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「いつもそれ飲んでるなーと思って」
そうか、そんなに見てくれてたんだ、と頬が緩む。
「嬉しい。ありがとね」
いえいえ、と呟きながら彼はコーヒーの缶を取り出した。パキッと蓋を開ける。私も受け取ったココアを飲んだ。甘さが体じゅうに沁みわたる。もっとも、甘いのはココアのせいだけではないだろうけれど。
「駅に着くまでは、マフラーつけてていいから」
彼はぼんやりと宙を見つめて呟いた。
「うん。ありがとう」
それでも私の胸は温かった。
缶をゴミ箱に捨てて歩き出す。並んだ彼の手が、触れられそうなほど近くにある。私にマフラーを巻いてくれた彼の手は、大きくて、節があって、指が長かった。向けあった手の甲を見ても大きさの違いは一目瞭然だ。
──なぜ好きな人と唇を合わせただけで、手を繋いだだけで、心をかき乱されるのか。
日常に潜む、数ある疑問。それがぱっと浮かんできた。さすがに彼の唇をどうこうする勇気はなかったが、手にはつい釘付けになってしまう。
彼の手の平に触れてみたら。指に指を絡ませてみたら。ぎゅっと強く握ってみたら。どんな心地がするのだろう。
相手とはそんなことをできる関係ではないというのに、想像はどんどん膨らんでいく。
不意にちょん、と手の甲が触れ、咄嗟に反対側の肩にかけていた鞄を掴んだ。
ど、ど、ど、ど、と心臓が暴れ出す。相手にも聞こえる勢いだ。
関係性を抜きにしても、手に触れるなどとてものことできそうにない。疑問を浮かべるのはたやすいが、解決するのは容易ではない。よしんば手を繋げたとして、心をかき乱される理由がわかるようになるわけではない。ならば何もしないのが吉なのではないか。
そんなことを考えているうちに駅に到着した。
「おつかれさまです」
「うん、またね」
マフラーを巻きなおした彼の背中が改札をくぐり抜ける。彼は背が高くて、足が長い。
私も彼とは違う改札を通った。マフラーのない首元には冷たい風が容赦なく吹き付ける。
だが彼の匂いと温もりは、いつまでも残っていた。
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