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「馬鹿なのかお前は」
玉俊は普段からできるだけ感情に左右されないよう振る舞うことに努めてきた。人の上に立つものとしてそういった普遍的な態度がどれほど重要かは、幼いころから王宮で駆け引きを繰り返さなければならなかったせいで体で理解していた。
しかし今は珍しく素直に怒りを表していた。
「お前が非常識で不謹慎なのはもうあきらめたが、まさか子供を虐待するとは思ってもみなかったぞ」
「虐待などしていない」
マアトは椅子に座る玉俊の正面で地面に直接腰を下ろしていた。もううんざりだというような表情で先ほどから玉俊の罵倒に耐えていた。ときどき短く弁明の言葉をはさんでみるが、それは玉俊の神経を逆なでするだけだった。
「いいや、あのありがたくも慈悲深い神様の代弁者であらせられる教会の豚どもが『マアトが子供を虐待している』といえば、お前は子供を虐待していることになるんだ。奴らは用心深いから、全くの事実無根のことはいわないさ。現にお前は最近子供を誘拐してきて、その子供は大けがをしている。」
「誘拐などしていない」
「黙れ、私に口答えするな。一番問題なのはお前は子供の世話をしていないということだ。お前は普段と変わらず私の側近として働いている。忙しくて家にも帰らない。すると子供は家でずっと一人きりだな。子供の世話をお前から申しつけられた優しい下女は、お前を酷いやつだと思っただろう。重症の子供を顧みず、下女に世話をさせればそれでいいと思っている自分勝手で愛のないやつだと。おまけに子供の素性はわからない。下女だって人間だ、何か事件なんじゃと怪しむ。しかしどうだ、国王の寵臣相手にたかが下女が告発なんてできるものか。思い悩んだ末に信心深い下女は教会の豚野郎に打ち明けたのだ。そりゃそうだな、教会は秘密を守るからな」
ぶたやろう、ともう一度玉俊は口にした。
マアトはもう口を開かないことにした。
「だが教会は秘密を守っても豚野郎は秘密を守らない。どうだ、これでお前は子供を虐待したんだ。なんの嫌がらせだ。私は議会を説得して先日から虐待防止法の議論に入ったところなんだぞ。お前に虐待の噂があるのに主人の私が真面目な顔で子供を守れなんか言っていたら、きっと議会の貴族どもは面白がって追及してくるぞ。連中にとって大事なのは真実じゃない。自分たちに都合の悪い議題をけむに巻いてなかったことにしたいだけだ。例えお前が嘘偽りなく事実を訴えたとしても、だらだらと中身のない責任追及が続くんだ。そして私は部下をろくに家に帰らせない悪質な労働環境を強いていると責められるんだ。」
そこまで言ってやっと少し落ち着いたのか、玉俊は深くため息をついた。室内を見渡すと調度品はどれも一級品で、控えめな緑の色使いに重厚感のある柱の色が素晴らしく気品を保っている国王の執務室だ。
しかし、この執務室で気持ちが晴れることなど少しもない。部屋の趣味がよかろうと高級品に囲まれていようと、王宮で生きる玉俊はそれをありがたいと思ったことなど一度もなかった。
面倒事が増えたことにたいする怒りを何とか茶と一緒に腹の中に収めると、先ほどから足元に座っている下僕を見た。
戦士として名高いだけあって体格はいい。いつからか王宮の正殿ではヴェリエール風の恰好をするようになっていた。玉俊と行動を共にすることが多いマアトはヴェリエールの官服を着ていて、髪もヴェリエール人と同じように後頭部で一つに束ねている。アナハバキらしいところといえば髪と目の色だが、マアトの髪は濃い青なのでひょっとすると黒のようにも見える。
マアトは確かに有能だし王宮の事情にも明るいが、マアト自身のこととなると途端に無頓着になる。今回のことはその無頓着さが招いた結果だった。
そもそも玉俊はマアトが子供を拾ったことなど知らなかったのだ。
虐待の噂を慌てて知らせにきた宰相から、半年ほど前にマアトが子供を拾っていたことを知った。そんな事情があったと知っていたら、玉俊も鬼ではないので当然さっさと家に帰らせるなりしていた。しかしマアトは、この自分に忠誠を誓っている男は、もしかしなくても子供のことを自分の命令の二の次に考えている。
「とにかく家に帰れ。子供の世話をしろ。」
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