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わたしの世界はとってもキラキラしてる。たくさんの友だちに、恋人に、服もアクセもメイクもネイルも、わたしの周りはキラキラでかわいいものに溢れている。だからわたしはSNSでそれをみんなにも教えてあげる。みんなは『いいね』をくれる。わたしのことを「素敵だね」って言ってくれる、それが嬉しくてわたしの世界はもっと虹色に煌く――。
* * *
うすい灰色の空の下、冷たい秋風にミカは目を細めた。冬はまだ先だというのに睫が凍りつきそうだ。
北海道札幌市の郊外、星置という町の住宅地にミカは暮らしている。どこを見ても住宅、しかもそのほとんどが一戸建てで、高層マンションなんて建っていない。張り巡らされた電線が鬱陶しいし、土地もムダに余っているもんだから妙にスカスカで、その隙間には雑草がボサボサと生えている。閑静な住宅街と言えば聞こえはいいが、ミカにとっては寂れていて何もない町。
今日はユイと市内で――星置も一応札幌市なのだが――ショッピングの約束をしていた。最寄りのほしみ駅で十時に待ち合わせ。約束の時間より五分くらい早く着いたけどユイはまだ来ていなかった。
ほしみ駅は小さな無人駅だ。錆び付いた階段を上りアルミの引き戸を開くと、小さな部屋があって、そこに間違って取り付けられたような改札機だけがある。ただそれだけの駅。電車一本、三十分で行ける札幌駅とはまさに泥と雲ほどの差だ。
階段の下でユイを待っている間、黄色く色づいた銀杏の木が目に留まった。頭の中であの木の下に行き写真に収めてみる。――いまいち。空が薄曇りなせいで写真に撮ってみてもあまり綺麗なものにならないだろう。
だけど一応――ミカは銀杏に近づき下からのアングルでその黄色い葉を写真に収めた。ねずみ色の空を背景にした黄色はやはり映えなかった。
空が晴れていれば綺麗だったのにな――ミカは写真の出来栄えに首をひねった。
それでもSNSのアプリを開き、撮ったばかりのその写真にたくさんのハッシュタグをつけて投稿した。一応出かける前の投稿だ。
そのままフォローユーザーの更新をチェックする。ユイは昨晩から何も投稿げていない。他の友だちもほとんど更新はない。フォローしている有名なインフルエンサーが今朝のコーディネイトを投稿げている。ミカはこれから流行るという色合いやスタイルを勉強して、今日のショッピングをイメージした。
親指を何度もスマホの上で滑らせる。次から次へと情報が流れていく。今日のお出かけの目当てのひとつ、スタバの新作フラペチーノを早速注文しているフォロワーがいた。リアルでの面識はないけれどSNS上でできたつながりだ。東京都内に住んでいる同い年の女の子で、ミカの投稿にはいつも『いいね』をくれる。ハッシュタグがつけられたカスタムを、なるほどと思いながら写真の下のハートマークをタップした。ハートマークが赤くなった。これでミカからの『いいね』が送られたことになる。
「ミカ、おまたせー」
明朗な声に顔を上げると、ユイがこちらに手を振り、駆け寄る姿が見えた。約束どおりのシミラーコーデ――ミカと色合いや雰囲気が似ているファッションに包まれている。
「おそいよ、ユイ」
ミカは口を尖らせた。
「ごめんごめん」
ユイは顔の前で両手を合わせる。
「それにしてもユイが遅れるなんて珍しいね。いつもはわたしが待たせてばかりなのに」
「うん、ちょっとね」
ユイは申し訳なさそうに小さく笑った。女子には男子と違って突然の理由ということもある。
「大丈夫?」ミカは訊ねた。
「あっ、うん大丈夫だいじょうぶ。そういうのじゃないから」
そう言って手を振るユイの笑顔は、やっぱりどこか元気がなかった。
あまり心配しすぎてもユイに気を遣わせてしまう――そう思ってミカは、笑顔でユイの手をとり、駅の錆びた階段を上った。
