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如月が、御堂を見た。
「みやびさんも、そう言ってくれてた」
「統計的に、絶対数からすれば、Ω<α<β。同じ容体なら、現場で俺よりもキサが優先されるのが今のマニュアルだって教えたな?未来云々なんて、誰にも等しく言えることだって。キサが事故を起こしたんじゃない。悪いのはキサじゃない」
「……うん」
「それに」
それでも、やはり、この話をすると如月の瞳は揺れて涙が溜まってくる。
「そうじゃなかったら、俺はキサと出会えずに、人と自分を大切にすることも知らずに、人生を棒に振ってたぞ」
くしゃ、と御堂の左手が如月の頭をかき混ぜた。
「親にも良いように思われてなくて、誕生日なんか嫌いだったけど、余計に自分の誕生日も、大っ嫌いになった」
「……うん」
くしゃくしゃ。
「でもな」
御堂が、ミラーで周りに車がないことを確認し、田んぼの真ん中で車を停めた。
「今は、違うだろ。俺は、キサの全部を大事にしたいよ。忘れることは悪いことじゃない。少しずつ俺に渡して、少しずつ身軽になればいい」
男性にしては小ぶりな後頭部を手のひらで引き寄せ、ちゅ、と御堂が形の良い唇に口付ける。
「少しずつな。欲張らなきゃいい」
「……うん」
こつ、と額をくっつけて。
「みやびさんが亡くなってからは、どうしていいかわからなくてさ。遺言で遺産だけはびっくりするほどあったけど、全部寄付したんだ。……ここだけ残して」
「うん」
「人に踏み込まれたくなくて、誰にも言ってなかった。京都たちは、建物のことは知ってるけど、場所とか詳しいことは何も知らない。……聞かないでいてくれてる」
「うん」
あいつらなら、そうだろうな。
「でも、……香哉斗には、いつか言おうと思ってたよ」
「うん」
「そしたら」
「うん?」
如月の瞳が、半分瞼に隠れた。
「……そうしたら。みやびさんに、今朝の夢の中でめっちゃくちゃ叱られて、めっちゃくちゃお尻叩かれた」
「……ん」
「命日近くなると、たいてい夢に出てくるんだけどさ。今回は、あんたは、いつまで会わせないつもりなの?さっさと連れてきなさいって、鬼の形相だったんだよね。ほんとに、鬼」
「……幸村さんって、そういうキャラだったの」
「割とね。どっちかっていうと、多分、日常的なみやびさんは、芸能界にいた頃のみんなのイメージと違うよ。すっごく優しいけど、しつけはめっちゃくちゃ厳しかったし、性格はどっちかっていうと葉月さんとか京都のが近い」
「……あそ」
おっとりして穏やかなイメージだったけど、人ってわからないもんだな。
「あ、そこ右」
その先をゆっくりと右折して10分。前面に美しい海が広がった。
「うわ」
思わず小さく声を上げた御堂は、サングラスを外して目の前を見た。
「すごいな……」
道の周りの田んぼたちと、目の前に広がる、穏やかな、国内では見たことがないほど真っ青な海。
太陽の光がキラキラと反射して、絵本かCGの世界にでも飛び込んだようだ。
「だろ。俺の実家は、あそこ」
正面に見えてきた大きな一見の建物は、正面の海を文字通り独り占めにしていた。
重厚な門にはカメラが設置され、御堂の車に反応してかこちらを向いた。
「ちょっと待ってて」
如月は車を降りると、門の前に立ち、カメラを見上げた。
「ただいま」
カシャン。
如月の声に反応し、軽い音がしてロックが外れ、ゆっくりと大きな門が開き始めた。
「……すげえな」
思わず御堂が呟く。
「香哉斗、いいよ。車は中に置けるから」
如月に呼ばれ、御堂は静かに車を前進させると、門もその外周もきれいに管理されているのがわかった。
門の中に入ると、これもきれいに管理された広い庭に、品の良い石畳が続いている。
如月を乗せ、3分ほど走ると、平家の建物が見えてきた。まるで高級な宿泊施設のような建物のエントランスには大きなガラスの一枚扉があり、その奥にもう一枚扉が見える。
「荷物あるから、近くに置こう」
こんなところに車を置くなと怒られそうだと思いながら、言われた通りにエントランス脇に車を停めると、御堂は嬉しそうに車から降りた如月を眺めた。
「ただいまー」
それと同時に、ガラスのドアが開いた。
「ほら、香哉斗。食材、冷蔵庫に入れよう」
如月に急かされるように、買ってきた食材や荷物を車から下ろした御堂が、如月に近付いた。
如月は紙袋を持ったまま、内側のガラスドアに手を翳した。
そのドアも音もなく開くと、中からヒヤリと気持ちのいい温度の空気が流れてくる。空調もきっちり管理されているようだ。
「ほら、こっち」
御堂が中に入ると、またドアが音もなく閉まり、室内の電気が順番に点灯した。
はっきり言って、外観も内側も、どこぞの高級ホテル仕様だ。
エントランスホールも設けられ、やや古いが、雑誌で見たことがあるようなソファや調度品が置かれている。
上がってみれば、埃ひとつなく磨き上げられた廊下は広く、壁にはセンス良くモダンな絵画が飾られていた。
「キサ、ここ」
「みやびさんがね、ここを買ってから先50年分の管理を管理会社に任せてたんだ。あと20年は、このまま手入れはしてくれるよ。警備会社と管理会社は別のところだから、不正もないよ」
へえ……。
キッチンも広く、冷蔵庫から電子レンジから、一揃い揃っていて、使いやすそうな配置になっている。
冷蔵庫も冷えていて、食材を全てしまうと、
「みやびさんに、会いに行こう」
もう一度エントランスに戻り、建物から出ると、如月はそのまま石畳を歩き始めた。
「?車じゃないのか?」
「すぐそこだよ」
如月は、立ち止まって御堂が追いつくのを待ち、隣に並んで歩き始めた。
「きっとさ、みやびさん、心配したんだろうね。俺が全然来ないから、一人で悩んでんじゃないかって」
「かもな」
「で、夢に降りてきたら、隣に香哉斗が寝てて」
くす、と如月が笑う。
「びっくりしたんだと思う。で、会いたくなっちゃったんだね」
あはは。
「いっつも、俺のこと心配してくれてたから」
道なりに歩くこと数分。
斜め先に、美しい小さな建物が見えた。
「あそこ」
「へえ……」
小ぢんまりとした美しい建物は、墓、というにはやや立派で、一般に言われる霊廟というにはやや可愛らしい。
「ちゃんとね、ここにお骨もあるから」
扉を開くと、中は外の光をきれいに取り込む、明るい部屋になっていた。
中にはソファが置かれ、美しい骨壷が中央に置かれている。
「ただいま、みやびさん。俺のパートナーの、香哉斗だよ。あと、これ。好きだったお酒、たい焼き。新作もあるよ。お酒はさ、今年はちょっと奮発した」
如月はにこりと笑うと、静かに御堂を見上げ、もう一度骨壷に視線を戻して微笑した。
「もうね、俺のことは心配しなくても、本当に大丈夫だよ」
「キサ」
「ん?あ、焦げた」
「何作ってんの」
「カレー」
「……確かに材料は、そんなんだったな。電気調理器使えば?そこにあっただろ」
「あ、それいいかも」
墓参りを済ませ、目の前のプライベートビーチで時期的には少し早い水遊びまで満喫をし、シャワーを浴びてさっぱりしたところで、如月が夕食は自分が用意をすると言い出した。
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