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葉桜と、花言葉と、後悔を綴る
葉住櫻子という名の女性がいた。容姿端麗、頭脳明晰、性格も温厚篤実と、およそ欠点らしい欠点を持ち合わせていなかった。
彼女は幸福であったし、日常を変える事件も不幸も起こらなかった。
ある日、春が訪れて暫く経った時分に彼女は自ら命を絶った。動機は不明のまま、周囲の人々は大いに悲しんだ。
生前の彼女と大した接点を持たなかった僕だが、学生の頃に一度だけ会話を交わしたことがある。
それは趣味について話しあうをテーマにしたグループワークの時のことだ。
「ゲーム」
「ギター」
「読書」
「映画」
「カラオケ」
「スポーツ」
それぞれが自身の楽しみを、魅力を余さず語り合っていた。
「花言葉」
僕の言に水を打ったような静けさが生まれた。
風変わりなことは自覚していた。まして男が「花言葉」は気味悪いだろう。
そう思ったのは束の間。
グループの面々は、
「え、じゃあ花の名前を言ったら花言葉が分かるの?」
「逆に花言葉聞いて元の花も言える?」
なんて、興味津々だった。
質問に「うん、まあ」と返す。
彼らは「赤い薔薇の花言葉は?」なんて、高い社交性を発揮して質問を続けた。
赤い薔薇は本数で花言葉が変わるんだよ。
僕が答えると、「じゃ、一本だと?」「じゃ、黄色だったら?」なんてさらに話を広げてくれる。
悪い気はしなかったので、丁寧に質問に答え続けた。
「桜は?」
それまで静かに口を閉ざしていた葉住櫻子が声を上げた。
「さくら、自分の名前やっぱ気になるの?」
「そりゃそうじゃない?せっかく花の名前なんだしさ。ゆりだって気になるでしょ?」
「まあね。百合の花はなんなの?」
会話の矛先が名前と繋がった。
失礼にならない無難な回答は、っと。
「百合の花は、純粋とか無垢とか、そんな感じだよ」
「どんな色でも?」
「色で違うけど、純潔とか愛とかそんなイメージが多いかな」
「そうなんだ!なんかイイ感じじゃない?」
ゆりと呼ばれた女性は顔を綻ばせた。
うん、これなら悪い気はしないだろう。
「桜の花言葉も教えてよ」と周囲がせっつく。
「桜は精神の美とか、優美な女性を表すのが多かったはず」
「さくらのイメージ通りじゃん、名は体を表すってことかあ」
ご期待に添えた花言葉を選んで告げた。僕から興味の矛先が外れる。
ここからは仲良い人同士で盛り上がったらいい。
そう思っていた僕に目配せして、葉住櫻子は小さな声で尋ねた。
「桜も色々あるけど、似たような感じ?」
「大体は美しいとか優れるって花言葉が当てはまったはず」
「ハザクラは?」
「えっ?」
「葉桜の花言葉は?」
先ほどまでの口調から一転、冷ややかな響きで問いかける。
話の輪から離れたつもりだった僕は、しどろもどろになりながら記憶をたぐり寄せた。
だが。
「えっと、葉桜は花じゃないから、花言葉はなかった……と思う」
数瞬を置いて。
「そう」
呟いた彼女の目は遠くを見ていた。
その表情は見たことのない憂いを孕んでいた。
すぐに「答えてくれてありがとう」と笑顔に戻った彼女は、それから卒業まで僕と二度と言葉を交わすことはなかった。
これが、僕と彼女の、二人で交わした唯一の会話だ。
そして、彼女が自ら命を絶った唯一の理由なんじゃないかと想像している。
葉住櫻子。
葉櫻。
葉桜。
自分と同じ名前の存在に、花言葉がなかった。
たった、それだけの理由で。
彼女は酷く、深く、絶望に暮れた。
想像だ。
真相は、わからない。
ただ、僕は彼女の死後、花言葉を口にすることをやめた。
花言葉ひとつで救われることもあれば、同じように傷つける可能性があることを悟ったのだ。
たかが花言葉かもしれない。
けれど言葉は、時に人を殺す。
さて。
この話を目にした、物書きの貴方にひとつ問いかける。
人を殺す覚悟はあるか?
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