電車が来るまで五分くらいある。ミカはスマホを高く掲げてインカメラを自分たちに向けた。「撮る」と言わなくてもユイは身体を寄せて上目遣いでカメラを見つめる。
「あとで送るね」
ミカは満足そうに二人が写った自撮りを見て言った。これはSNSには投稿しない。二人の写真だ。
学校の話、ファッションの話、芸能人の話、お母さんがこんなことを言った、ペットがこんなことをしていた――電車を待っている間も、電車に揺られている間も、ユイとの話題は尽きなかった。スマホを開けば、たくさんの写真や動画がネット上に溢れていて、それを一緒に見て笑ったり、驚いたり、欲したり――世界を共有することができる。ユイはミカの世界の一部になっていて、ユイが見たものもミカの世界の一部になる。ユイがいることでミカの世界は二倍にも三倍にも輝いた。
先週まで定期テストだったこともあって、学校帰りに自転車で行く発寒のイオンモールではなく、札幌駅まで足を伸ばすのは久しぶりだ。ユイは真面目なところがあって、テスト前にモール内にあるスタバに誘っても、「学校に残ったほうがはかどるから」と言って職員室を最大限に利用していた。そんなユイをミカは嫌いではなかった。一緒に学校に残って、机を向かい合わせにしながらもお互いに黙々と、夕陽が教室に差し込むまでテスト勉強に打ち込んだ。おかげで一年生の頃は全体的に平均点以下だったテストの点数は、二年生になって平均点を越えるようになった。
テストが終わった解放感も相まって、行きの電車は話が途切れることがなかった。札幌駅に近づくにつれて乗客が増えてゆき、ミカとユイは身体を寄せ合って小声で笑いあった。
札幌駅に着くとほとんどの乗客が降りた。二人も他の乗客と一緒に、吐き出されるように電車を降りた。
たった三十分前にいたほしみ駅との大きさの違いに眩暈がしそうなほどだ。同じ札幌市内なのに大きさも人の数も段違いである。しかも駅から直通でショッピングモールにもいける。
一度、人やモノが集まれば、そこはどんどん大きくて煌びやかになっていく。SNSと同じだ。一度注目されればフォロワーはどんどん増えてゆき、それがまたキラキラしたものを引き寄せる。
「やっぱり休みの日はすごい人だねえ」
ユイは感心したように言った。ユイとは高校で距離が縮まったが、小・中と同じ学校に通っていた。当然同じあの寂れて何もない町で育っている。何度来ても都心の人の多さに驚くのも同じらしい。そしてミカもユイもこの人ごみにうんざりするのではなく、心を躍らせている。
「とりあえずどうする?」ユイは訊いた。
「わたし、服見たい。新しいマフラーと、ブーツもあれば欲しいな」
ミカはユイの腕をとって言った。
「じゃあちょっと遠いけどバスに乗ってアウトレットまで行っちゃう?」
「んー……ここでいいっしょ!」
二人は腕を組んで歩いた。若い女子同士がぴったりとくっつく姿に、奇異な目を向ける人もいる。友だち同士でも腕を組むことなんて珍しいことではない。ミカはそんな視線など意にも介せず、期待に胸を高鳴らせて人の流れるほうへ歩きだした。
「ふふっ」
ミカは紙袋から新しいふわふわのマフラーを取り出して嬉しそうに笑った。
「可愛いのがあってよかったね」
「ユイも買ったらよかったのに」
ミカは口を尖らせた。お揃いで買おうと言ったのに小遣いを理由に断られたのが少し寂しかった。
「私には去年ミカがくれたやつがあるから」
ユイはフラペチーノのストローをくわえた。もちろん飲み物の写真も、それを手に持った自撮りも撮影済みだ。SNSにもさっき投稿した。そのときついでに朝に投稿(あ)げた写真を確認した。予想通りいまいち『いいね』の数が伸びていなかったので投稿を削除しておいた。認められなかった写真ということだ。
服、小物、コスメ、雑貨……たくさん見て回ってさすがに足は棒のようになっていたが、元気はまだあり余っている。
