2 家族

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2 家族

 コンクールが終わって元の日常生活に戻って、またどうってことない大学生活が続いた。ひたすら課題をやって、師事している教授のレッスンや講義を受ける。  勉強ばかりで煮詰まってきたな、と思って遊ぶ時間を作れる友達を探そうとして、ふと気づく。最近、(シン)に会っていない。学校でも会わない。音高時代からずっと友達で一番よく(つる)んでいたのに。こんなにずっと連絡がないことも今までなかったな、と思っていたら、ちょうどその日に眞から電話が来た。いつもたいていメッセージなのに、通話とは珍しい。 「久しぶり」 『うん、久しぶり』  少し前、サークルが一緒の真奈香(マナカ)という恋人ができたと言っていたので、その子と遊ぶので忙しかったのかな、と思っていたのだけど、口調がそれほど楽しそうではない。 「あれ、何かあった?」 『……ああ、まぁ、ちょっとな』  元々それほど話すのが得意でない口下手な眞が、いつにも増して口ごもっている。それでもわざわざ苦手な電話をかけてきたということは、それなりに大事な話があるということだろう。 「会って話す?」 『いや……ちょっと、時間はない』 「そっか。じゃあ、今聞くよ」 『あぁ、うん。あの、さ。ジュンのことなんだけど』  ジュンは、眞の高校時代からの友達だ。と言っても高校は別の学校で、ふたりは有名な指揮者が立ち上げたジュニア・ユースオケの仲間だった。  ジュンは帰国子女で高3の時にドイツから帰国して、それと同時にユースオケに加入して眞と知り合った。日本の3学期制と学習範囲に合わせるために高3を2回やったため、高校時代は同じ学年だったけどジュンの方がひとつ年上だ。  チェロ弾きのジュンと元チェロ弾きでコントラバス奏者の眞は歳が近いこともあって気が合って、それからずっと仲良くしている。僕と眞が浪人している間にジュンは先に僕が目指していたこの大学の学生になっていて、大学では1学年先輩になった。  僕はジュンとは高校の時に眞を介して知り合って、今では普通に友達だ。遊んだことも数え切れないほどあるし、大学の課題でジュンのピアノ伴奏を引き受けたこともある。年齢も学年も上だけど、そんなことは全然気にしていないように接してくれて、飄々としているのに嫌味のない男前だった。 「え、ジュンがどうかしたの?」  眞からの返答がすぐには来ない。その沈黙になんとなく覚悟をして待つ。 『あのさ。前に話したけど、ジュンにストーキングしてた女、覚えてる?』  数ヶ月前から、ジュンがある女に付きまとわれているという話を聞いていた。  ジュンの実家は、日本では知らない人がいないほど有名な大財閥の一家で、祖父が超有名な会長だ。でもジュンはそれを大学でも徹底的に隠していて、眞と僕くらいしか知らない。  ジュンは高級そうな衣類や小物は絶対に身につけないし、バイトもしてるのにいつも金がないと言って貧乏学生のように振舞っていて、大学生活は全く目立たず素性がバレる心配もなかった。弾いているチェロも、家に借りを作りたくないという理由で自分でバイトをして買ったらしい。でも、実家側からの繋がりで避けられない人間関係は多々あるようで、僕らの知り得ないところからのアピールは数もしつこさも相当なものだったらしい。  そして時々、今回のように素人では手に負えないレベルの付きまといが発生して、そうなると日常生活にも支障が出るような状態になるのだと言っていた。 「あぁ、うん。覚えてる」 『その女が、死んだんだけど』 「え……?」  眞から聞かされる話があまりに非現実的で、頭の中で何か物語のような作り話のようなものに変換されて、空想話のように脳裏に映像が浮かぶ。  ジュンに長い間付きまとっていた女が手に負えないくらいおかしくなって、ジュンもできるだけ接触しないように気をつけていたのだけど、先日ジュンが出かけているところをストーキングされて追いつかれて、ジュンに直接接触した。そして、知り合いと数人で歩いているジュンに向かって、自分の腹の中にジュンとの子どもがいるから責任をとって結婚しろ、と迫った。  ジュンが相手にせず立ち去ろうとすると、その女はいきなり目の前の橋の手すりを乗り越えて、結婚してくれなきゃここから飛び降りて死んでやる、と脅してきた。さすがに止めようとして(なだ)めたが聞かず、どうしようもなくなってその場を凌ぐために、わかったからとりあえずこちらに戻って来い、と伝えた。  ようやく説得に応じて手すりの内側に戻ろうとしたその女は、突然バランスを崩して、その場にいる人たちの目の前で橋から数十メートル下の大きな川まで落ちてしまった。 『それで、ジュンもそのまま警察で事情聴取受けて』  本当に長い長い物語を見せられているような気がした。 『目撃者がさ、とにかくたくさんいて、女が言ったこともやってたこともみんな見てて、協力者がいっぱいいたおかげで、ジュンの側に非がなかったことはわかってもらえて』  淡々と話す眞の声は抑揚がなさすぎて、ストーリーテラーとしては二流だな、と思った。