼントを受け取った。 指輪が入った小さな紙袋を下げ歩いていると、チャペルが見えた。 建物を照らすオレンジ色の照明に心がポッと温かくなる。 立ち止まり眺めていたら、中からカップルが出て来る姿が見えた。 ここで挙式するんだろうなと考えながらその場をあとにすると、後ろから声をかけられた。 「竹村」   高野さんと榊原さんだった。 チャペルにいたカップルは彼らだった。 チャペルと二人の顔を交互に見つめた。 「もしかして……」   彼らは、見つめ合い微笑む。 「そう。チャペルの下見」 「えっ、ということは……」   高野さんが少女のような笑顔を見せた。 「私たち、結婚することになったの。竹村のおかげっていうのかな」 「そうなの?」   榊原さんが驚いた表情で彼女の方を見た。 高野さんは、肩をすくめごまかす。 「内緒」   俺が寝取ってくれと頼んだなんて言えない。 知らない方が幸せなこともある。 まあ、榊原さんはおおらかな人だから知ったとしても気にしないだろうけど、俺にとっては自己評価が下がるだけなので内緒にしてもらった方が助かる。 「あんなことがあったから、もう少し先にしようかって話してたんだけど……」   高野さんは分厚いコートの上から、お腹を丁寧にさすった。 「あっ」と俺が気づくと、高野さんはうれしそうにうなずいた。 「式には来てね」   二人と別れ、家路に急いだ。 さっきまでのうきうきとした高揚感が消えていた。 もちろん、高野さんの結婚はうれしいが、「あんなこと」と、誰かが気を使えば使うほど、俺の中に中根が現れる。 俺にまとわりつく無邪気な顔、五番目だと俺に言い放った真剣な黒い目、不安と恐怖に支配され、死に物狂いでもがく中根の表情。 それらがちらつくと必死に振り払った。   住宅街は静かで暗くて、余計に寒さを感じた。 アパートが視界に入ると、部屋の前に黒い人影があった。 目を凝らしながら近づくと、その人物が手を挙げた。 大野だった。 とっさに紙袋をかばんの後ろに隠した。 「どうした? めずらしいじゃん」   大野が俺のアパートに来たのは、入社直後の飲み会の三次会が俺の部屋になったとき以来だ。 「たまにはいいかなと思って」   大野は、白い息を吐きながら、両手に持ったビニール袋を掲げて俺に見せた。 「おまえ、飲めないだろ?」   鍵を開けながら言うと、大野は、はははと小さく笑った。 大野なりに俺を元気づけようとしているのかもしれないが、あの関係者の存在は俺を暗い気持ちにさせる。   部屋にあげると、大野は「汚いな」と言った。 「うるせえ」   冗談を言い合うのも久しぶりだった。 散らかった雑誌や洋服をロフトに運び、座る場所を作った。 大野は、リモコンを手に取ると、暖房をつけピッピッピッと三度も設定温度を上げた。 部屋着に着替え、テーブルにつくと、缶ビールとつまみが並べられていた。 乾杯をして一口飲み、つまみに手を出す。 大野は、部屋の中に視線をさまよわせ、口を開こうとしなかった。 「さっき高野さんと榊原さんに会った」   沈黙に耐えられず言葉を切った。 「チャペルの下見だって」 「結婚するの?」 「みたいだね」 「なんかお似合いだったよな。大人の恋愛って感じで」 「まあ、そうだな。大野は?」   そういえば、大野と恋愛の話をあまりしたことがなかった。 合コンに誘えば来るし、背も高くてやせているからモテそうだが、自分からそういう話をすることはなかった。 「別に結婚しなくてもいいと思ってるし、俺は一人の方が好きだからね」 こうして二人きりでじっくり向き合うのは初めてだ。 今まで同期だからという理由で親しくしてきたけれど、大野という男は何を考えているのか正直分からない。 今日だって、突然たずねてきて、何か話があるのかと思えば、何もしゃべらないし、俺を元気づけようとしているようにも見えない。 不器用という感じもしないし、どちらかといえば打算的のような気がする。 話しが途切れてしまった。 来たばっかりで帰ってくれとも言えず、何の用? とも聞けず、とりあえず苦痛を避けるために立ち上がって冷蔵庫をのぞいた。 「なんか作ろうか?」 「いや、悪いからいいよ」 「だって、おまえ飲めないんだから腹減るだろ?」 大野の返事を待たずに、卵とネギとちくわを出した。 おととい自炊した残りと、レトルトの白米でチャーハンを作った。 うまいと言いながら食べる大野を見ながら、俺は酒を飲んだ。 「ずいぶん買ってきたな」 床に置かれたいろんな種類の酒を眺めながら、普段は飲まないウイスキーを手に取った。 グラスに注ぎ、ストレートで一気に飲んだ。 