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会社での1週間で一番忙しい1日を終え、如月はソファに倒れ、ぐったりとしながら残る大仕事を考えて憂鬱になっていた。
「…これがなきゃ、気分良く帰れたのに…」
御堂宅へのお使い。
あれやこれやを思い出すと、更に気が滅入る。
「…てか、別に気にしなくていいのか」
別に、付き合えだの、番になれだのと迫られているわけでもない。あれは、単なる悪戯心でお遊びの一環だ。
「だよな。何を自信過剰になってんだか」
それに、このお使いは、仕事だ。
途端に気が軽くなり、如月はダウンジャケットを羽織るとオフィスを出た。
バッテリーは小型化されているため、やや重さはあるものの、一つが握り拳程度の大きさなので、背中のバッグに入れることができる。
駅を出ると、平日だというのに相変わらず人が多い。大なツリーも健在で、やはり如月の顔が曇った。
「今帰り?」
「うわ!」
斜め上から話しかけられ、如月が飛び上がった。
銀髪に、ピアスだらけの耳に、誰が聞いても耳障りの良い声、それに。
「目が、…紅い…?」
見上げた顔は、見たことがない美しい紅だった。それ以外の言葉を失い、自分をただ見つめる如月の背中を御堂がポンと叩いた。は、と如月が気づいたように目を瞬く。
「…買い物に出たらコンタクトが落ちちまったの。予備持ってなくて片方だけ紅いと余計に気味が悪いから、片方は捨てた」
「そっちが地なんですか」
「そうですよ。白うさぎと一緒」
「そんなかわいいものじゃないですけどね」
一瞬、御堂が如月を真っ直ぐに見つめた。
「…お前、相当根に持ってるだろ。こないだの」
「買い物…、車じゃなくて、ですか」
「今日はね」
歩いていたら、如月を捕まえられるかもしれなかったから、とは言わなかった。
にこりと微笑むと、御堂は手に持ったスーパーの袋を少しだけ上げてみせた。
ネギと、白菜と、キノコ類に、肉類。
「鍋。牡蠣も入るけど。食ってく?」
「遠慮します」
「遠慮すんな」
「お断りします」
「断るな」
「あ」
「…何だよ」
「ちょっと…」
如月は周りを見回し、空いているベンチを見つけるとそこで背中のバッグを下ろし、中からサイガのバッテリーを取り出した。
「はい。とりあえず、2個で何とかなりますか。必要ならあとはこれから発注するので後日のお届けになりますが、どうします?」
一瞬驚いて目が丸くなった御堂だが、すぐにそれは微笑に変わった。
「ありがとう。助かった…、嬉しいな。まる1日使おうと思うと、追加1個じゃ心許なかったんだよな。笹原にも礼言っといて」
自然に出た感謝の言葉は、何の飾りもなく、すとんと如月の心に吸い込まれた。
「2個もあれば充分だ。来月の請求に配達料と一緒に乗せといて」
「あ、請求はしませんよ」
「は?何で」
「予想以上の使用に加えてデータ提供までしていただいていますので、俺の判断で消耗品は差し上げるようにと指示をしています。メンテ時の交換部品も、消耗部品は請求していない筈です」
「確かに、…言われれば、確かにそうだな。じゃあ、ありがたく」
如月がバッグをもう一度背中に背負って歩き出すと、
「下心抜きで、誘うけど」
御堂が隣で真っ直ぐに如月の背中を前を見ながら言った。
「le brouillardの試食依頼が来てるんだけど。スイーツ食いに来ない?ついでに鍋も」
「行きません。試食なら、le brouillardへ直接行くから、俺に連絡してって言ってください」
「じゃ、連絡先」
「…明日、le brouillard行ってきますからいいです。電話番号を御堂さんに教える必要性も緊急性も感じません」
「あのなあ…」
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