それがかえって話の内容のやりきれなさを増長していた。 『携帯の履歴もジュンからは一度もなくてその女から一方的に何百件もメッセージや発信があって、内容も明らかに支離滅裂、本当に意味のわかんないことだらけで。精神科の通院歴もあったし、常用してる薬もあって。亡くなってから調べたら妊娠も嘘……そもそも、ジュンはその女とは一度も関係を持ったことがないどころかふたりきりで会ったこともない、っていうことが全部明らかになって、ジュンは無事に解放されたんだけど』  聞かされた状況を想像するのが怖かった。聞いただけでも恐ろしい出来事なのに、それを目の前で見てしまったジュンは、どんな気持ちでいるのだろう。 『ジュンさ、今、ちょっと家から出られなくなってて』  それはそうだろう、と思う。当たり前だ。それほどのことがあったのだ。よく言われる有名税だとか何かだとしても、それにしても高すぎる。 『寝たり食べたり、も、まともにできなくなってて』  もし自分が同じような目にあっていたら、きっと同じようになったと思う。 『実家から戻って来いって言われても応じないし、実家が手配したハウスキーパーの派遣とかのサポートにもあんまり対応できてないみたいで、俺もできるだけ様子見に行ってるんだけど、なかなか、ね』  僕に、何かできることはあるだろうか。でも、一番信頼している眞が対応してもなかなか上手くいかないところに、僕が入り込む余地はない気がする。 『そんなわけで、俺あんまり余裕なくてライン返したりできないと思うんだけどさ、ちょっと……待ってて欲しい』 「待つよ。待ってるよ。ジュンのことも眞のことも。僕にも何かできればいいんだけど、そういうんじゃなさそうだし。ジュンのことは眞に任せる。でも、眞が何かして欲しいことあったらいつでも言って」  今は余計な手出しはしない方がいい。でも何か要望があった時には必ず応えられるように準備を整えて待っていよう。 『ありがとう。また状況変わったらすぐ知らせるから』 「うん。わかった」  通話を切ってから、僕は力が抜けてしばらくその場を動けなかった。  ジュンの特殊な家庭環境は、一般人の僕らには想像がつかない世界なのだろう。確か、異母きょうだいもいたはずで、金持ちでいいね、というだけでは片付かない様々な事情を抱えているのだろうと思う。  自分が欲したわけではない、持って生まれた運命的な境遇のせいでそうやって不本意な扱いを受ける辛さは、僕は少しだけわかるつもりだ。ジュンとは比べ物にならないレベルかも知れないけれど、と思いつつ、自分の人生ってどんなだったかと思いを巡らせた。  自分の親が世間一般でいうところの「普通にいい親」ではなかった、という事実に気づいた時のあの感覚は、じゃんけんに負けたりくじ引きでハズレを引いたりした時のがっかり感に似ている。物心つく前から当然のように自分の親が世界一だと思っていたのに、もしかしたらそうじゃないのかも知れない、と気づく、あの感覚。あーあ、と嘆いて、残念だと思うのに、そういう自分を可哀想だとは思いたくなくて、ああ、運が悪かったな、と色々なことを諦める。  不運だと思うよくあるハズレ感だけれど、ただひとつ違うのは、親がハズレだった場合はそれが再チャンスやリベンジには繋がらないことだ。  物心つく頃には既に音楽は僕の生活の一部になっていて、やるとかやらないとか、それが選択できるものだという認識すらないほど当たり前のことになっていた。  僕の実の父親は、それなりに名の通った作曲家だったらしい。  らしい、というのは、僕には父の記憶があまりないからだ。そして、実の、というのは、実じゃない父親もいるという意味だ。  父はとにかく忙しい人で、日常生活で顔を合わせたことはほとんどなかった。もちろん、父から直接音楽を教わったことなど一度もない。楽団員だった母は出産してからは仕事をやめ、ほとんどひとりで僕と妹の日向(ひなた)を育ててくれた。父方の方は全く知らないけれど、母方の祖父母はどちらも早くに他界していて、母はひとりっ子。なので、ほぼ母子三人での生活だった。  いないのが当たり前の父だったけれど、小学校低学年の頃にはその父に複数の愛人の影がちらついていることはなんとなくわかっていて、家族の誰もそのことを口にしなかった。時々フラッと帰ってきて家の前に車を停めていて、その助手席に若い女性が座っているのを自室の窓から見かけたことが何度もあった。そして最悪なことに、助手席の女性がいつも同じ人ではないということも確かだった。  小学校3年生くらいの頃、一度だけ、めずらしく家にいた父が母と口論をしているのを聞いたことがある。でも僕はそれを最初は口論だと気づかなかった。そこには熱が全くなかった。ふたりとも感情を全く出さずに言葉だけを使ってやり合っていて、それが子ども心にも不気味で恐ろしくて、父と母はもうダメなんだろうな、と漠然と感じて心のどこかで何か覚悟を決めた記憶がある。  