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戻ってくると、駐車場に笹木が立っていて、結衣とフェンス越しに話をしている。田舎の近所づきあいに境界線なんてものは存在しない。注意するだけ野暮なんだな。
後ろから結衣の肩にバスタオルをかけてやると、顔だけこちらに向けた結衣が、ありがとうと言った。
「陽翔君は紳士だな。お父さんも優しそうな人だけれど、陽翔君も大きくなったら、嫁さんを気遣ういい旦那になりそうだ」
ピクリと眉が跳ねた。
「あいつが優しそう? 笑わせる」
「陽翔?」
押し殺した声は、隣に立つ結衣には聞えたようだ。心配そうにこっちを見ている結衣に、聞かせる上手い言い訳を思いつかず、ダンマリを決め込む。頭の中では、優しくて、嫁さんを気遣う親父なんて、世の中に本当に存在するのかよと疑問が涌く。
それって、悪いことを隠すための偽装じゃないのか?
黒い感情が胸の中でとぐろを巻いた。
重くのしかかる秘密を俺が黙っていれば、親父は近所でも愛想が良くて優しいと評判の宮田家の主人のままでいられるだろう。でも、それはあいつの浮気を容認して、見逃してやることにならないか? 母親や周囲を欺いているのに、評判がいいなんてずる過ぎる。一度痛い目にあって反省すればいいんだと思ったら、とんだ嫌味が口から飛び出した。
「外面がいいところは親父に似たんで、将来は、陰で何をやっているか分からない大人になるかもしれません」
笹木は眉根を寄せて、じっと俺を見つめる。事情を何も知らないじいさんが、ただ褒めてくれただけだというのに、親父への当て擦りを聞かせるなんて、八つ当たりもいいところだ。
居たたまれなくなった俺は、話題を変えるために結衣へと視線を移し、着替えてきたらと促した。
「う~ん。……陽翔、お父さんと何かあったの? 夏祭りのこと頼みにくいなら、私のお義父さんに手伝ってもらうように頼もうか」
「いや、だって、結衣のお義父さんの方が、来づらいだろ」
「あ~、あの噂ね。陽翔はお母さんから聞いたんだっけ」
俺は頷いた。母親づてに近所の噂を耳にしたのは、確か三年ほど前だ。結衣の母親が再婚を決めて、夫になる中井が結衣たちが住み続けている家に越してくるというニュースに、噂好きのご婦人たちが、想像を交えたろくでもない噂を流したらしい。俺が聞いたのは、新居も構えられない貧乏人だったかな。でも、乗っている車や、中井に買ってもらった結衣たちの新しい衣類や持ち物で、その噂は消えていったと思う。
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