【SS】Ωに怯えるα

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「ん?」  何か、覚えのある香りがして如月が足を止めた。  少し前にオープンしたこの店は、ランチでは自家製のパスタ、カフェでは自家焙煎の香り高いコーヒーと季節の果物を贅沢にトッピングした焼きたてのクレープが大人気だ。隣には輸入ものの食器や雑貨を取り扱う、センスの良い店が併設されている。  如月と御堂香哉斗の二人は、昼を外して訪れたものの、予想通り前に何組かが待っていた。 「時間かかりそうだなー。今度にしようか」  幸村如月、男性Ω。α型の男性をとにかく嫌っていたが、隣にいる御堂香哉斗の猛烈な告白の嵐とすったもんだの挙げ句、ひと月前にめでたく結婚した。  もともと待つのは得意ではない如月が右隣の派手な銀髪の長身美男子を見上げると、 「隣ぶらぶらしてればすぐだろ」  御堂香哉斗。銀髪は地毛。最近、ブラウンから薄いグレーにコンタクトを変えたが、如月はこちらの方が髪色ともあっていて好きだと言う。長身、耳はピアスだらけ、洋服のセンスは抜群。一見モデルにしか見えないが、職業は医師、Ω専門医。何もかもが思い通りになっていた俺様Wαの人生を歩んできた彼には、如月に一目惚れをし、一切の受け入れ拒否から始まった如月を追いかけまくった結果、先月やっと彼を手に入れたという、涙ぐましい経験がある。 「そう?じゃあ、待つ?」 「向こうに、キサの好きそうな紅茶っぽいものが見えたよーな……」 「どこ」  相変わらず、御堂の如月に関するセンサーは高感度だ。好きなもの、苦手なもの、好きそうなもの、苦手そうなもの。まず間違えることはない。嬉しいが、やっぱり凄い、と如月は苦笑してしまった。 「……?」 「どうした」  ふと如月が顔を御堂とは反対側に向けた。 「……あっち?」 「?」  店に入った時に感じた何か、覚えのある香り。  無意識にそれに向かって歩き始めた如月をの後をついていく御堂が、僅かに顔を顰めた。 (……やばくねえか、これ)  この香り。  まさか、この辺りで扱っているとは……。  決して悪いことをしたわけでもするわけでもないが、咄嗟に御堂は心の中で呟いた。かと言って、今更如月を引き戻すのも不自然だ。  まずは、今日これからをどうフォローするべきか。御堂の頭の中はフル回転を始めていた。 「このへん?……この匂い、どっかで……」  御堂が追いつくと、目の前の輸入ものの食器を見つめ、如月が独りごちている。少し向こうには、その香りの犯人の商品があるが、如月はそれには気付いていないようだ。 「ああ」  何かを思い出したように小さく言うと、如月は壁を見通すように、顔を上げて真っ直ぐ前を見た。 (あれ、か)  如月の様子を見た御堂の顔から、表情が消えた。 (……あ――……) 「……様」  小さく、店員の声が聞こえた。 「ん?」  如月がカフェの方を見る。 「空いたみたいだな。早かったね、行こうか」 「あ、あ。……買い物するから、先に行ってて」 「何かいいもの見つけた?」  如月はいつもの微笑で御堂を見上げると、何もなかったように踵を返した。 「ル レクチエ、あんなに贅沢にのっけちゃうとは思わなかった。めちゃくちゃおいしかったな。コーヒーはどうだった?ものすごくいい香りがしてた」  帰りの車の中、何も反応せずにハンドルを切る御堂に、如月は僅かに首を傾げて御堂を覗き込んだ。 「香哉斗?」 「あ?あ、…ごめん、考え事してた、何?」  如月はじ、と御堂を見ると、 「たい焼き、買いに行こう。神門さんとこ」 「え?」 「今日は…山の方ね。駅の方じゃないよ」 「ん」  如月はそのまま何も言わずに御堂を見つめると、 (……まだ食うの?なんてツッコミ入れられないほど考え込むなんて。……香哉斗も気づいたってことか)  御堂が、如月に注意を払わないことはない。正に、常ではない様子の御堂を視野に入れたまま、如月は気づかれないよう小さく溜息をついた。  多分、考えていることは、同じだ。  あの、香り。  神崎 ゆうの。  あれは、二人が破局一歩手前になった原因の香りだ。間違いない。  指輪をはめてひと月。何よりも如月自身が、御堂のことを大切に思い、離れ難いと実感している。全てを信じると決めた自分の判断に間違いはないし、もう、とっくに自分の中でケリはついている筈だと思っていたのに、どこかでまだ拘っているのだと言う後ろめたさが、如月の表情を曇らせた。  香哉斗は、悪くないし、  俺も、間違ってない。  馴染みの店で天然鯛焼きを何匹か買い求めて自宅に戻り、お互いに何か気まずさを感じながら何となくそれぞれの部屋で過ごすと、御堂は如月のリクエスト通りポトフとガーリックトーストを夕食に用意した。如月に食欲がない時の定番メニューで、当然香りに気づいた御堂は、雑貨店の一件で如月が食欲を無くしたものと思った。それを理由に、御堂が更に溜息を大量生産したのは言うまでもない。しかし、実際のところは、思いのほかクレープが胃に残っている気がした如月に食欲が出なかっただけで、それ以外に特別な事情はなく、気に病む必要は全くなかったのだが。 「キサ」 「うんー」 「用意できたけど、どうする?」 「……行くー」  眠たそうな返事が聞こえ、御堂は2階を見上げると、カフェの隣の雑貨店の紙袋から箱を取り出してソファの前のローテーブルに置いた。  ふわりとスパイシーで甘い、オリエンタルな香りが舞い上がる。 「香哉斗、やっぱり、もう少しあとで……」  降りてきた如月の足が止まった。  如月の眼が、ゆっくりと眇められる。  あの、匂いだ。  あの時と、同じ。  ……何で?
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