「このあとどうしよっか?」
ミカは訊いた。
「ミカは気が早いなあ。今スタバに入ったばっかなのにもう次のこと。もう少しゆっくりしよ」
その口ぶりに少しだけ腹が立った。ユイともっと遊びたいだけなのに、まるで生き急いでいることをたしなめられたようだ。
ミカはSNSのアプリを開いた。さっきの投稿にもう40近くの『いいね』がついている。ユイはまだ今日の投稿はしていない。
「そういえばミサトとオイカワ君、別れたらしいよ」ミカはユイに顔を近づけて言った。
「最近ふたりの投稿がなかったし、お互いのフォローが外れてたから、ミサトに訊いてみたの」
ユイはストローを唇につけたまま「へえ」と相槌を打った。
「なんかオイカワ君が急に強引に迫ってきて、それが怖くなったんだって」
「サイアクじゃん」ユイは顔をしかめた。
「この間オイカワ君の誕生日があって、ミサトも結構頑張って誕生日プレゼント用意したのに、SNSにあげるどころか写真すら撮ってくれなかったんだって」ミカは自分の不満のように言った。
いまカップルや親友の誕生日には年齢の数だけプレゼントを贈ることが流行っている。相手の好きなお菓子などのちょっとしたものから、本命のプレゼントまで順番に開けていってもらうことでワクワクを演出するのだ。ミカも今日ユイとのショッピングを楽しみながら、来たる彼女の誕生日に向けてプレゼントの下見をしていた。
「まあ男子ってあまり写真とか撮らない人もいるし、喜んでくれればそれでいいんじゃないの?」
「ええー! わたしは写真撮って投稿してくれた方が喜んでくれてるって分かって嬉しいけどなあ」
ミカは自分がプレゼントを贈ったときのユイの反応を牽制するように言った。
ユイの表情が一瞬曇ったような気がした。
「でもミサトのところはうまくやってると思ってたからちょっと意外」ユイは言った。
「半年ぐらいだよね?」
「うん。半年の壁は越えなかったみたい」
ミカは残念そうに言った。誰と誰のカップルが別れたなどの話を聞くと自分も不安になる。
「そうかあ……残念だけど仕方ないよね。付き合ってみて分かることもあるし。良いことも悪いことも――」
ユイも残念そうに言った。飲んでいたフラペチーノがズズッと音を立ててしまったことに小さく身体が跳ね上がった。
スターバックスを後にした二人はカラオケに来ていた。足を休めることもできるし、勉強で溜まっていた鬱憤も発散できる。世代を越えて有名な歌からいま流行りの歌、アップテンポな歌からバラードまで歌い尽くした。
ユイがドラマの主題歌にもなっていたバラードを歌い終えたところで、ミカは彼女の隣に移動してぴったりとくっついて座った。物欲しげなまなざしを向ける。
そしてミカの表情は曇った。
ユイが戸惑ったような、悲しそうな、複雑な顔をしていたのだ。
「あのねミカ……実は……」
ユイは眉間に覚悟を漂わせながら、口を開いた。
その先は言われなくても分かった。言ってほしくない。聞きたくない。
テレビの中で元気いっぱいに新曲の宣伝をしているアーティストの声が耳障りだ。
ユイは声を振り絞るように言った。ミカの頭の中でその言葉の意味が静かに反響する。なのに言葉そのものは全て砂のように形を成さずに落ちていく。さっきまでの、今までの楽しかった時間も融解していくようだ。
ミカは大声で泣いた。ユイは優しく抱きしめて背中をさすった。
――これからも一番の親友でいたい。
そんな言葉がミカの頭の中に響いた。
親友って何? これからユイにどんな顔をして話しかければいいの? ユイにもらったプレゼントをどうすればいいの? SNS上にある写真をどうすればいいの? さっきまで楽しそうに笑っていたのに、なんで? ミカの頭の中はぐちゃぐちゃのどどめ色に塗りつぶされていた。
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