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 デイケアに通い始めて二ヶ月経った。沙綾は秋もそろそろ深くなってくるこの時期、歯科にも通っていた。腕のいい医師が担当になり、治療はスイスイ進んでいた。  しかしある時、担当が変わる。  「野山先生は?」  「すみません、先生は現在、海外に留学中です」  沙綾は、やはり腕のいい医師は見てる人がいるんだな、と自分の事のように嬉しく思った。  「では今日からよろしくお願いします」  「よろしくお願いします」  小太りの中年医師は名乗らなかった。名札は患者が確認しにくい横腹に着けてあり、田村と書いてあった。  沙綾の治療は野山から田村に引き継がれた。沙綾が確認した。  「今日は削った歯に詰め物ですよね」  「その予定です」  沙綾は診察台に横になって口を開けた。  「名取さん、詰め物の前に、奥歯に虫歯があります。ここは治してゆきましょうね」  田村はアシスタントを使わず、全て一人で歯の清掃を開始した。沙綾の口の中に水が溜まった。普通はアシスタントが吸引するが、田村は水溜りを無視して、歯を削り始めた。  「痛かったら言ってくださいね」  沙綾の脳に激痛が走った。麻酔をしなければならない所を田村は薬無しで削っていた。沙綾の全身が痙攣するが、今叫んだら口の中の水で窒息する。  「……!」  「はーい。今、嫌なトコやってますよー」  「……!」  「はーい、嫌なトコ、やってますよーー」  拷問の時間は気が遠くなるくらい長かった。  「終わりました」  考えて欲しい。レイプされた直後の女性がその場で怒れるか。  沙綾は、自宅に帰ってから寝込み、三ヶ月泣いて暮らした。  「医療被害を受けた患者をサポートする機関は無いんですか」  「無いねえ」  訪問看護師は答えた。  沙綾はどこにも電話相談出来ず、泣き寝入りすることになった。歯の治療は途中だったが、もうABC歯科に行こうとは思わなかった。  看護師に新しい歯科を紹介される。  「ここはカウンセリングが丁寧で有名よ」  沙綾は新しい村元歯科に出向いた。  カウンセラーは30代くらい。名札に「広田杏奈」と書かれていた。  「治療途中と聞いています。どのような理由で転院されたのか、教えてくださいますか?」  「麻酔が必要な治療を、麻酔無しでされました」  「あらー、そうなんですかー」  「口の中に水が溜まったままにされて、叫ぶ事ができませんでした」  「ええ〜……?」  杏奈は信じられないという顔をしていた。  「ご自宅は近いのですか?」  「いいえ、通院先が近いんです」  「どちらの病院で」  「明星病院です」  このかいわいでは、明星病院は大型精神科で有名である。沙綾は答えたくなかった。 杏奈は猟犬が食いつくように尋ねてきた。  「ご病名は」  「言う必要、あるんですか」  「はい。治療に必要な時があります」  「統合失調です」  「あらあ、そうですかあ!」  杏奈はたった今大便が出た、というような、醜悪な笑み浮かべて大納得して見せた。全て、沙綾の被害妄想にされた瞬間だった。  沙綾は自宅に帰って、また泣いた。日本の統合失調患者に人権はない。患者が少しIQの高い発言をすると、被害妄想扱いされ、黙らせられるのが普通だ。
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