案の定、それからまもなく両親は離婚した。  幸い、その後も経済的にだけは不自由がなくて、衣食住はもちろんだし、自分も日向も十分なレッスンを受けることができていた。当時はそれがどうしてかまだよくわかっていなかったけれど、今思えば、母は父から慰謝料やら養育費やらをたんまりと受け取っていたのだろう。  父は素人が中途半端に教えておかしな癖がつくことを嫌っていて、母が僕らに音楽を教えるのを禁止していたらしい。それで父が手配してくれたピアノの先生についていたのだけど、父からの要望があったのか、その先生は僕にはピアニストになるためのレッスンではなく、作曲するための土台を作るような地道なレッスンをしてくれていた。そのおかげか、いつしか自然に自分でも曲を作るようになっていた。  自分の能力がどうやって身についたのかとか、生まれ持った素質があったのかとか、そういうことを改めて考えたことはない。だから、親の職業や教育方針に感謝したこともないし、逆に不満を持ったこともない。  でも、今こうして音楽を続けることで自分が世の中とどうやって関わっていけるのか、それは常に不安や疑問とともに考えていることで、コンクールの裏側やジュンの事件のことを考えると、自分にとっての音楽そのものの存在意義みたいなものがおおいに揺らぐのを感じる。  好きなことと得意なことは必ずしも一致するわけではない。やりたいこととできることも然り。自分の中だけで考えてもそれだけ不安定なものが、他人から評価を受けるコンクールや生まれ持った家庭環境の影響でさらに不安定になっていくのは、避けられないことだとわかってはいても簡単に納得できるものでもない。そう思うと心はますます音楽から離れていってしまいそうで、音楽の中で生活するのが当たり前になっていたはずの僕は、アイデンティティそのものが脅かされているのではないかと焦る。  ジュンは今、きっと色々なものと戦っている。彼は確固たる自分というものをしっかり持っているし、自分の意思とか目標とか希望をちゃんと堂々と提示できる人だ。今は、自分だけの力ではどうすることもできなかった現実と、ちゃんと向き合っているのだと思う。  それはもしかしたら運命とも呼べるような類のものかも知れなくて、それが自分の努力や工夫でどうにかできるものなのかそうでないのか、できるとすればそれはいつからどういう方法でなのか、そういうことをきっと考えているのではないかと思う。  家庭環境なんて、子どもにとっては最も不可抗力的な要素で、自分ではどうすることもできない最たるものだろう。でも、そろそろそこから抜け出そうと思えば抜け出せるような歳になってきていて、たまたまジュンはその境遇ときっかけが強烈だったからしんどそうだけれど、でも絶対にまたちゃんと自分の足で歩いて出てきてくれると僕は信じている。  僕の家庭環境は、僕の人生にどんな影響を及ぼしただろうか。ジュンのことを考えていたはずなのに、思い出したくもない苦い記憶がボロボロと蘇ってくる。考えたくない。それなのに、溢れるように蘇る記憶に溺れそうになる。別のことを考えようとして気分転換を試みたけれど、却って余計にピンポイントで記憶にアクセスすることになってしまって、最後は諦めた。  ジュンも戦っているのだ。それなら、僕も今は受け止めてみようと思う。成すがまま、成り行きのままに。  中学2年の時に母親が突然再婚して、また4人家族になった。  母は特別美人というわけでもないし、スタイルが良いわけでもない。それなのにどういうわけか金持ちを捕まえるのが上手で、再婚によって前夫からの養育費が打ち切られたけれど次の夫も金持ちで、生活に困ることはなかった。  新しい継父は、仕事上の立場も良く、経済力もあって、一見、人格者のようだった。40歳を過ぎていたのに初婚で、突然大きな子どもの父親にもなって、戸惑いやプレッシャーがないはずはなかった。対外的には、そういう部分も頑張っているように振舞っていた。妻に対しても、良き夫、良き父になる努力をしているように頑張っていた、ように、見せていた。  ただ、圧倒的にクズだった。僕と日向に対しては、母の見ていないところでは別人かと思ってしまうほどクソみたいな態度をとる。バカ、アホ、クソガキ、と信じられないほど幼稚な言葉で僕らを罵っていじめた。小学校6年生だった日向はその姿に怯えきっていて、継父がいる時にはいつも部屋にこもっていた。    思春期真っ只中の最強に多感な時期に親が再婚するという残念な出来事があって、僕の感性は少しずつ真っ当な表通りからズレ始めた。それまでも自分を素直だと思ったことはなかったけれど、その頃から僕は自分がひねくれていると自覚することが増えた。それと同時に、自分はどこかが周囲の人たちと違うような気がする、という違和感を持ち始めた。  クラスメイトたちが恋愛だのエッチだのとキャーキャー言い始めて、何組の誰々が好きだ嫌いだ、あいつとこいつは両思いだ、などど浮かれ始めた頃、僕は女子に対してそういう気持ちが全く湧いてこないことに気づいた。