0人が本棚に入れています
本棚に追加
教師である前に、大人である前に、私は、一人の人間であることに、正直になってはいけないのだろうか。心が高鳴った方へ、気持ちがよく弾んだ方へ、笑って胸の張れる方へ、好きだと感じた方へ、あの告白のように、ただ真っ直ぐに、手を伸ばしては駄目だろうか。
希望や理想、私も持っていたはずであろう、失っては生きづらい当たり前のものを、いつから諦めなければならないと、目を瞑るようになってしまったのか。かつては私も、あんなふうに何の混じり気もなく真っ青で、恋に胸を膨らませ、一緒にいられることを素直に喜び、「好き」と伝え合えることに口を綻ばせて、その幸せに疑いなど持っていなかった。恋に寿命など存在しないと、本気で信じていた。いや、信じるも何も、そんなことを思いつきもしなかったという方が正しい。
けれども、恋という小さな花は、どんなに素晴らしく咲き誇っても、はらり、はらり、と花弁を散らし、いつか必ず土へと還っていく。それは誰にも、どうしようもない事なのだと気付いた時、あぁ、私の青春は終わったのだろうと悟った。どんなに懸命に葉を伸ばしても、やっとの思いで小さな蕾を身に付けても、それは、たった一瞬だけ、あとは全て、等しく冷たい土になるという確かな現実に終止符を打たれたように、私は、人を好きになることに一線を引いてしまった。それなのに、その一線が胸を締め付けてたまらない。
大人だから。
子どもだから。
教師だから。
生徒だから。
もう知っているから。
まだ何も知らないから。
いつかは終わるのだから。
好きなっても仕方がないから。
超えないように並べ立ててきた諦めの理由が、頭の中でとぐろ巻いて気持ちが悪い。
そうしてまた呆然としていたのも束の間、がちゃっ、とドアノブを回す音が聞こえて、思わず心臓が飛び出しそうなほど狼狽えてしまう。しばらくいじったあと、「開いてない」と扉の向こうで呟く声が聞こえ、私は、胸を抑えながらそちらに近寄り、様子をうかがう。すりガラスからぼんやりと浮き出た襟者にラインの入った服装や背丈から、生徒であることは分かり、ひとまずほっとする。
「……先生?」
前言撤回、今度はトンッ、といつもより半音高いような鼓動が鳴り出し、どう動いていいか分からず返事ができない。きっと向こうからも、こちらの姿が見えてしまったのだろう、迂闊に近付くべきではなかった。なんと言っていいか分からないまま、ただゆっくりと立ち上がり、扉に向き合うが、鍵に手を伸ばすことはできなかった。さっきまで泣いていた顔や、また熱を帯び始めた頬の感覚が、恥ずかしいという気持ちにさせたから。
最初のコメントを投稿しよう!