早く酔ってしまいたい。そう思った。   暑さとのどの渇きで目が覚めた。 いつのまにか寝てしまったようだ。 床には缶やビンが散らばっていた。 飲みすぎたな。 そうだ、大野が家に来て……。 部屋には誰もいなかった。 暖房を切ってふらつきながらトイレに入った。 トイレを出て、ふと玄関を見ると、大野の靴があった。 「大野?」   部屋の中に声をかけるが返事がない。 ロフトで寝ているのかとはしごに足をかけたとき、頭上から声がした。 「ちょっと寝かしてもらった。今、おりるから」   そう言って、大野ははしごをおりてきた。 床に散乱している空き缶を拾いあげようと腰を曲げたとき、突然のどが絞まった。 首にコードが巻きつけられ、首を絞めながら頭が後ろに引っぱられた。 一体、何が起きているのか理解できなかった。 暴れると、コードが少しゆるんだ。 首に巻かれているものを取ろうと、コードに手をかけたらまた絞め上げる。 「お……お」 声をしぼり出す。 「君は、今から自殺するんだよ」 耳元で低い落ち着いた声が聞こえた。 大野の声なのに、大野じゃないような気がする。 なんで? どうして? 大野!  叫びたいけど声が出ない。 「君は、中根の死に対する罪悪感に耐えられなくなって死を選ぶのさ。いや、ちがう。嘘をついて中根を見殺しにした罪悪感に耐えられなくて死ぬんだ。うん。そうだ」   大野の太ももを手で叩くと、首のコードが少しゆるんだ。 その瞬間に逃げようとしたら、また締め上げられた。 首にコードが食い込んでいく。 もうダメだと思ったとき、急に身体の力が抜けて床に崩れ落ちた。 激しく咳き込むと、大野が背中をさすりながら言った。 「何か言いたいことがあるのか?」 「どうして……大野……」   かすれた声しか出なかった。 「どうしてかって? かわいい後輩を見殺しにしたんだから罪は償わないと」 大野は、ロフトのはしごをのぼりながらしゃべり、上から雑誌を何冊か落とした。 「それに君の罪はそれだけじゃないよね?」   大野がはしごをおりてきて、両足でドンッと着地した。 床をはいつくばり、逃げようとするが身体が思うように動かない。 スマホに手を伸ばしたら、大野が横からスッと取り上げ、俺の両手を後ろで縛った。 そして、再びコードを手に取ると俺の首に巻きつけた。 「榊原さんだっけ? どうして妃奈ちゃんと別れたんだろう?」 「それは……」 大野が首を絞め上げたのでそれ以上声が出なかった。 大野は俺の首を絞めたまま立ち上がった。 俺の身体を引きずりながら、大野はロフトのはしごをのぼった。 床に雑誌が積み上がっていたので、その上に乗ってようやく首に余裕ができた。 「次は、ネットの掲示板に嘘を書き込んだよね?」   大野は、そう言いながらコードをキュッと締め上げ、ロフトの手すりに結んだ。 雑誌の上につま先立ちをしてギリギリだった。 足を踏み外せば一気に首が絞まってしまう。 身体はふらふらだった。 「それで、次は……」   大野はロフトからおりてくると、俺の耳元に口を近づけた。 「たしかモデルの男だったかな。ファンのふりして脅迫文を妃奈ちゃんに送りつけた、よね?」 ちがう。俺は何もやっていない。 やろうとしたけど、すでにファンがやっていたんだ。 掲示板だってちょっといたずらしたら、賛同者がたくさんいただけだ。 目で訴えるが、無駄だった。 大野は、床に散らばった空き缶を蹴飛ばしながら部屋の中を歩き回った。 そして、ふと立ち止まると、俺を見つめ口角を上げた。 「全部、俺だったりして」 カッと口を開け、はっはっはっはっと笑った。 「お願いだから……」   涙があふれ出た。 中根の葬儀でも出なかった涙がとめどなく流れた。 「せっかく順番が回って来たのにね。残念だ」 大野は、そう言うと、俺の正面に立って俺の顔をまじまじと見つめた。 大野の手には妃奈へ贈る指輪が入った紙袋があった。 「メリー、クリスマス!」と笑いながら俺の顔の前で紙袋を揺らし、それを床に落とすと真顔で踏みつけた。 「バイバーイ」 大野が右足を後ろに大きく引き、サッカーボールを蹴る要領で俺の首を支えている足元の雑誌に向かってきたとき、大野のポケットから黒いものがぶら下がっていることに気づいた。 見たことがある。 黒柴のキーホルダー。 俺の命を支える雑誌が吹っ飛んだ瞬間、揺れる黒柴の首に『6』という数字が見えた。                              
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