思い返してみても、過去にも女子の誰かにそういう気持ちを抱いたことがない。  仲の良い友人達が、痩せてる子が好きだとか、目の大きい子が好きだとか、女はやっぱ巨乳だぜとか、そういう話題で盛り上がっていても、僕は何も興味を惹かれない。それどころか、本質も知らずにホイホイ金持ち男を好きになって結婚を繰り返している母親や、自分の意見を何も言わず嫌なことからはひたすら逃げてばかりの妹をずっと見てきて、異性に恋する気持ちや憧れがこれっぽっちも芽生えてこないことを思い知る。  でも最初はそれを、自分がひねくれているからだと思っていた。みんなが良いと感じていることを天邪鬼(あまのじゃく)的にスルーしているのだと勘違いしていた。  そしてある日、衝撃の真実を思い知ることになる。  母が録り溜めたコンサートや映画のデータを整理がてら観ていたら、とある音楽番組の録画があって、若手指揮者の特集が組まれていた。まだそれほど名が売れていない駆け出しの指揮者の男性が3人ほど紹介されていて、実際にプロオケで振っているシーンもたくさんあった。  そして、その中で最後の方にクローズアップされていた背の高い新米指揮者を観て、僕は明らかに普段と違う高揚感を覚えた。  ゾクゾクと背骨が震えるような、じっと座っていられないような、なんともいえない、それまで感じたことのない落ち着かない気分。下手したら高校生くらいに見えるほど若々しいくせにビシッとした燕尾服で本番を振っている勇姿に釘付けになり、少し長めの髪が振り乱れるのを凝視した。やたらと長い腕がダイナミックに振り回される迫力に惹き込まれた。動きが少ないところで映し出されたタクトを摘む指がやたら綺麗で、その長い指先の爪も丁寧に切り揃えられているのを見てたまらなく興奮した。人差し指をタクトに沿わせるように伸ばす独特の持ち方が印象的で、食い入るように見た。  それから、本番が終わって楽屋に移動して、そこでジャケットもワイシャツも脱いでTシャツ姿になったその細いのにぎゅっと筋肉の詰まった美しいラインの腕を観て、勃起した。インタビューの内容なんて全然頭に入ってこなかった。大きな手のひらや長い指とバランスが取れている長い腕に、触りたいと思った。触られたいと思った。女の胸なんかより、ああいう腕に触りたい。触られたい。  それから、少し遅めの性の目覚めを迎えた僕は、好みの男の腕や体の画像を漁った。目覚めのきっかけになった指揮者の番組は、一度観たっきり封印した。誰かひとりの実在する人にハマるのが怖かったからだ。  親から与えられたパソコンやスマホにはキッズブロックがかかっていて、エロ動画はなかなか観ることができなかった。でも画像なら、エロ目的では作られていないけれど僕にとってそういう対象になるものが簡単に観れた。興奮した。あまりに興奮しすぎて不安になって女性の画像も色々観てみたけれど、そちらには全く心が動かずに愕然とした。僕は、そういう種類の人なんだ、と。  そんな秘密を抱えるような思春期をひとりで爆走していたのだけど、そこは中学生、詰めは甘い。油断した思春期男子と一緒に暮らしているのは、意地悪な継父。秘密はいとも簡単にバレた。それはそれはあっけなく。  学校に行っている間に継父が僕のスマホの保存画像を観て、男の体の写真ばかりなことに気づいた。意地悪な継父がそれを黙って見過ごすわけがなかった。 「おまえ、ホモか?」  母と日向が買い物に行っている時に、狙ったように詰問してきた。 「違う。憧れて、トレーニングの参考にしようと思って」  継父は性格は悪かったけど、頭はそこそこ良いらしかった。慌てて言い訳したのだけど、嘘はすぐに見破られて、どんどん追い詰められていった。  それからの僕の生活は、文字どおり地獄だった。  レッスン料や学費はちゃんと出してくれていたので、僕は無事に第一志望の音楽高校に進学できた。でもそれを、継父は僕を脅すネタにした。誰が金出してやってると思ってるんだ、というお決まりのセリフを、イントネーションやトーンまで全て覚えてしまうほど何度も何度も聞かされた。  継父はことあるごとに僕とふたりきりになりたがった。母と日向に用事を言いつけて出掛けさせた。休日はそうなることがわかっていたので、自分で用事を作って外出するようにしたのに、電話で呼び戻されたり、外出に付いてこられたりした。そして、はじめは暴言だけだったのが、少しずつ手が出るようになっていった。  顎の骨が砕けてしまいそうなほど強く掴まれ、至近距離で罵られる。 「ホモガキが! 調子に乗ってんじゃねぇ!」 「女みてぇに男に犯されてぇんだろ?」 「なんだその目は! 言いたいことも言えねぇのかオカマ野郎!」  まず、今時ホモという言葉を使う人がいるのかと驚いた。それから、ゲイとオカマがイコールになっているところがとても残念だ。さらに、ゲイがみんな女みたいに男に犯されたいと思っているという考え方に至っては、もう哀れにすら思うほどだ。それはゲイにだけではなくストレートの女性に対しても非常に失礼で偏見に満ちた思考だ。そして、言葉のチョイスがいちいち古臭いなぁ、と笑いそうになった。  思いつく限りの侮蔑の言葉を浴びせられる日常が月単位から年単位にまでなって色々な感覚が麻痺してきていた。そして、自己肯定感は落ちるどころか消えてなくなる気がしていた。それでも学校にだけは通い続けた。それができなくなったら僕は本当におしまいだと思ったからだ。  高校生になってからスマホやパソコンからキッズブロックが外されてネットが自由に使えるようになって、継父のような人のことをホモフォビアというのだと知った。  嫌いなのは仕方がない。一緒にいれば多少は悪口も出るかも知れない。でも、明らかに自分より小さくて弱い人間をここまで痛めつけるのはどうしてなんだろう、と不思議に思う。顔も見たくないほど同性愛者が嫌いなら、接触しなければいいのに。無視して、避けて、居ない人のように扱えばいいのに。そうしてくれれば僕だって、できるだけ邪魔にならないように、視界に入らないように、家の中で接触しないように気をつけて生活するのに。  継父の暴行は一向におさまらないどころか、徐々にエスカレートしていった。  頰を平手打ちされたり、腕を痛めるほど()じ上げられたり、というような暴行にもほとほと慣れてきた頃、暑くてイライラしていたのか、継父はたまたま近くにあった荷造り用のビニール紐で僕の両腕を後ろ手に縛った。細い紐でただ無闇にぐるぐると巻いただけなので、部分的に食い込んでものすごく痛かった。  そして、痛みで膝が抜けてその場に座り込んだ僕の背中を蹴ってから踏んづけて、腕だけを後ろ側に引っ張り上げた。肩の関節の痛みに思わず叫ぶと、僕が着ているシャツの裾を口に突っ込まれた。  腕は、嫌だなぁ、と思う。せっかく音楽高校に入れたのに、楽器弾けなくなったら退学になるかなぁ、と心配になった。  普段の穏やかそうなあの顔の裏にこんな顔が隠れているのか、と、僕は割と冷静に観察していた。痛いし苦しいけれど、しんどい自分に意識を向けるより目の前にいる異常者を観察する方が気が紛れると思った。 「てめぇ、ナメてんのか」  継父はそう言うと僕を無理やり立たせて、そのままズルズルと風呂場へ連れて行った。それから一度風呂場から出て行くと、手に焼酎のボトルを持って戻って来た。  あぁ、これはもしかしたら殺されちゃうかな。きっとあれで殴り殺されたりするのかな。そう思って、まぁそれも仕方ないか、と思い直す。  よく小説などに出てくるキツい殺され方の中に撲殺はなかったような気がするけれど、僕が読んでいないだけだろうか。撲殺が苦しい殺され方ランキングの何位なのかはわからない。できればしんどくない方法がいいなぁ、などとぼんやり考える。  突然、髪を掴まれて思い切り天井を仰ぐような角度まで上を向かされて、顔を殴られるのかと焦った。それはさすがに周囲にバレる。そう思って逃げようかと考えていたら、上を向いたせいでだらしなく開いた口にどぼどぼと焼酎が流し込まれた。  予期していなかった状況に、僕は猛烈に()せた。噎せて吐き出した息を今度は吸いたいのに、口の中にはまだ液体が残っていて、それを一緒に吸い込んで、さらに噎せた。 「もったいねぇな、こぼすなよ」  水とは違う刺激の強い液体に溺れるように、僕は何度も何度も噎せた。苦しくて、痛くて、これは本当にもうダメかも知れない、と思う。  そうか。撲殺ではなく、窒息死狙いか。  思うように呼吸ができなくて気が遠くなりそうになると、また髪を掴んで今度は床に這いつくばるように下向きにさせられた。やっと口の中が空になって、存分に咳き込むことができた。それでも苦しいことに変わりはなくて、とにかく気管にまで入り込んだ酒を少しでも吐き出そうと、必死に深い咳を繰り返した。  ようやく息が通って死ぬかも知れないという恐怖からは離脱できたとホッとしたのに、また同じように髪を掴まれて上を向かされて、酒を流し込まれる。その繰り返し。何度も何度も強いアルコールを飲まされて、喉が焼けるかと思った。口から溢れた酒が当然、鼻にも目にも入って、痛いし苦しいしどうにもならない。  少しして、僕は自分の感覚がいつもと違うことに気づいた。耳や首のあたりが熱くて、頭の周りをビニールが一枚囲っているような、初めての感覚。目の前に見えているリアルから主観が切り離されて、一段上から客観的に俯瞰で見下ろしているような違和感。暴行を受けてキツいはずなのに、その苦痛は僕の自覚から少しだけズレていて、まるで痛い思いをしているのが自分ではない誰かなのだというふうに勘違いすることができるような気がした。 「ヘラヘラしてんじゃねぇよ」  ヘラヘラなんてしているつもりはないのに、と思っていたら、いつのまにか僕は、腕を解いてもらえないまま、ジーンズとパンツだけ引き剥がされていた。  いやだ。嫌です。やめてください。やめろ。やめて。言い方を変えて色々と言ってみたけれど、聞き入れてくれる様子は皆無だ。 「なんだよ、こういうのが好きなんだろうが」  そう言って僕の全く昂っていない股間を素足で踏んできた継父は、あからさまに嫌な顔をして、害虫でも見るような目で僕を見下ろしていた。 「気持ちわりーんだよ、クソホモが。変な声出してんじゃねぇ」  冷たい浴室の床に転がった僕の髪を、継父は鷲掴みにした。 「俺はホモじゃねーからな。てめぇのシュミなんかわかんねーよ」  肩が痛い。腕も、痛い。踏まれた股間だって普通に痛い。タマが袋の中でありえないくらいひしゃげて繋がっている管が切れそうだし、サオだっていくらフニャフニャでもこんなに踏まれたら痛いに決まっている。  そんなにされたら生殖能力がなくなってしまうかも知れない、と思ったけれど、僕にはそんなものは必要ないのだっけ、と思い直す。それならいいか。僕の生殖器がどんなことになろうが、たいした問題ではないのかも知れない。  こんなところで尻丸出しで、僕はいったい何をさせられているんだろう。こんなことの何が楽しいのだろう。  そもそも、これは何て呼べばいい行為なんだろう。  こんなに辛いのに、どうして自分は逃げたり抵抗したりしないのかと不思議に思う。もし僕がここで継父に逆らったらどうなるだろう。そう考えて、日向の存在が浮かんだ。そうだ。継父は別にゲイでもないのだから、男の僕にこれだけのことをするということは、日向にも何かするかも知れない。それなら僕がこうして相手をしていた方がまだマシだ。  世の中にはもっともっと大変なことがある。耐えられないような悲惨なことがある。そういうのに比べたら、こんなことは大したことではない。大丈夫だ。  ぼくはまた、継父が僕に何回「ホモ」という言葉を吐くのだろう、とカウントすることに注力した。10回くらいまでは数えられた。でも、同じ数字を何度も繰り返して数えていることに気づいて、これってもしかして酔っ払っているってことなのかな、と理解する頃には意識をほとんどなくしていた。    それ以降、継父は事あるごとに僕を暴行した。いつも決まって同じ酒を持ってきた。  はじめの頃、僕は律儀に「こぼすな」という指示を守って、与えられる酒をできるだけちゃんと飲んだ。そして、酔い潰れて、おそらく急性アルコール中毒を恐れた継父に無理やり揺り起こされて腹を押されたり喉に指を突っ込まれたりして強引に何度も吐かされて、心身ともにボロボロになった。だから、慣れてきてからは自分で飲み込む量を密かに調整した。  確かに、お酒が入ると苦痛が多少緩和されるのは事実だ。だから完全拒否にはしなかった。でも、ある程度以上は後がしんどいのがわかったので、ちょうどいいところ以降はできるだけ飲み込まずにさりげなく吐きこぼすようにした。 「音大に進みてぇんだろ? じゃあおとなしくしてろ」  高校の学費を脅しのネタにした次は、大学進学で来た。  僕もバカなりに将来のことは考えていた。早くこの家を出たい。そのためには早く自立できなければ。音楽は世間一般と比較しても得意と言える分野で、それで稼ぐのが一番効率良くて手っ取り早い。だから音大へ進むのは必須で、そのためには普通の大学へ行くより多くのお金が必要だった。それを、このクソ継父は出してくれると言う。この男の言うことを聞けば、だ。さんざん僕らを罵りながらもちゃんと学費は出してくれている。だからきっと、嘘は言っていないと思う。母への体裁を取り繕っているのだろう。フリーターになってすぐにでも家を出る方法もあったけれど、今はまだ日向を置いては出て行けない。  進学のことと、日向のことと。そういうことを総合的に考えても、今は抵抗は得策ではないな、と判断した。このくらいのことで進学も家庭もうまくいくなら、なんとか耐えられるかと思った。レイプされているわけでもないのだから、まだ耐えられる。継父がホモフォビアで良かったな、とさえ思った。  そんな地獄のような日々が何ヶ月も続いて、僕が体調を崩すことが増えてきたことで、母が何か勘付いたようだった。トイレに何十分も篭って吐き続けたり、学校で貧血のように倒れたりすることが増えた。常に胃が痛くて食事量が明らかに減った。  頭脳派の継父は着衣時に目立つ場所には暴行しなかったけれど、服に隠れる場所は当たり前のように痣ができるほど痛めつけられて、体も心も限界が来ていた。もしかして助けてもらえるかも、と期待をした。でも母は何もしなかった。  そして、継父は僕を自由にできて調子に乗ったのか、とうとう日向に手を出そうとした。  ある日の夕方、母の外出中に風呂に入ろうとした日向が裸になったところ、継父は脱衣所に乱入した。日向が絶叫していたのを、たまたまちょうど帰宅した僕が玄関で気づいて駆けつけ、裸のまま床に尻餅をついて泣き叫んでいる日向に手を伸ばしている継父を蹴り倒した。学費や将来のことなんてもうどうでも良かった。  僕の飛び蹴りを食らって吹っ飛んだ継父は浴室のドアに激突し、プラスチックのドアが外れて驚くほど大きな音を立てた。やったこともない飛び蹴りで自分も派手に床に倒れて身体中を打ち付けたけれど、痛がっている場合ではなかった。バスタオルを日向に投げ渡して脱衣所から出ていくように告げ、倒れている継父を取り押さえようとした。でも、体格が違いすぎた。どちらかというと小柄な僕は180cm超えの大男にあっという間に反撃されて、しこたま殴られた。側頭部や頬を拳で殴られ、目の前が霞んだ。  もしかして僕は、生きる道を、人生の選択肢を選び間違えたのかも、と思う。自立するために音楽を、なんて悠長なことを言っている場合ではなかったのではないか。自分や家族の身を守るために、格闘技か護身術かその辺りのものを修得しておかなければならなかったのではないか。でももう遅い。  首を絞められ、意識が揺らいだ。酒ナシで受ける暴行ってこんなに痛いのか、と痛感した。このまま死ぬのかも、と思ったけれど、それでこの男の暴走を止められるのならそれもいいのかも知れない。せっかく死ぬのなら、絶対にこのことで逮捕されてくれ、この家と縁が切れてくれ、とそれだけを願った。  ただ一方的にやられるだけなのはやっぱり悔しいので、せめて死ぬ前に一発でも殴り返してやりたいと思ったけれど、それはなかなか難しかった。  これは本当にダメかも知れないな、と思っていたら、隣の家の大学生が日向と一緒に駆け込んできた。日向はもうちゃんと服を着ていて、怪我もなさそうで、あぁ良かったな、とホッとした。大学生が継父を羽交い締めにして何やら叫んでいた。僕はもうよく音が聞こえていなくて、大学生がサンダルのまま家に入ってきていたのを見て、あーあ、床の拭き掃除しなくちゃいけないじゃん、などと考えていた。  そして、気づいたら救急車に乗せられて酸素マスクを着けられていた。  母がいた。まだ走り出していなくて家の前に停まっている救急車の中で、僕は救急隊の応急処置を受けていた。顔や頭が痛くて、目がちゃんと開かない。  そうか、僕は死ななかったんだ。とっさに、両手の指を一本ずつ動かしてみる。大丈夫だった。全ての指がそれぞれ単独で思うように動かせた。指も無事だし、脳も大丈夫そうだった。良かった。またピアノが弾ける。  母は険しい顔をしていた。救急車のドアがまだ開いていて、すぐ後ろにパトカーが停まっているのが見えた。そんな車まで来たのか。誰が乗っているのかはわからない。首にコルセットが巻かれていてほとんど動かせず、ちゃんと見ることができない。 「吐き気はないですか?」  救急隊員の問いかけに、僕は小さくゆっくり頷いた。 「痛み止め入れますので、もし眠くなったら我慢しなくていいですからね」  そう言われて、僕は今どこか痛いのかな?とおかしなことを考える。頭も顔も口の中も首も痛い。どこもかしこも痛い。めちゃくちゃ痛い。でもその痛みと、どこが痛いという認識が、どうにも一致しない。やっぱり頭を打ったのかな、と不安になる。色々考えているうちにボーッとしてきて、異様な眠気を感じた。もう意識が落ちそうだな、と思った時、母が小さく呟いた。 「ごめんね」  何が、ごめん? 僕があいつにここまで殴られたこと? それとも、僕が殴られていることに気づかなかったこと? あるいは、気づいていたのにずっと黙認して放置していたこと?  考えなくちゃいけないことが山ほどあるのに、僕の意識はもうもたなかった。いつのまにか、真っ暗な音のない世界に引きずり込まれていた。  それから5日間ほど入院した。色々と検査をした。骨折や脳出血などはなく、打撲と精神的なダメージがひどかった。カウンセラーが何度も病室に来た。  暴行された時に下着を脱がされたり性器を踏まれたりしたけれど、警察の事情聴取の結果、そこに猥褻な意図はなかったと解釈されて、性的虐待の有無で主治医と他の医者たちとで意見が割れた。そのことで何度も僕への聞き取りや医者同士の話し合いが繰り返された。  僕の精神状態が最優先で配慮されながらゆっくりとただ話を聞いてもらえる時間は、僕がこうして生きていることを(ゆる)されたような不思議な感じがして、心地良かった。僕が受けた暴力について説明するのはやっぱりしんどかったけれど、自分の味方になってくれる人がいるということを知って、救われた気がした。安全な場所で守ってもらえることが嬉しかった。この時間が永遠に続けばいいのに、と思った。  退院して自宅に戻って、母から、継父はあのまま逮捕されたと聞かされた。思ったより心が動かなかった。とりあえずあの暴行にもう遭わなくていいのだと思ったらホッとしたし、日向にももう危険が及ばないとわかって安心した。  中学3年という幼さで継父からレイプ未遂に遭うという悲劇は、男の僕が殴られるのとは比べ物にならない怖さがあるだろうな、と思う。実際、日向はあれからカウンセリングに通っていて、学校にもそれまで通りには通えていない。  緊急車両が何台も来ていたので近所には噂が広まったけれど、日向のことはうまく隠されてストーリーが作られていて、よくある継父の連れ子虐待事件として伝わっていた。  僕は体の痣や傷が落ち着くまで半月くらい学校を休んだけれど、見た目がほとんどわからなくなってすぐ学校に行った。嫌なことがあった家にいるより気が紛れて良かった。休んでいた理由は学校側には事故に遭ったということにしてあったけれど、誰もそれを疑ったりせず、ただ心配してくれただけだった。  あの男があれからどうなったのかは正直どうでも良かった。  そして、当然のことながら母と継父は離婚した。  そういえば、継父が母や妹に僕がゲイだということをバラさなかったのはどうしてだろう、と考える。僕を苦しめるのが目的なら、バラせばもっと色々大変なことにできただろうに。でももしかしたら、僕がゲイだと家族が知ったら僕が家を追い出されたりして継父が僕をいじめる機会が減るかも知れないとか思ったりしたか。それか、さんざんやりたい放題したお詫びに他の人には黙ってくれたとか……ってことはないか、とさすがに思い直した。もう多分一生会わないだろうから真相は分からずじまいだけれど、結果的に継父以外にはバレていなかったようで、とりあえずホッとした。  母は相変わらず強かで、逮捕され弱り切っている元継父から時間をかけて慰謝料を分捕った。それは、ぼくがこのまま音高に通い続けるためには事足りる額で、まるで罪滅ぼしをするかのようにその金を僕に使うことに躊躇がなかった。でも母はそれでも僕に面と向かってちゃんと謝罪することはなかった。救急車の中で一度だけ聞いたあの言葉も、何についての謝罪の言葉なのか確認できないままで、なんとなくそれには触れてはいけない空気が出来上がっていた。  与えられた環境で、十分な金を使って勉強させてもらえることに、それまで何も疑問を持たずに生きてきた。でも、そんな事件があってから、僕が音楽を続けるためにそんなやつから奪った金を使うことにどんな意味があるのだろう、と考えるようになった。  金に罪はない。金は金だ。でも、その金を手に入れた過程を考えると、それを使うことの意味も何か変わってしまうような気がした。  それでも、音高での高校生活は楽しかった。  中学までは、音楽が得意な存在は周囲にとっては割と異質で、その感覚を分かち合える仲間はほとんどいなかった。でも音高に行ったら周囲は同じような能力を持った人だらけで、詳しく説明しなくても少し音を出しただけで話が通じる仲間と過ごすのは面白かった。  色々な楽器が得意な人がいて、持っている感性もそれぞれで、関われる世界が広がった気がした。あとは単純に、中学校までとは違って高校は家庭との繋がりもだいぶ希薄になっていて、家庭とは隔離された別世界のようで、それだけで気持ちが軽くなった。  たまたま入った部活で眞と知り合って、性格も相性が良くて仲良くなった。眞は高校生ではとても珍しくコントラバスを弾いていた。幼少期からチェロを習っていたのだけれど、中学の時にユースオーケストラでコンバスを担当してからそちらに転向したそうだ。ジャズ研の友達に頼まれてウッドベースでライブに参加したりもしていて、その柔軟なセンスはすごく刺激的だった。  暗黒の中学時代や家での地獄を忘れてしまえるくらい、高校時代は楽しかった。あの事件を知っている人は、眞以外にはひとりもいない。一番仲良しの眞にはだいたいの経緯は話したけれど、それについて何か口を出したりはしないでいてくれたし、事件前も事件後も全く同じ態度で接してくれた。音高独特の激しい男女交際事情にだけはどうしてもついていけなかったけれど、僕にとってはそこは大した問題ではなかった。相変わらず僕は同性に惹かれたし、近付きたいと思った人もいた。でも、元継父に知られて大変な目に遭った経験から、ゲイであることは絶対に誰にもバレないように慎重に過ごした。眞にすらも。   あの悲惨な出来事は、クローゼットゲイの瑣末(さまつ)な恋心を隠滅する理由としては十分すぎる事件だった。  母が継父と離婚してからの音高での唯一の不安は、経済事情だった。  言うまでもなく、音楽の世界はセレブが多い。音高の生徒も、裕福な家庭に生まれ育った子が断然多い。そんな中、僕の家はまた母子家庭になってしまって、元継父からの慰謝料は僕の学費とピアノのレッスン代になってしまったので、余裕はあまりなかった。音高がやっとで、音大進学は難しいかも知れないと覚悟していた。国立は能力的に無理だという自覚があって私立を志望したので、なおさらだった。  予想通り、現役で音大を受験することはできなかった。僕は浪人生という形を取りながら、ピアノの先生には師事したまま、バイトをして学費を稼ぐ事にした。眞は藝大を目指したけれど受からず、もう一度だけ挑戦したいからと浪人を選んだ。再び一年後に一緒に音大を受けようと励まし合いながら、それぞれの浪人生活を始めた矢先、母がまた再婚した。正直、祝う気持ちはもうなかった。またかよ、と思っただけで、あとは名字がまた変わることがとにかく面倒なだけだった。日向に聞いてみると、日向はもう再婚相手と何度も会っていて、今度の人は良い人だと言っていた。  前の継父に怖い目に遭わされた日向はおそらく相当慎重なチェックをしたはずだ。その日向が言うのだから、きっと本当にそうなのだろう。母の懲りなさに呆れたと同時に、やっぱりホッとした部分もある。今度こそ普通の家庭を築いて欲しい。普通でいい。問題を起こさない家庭になって欲しい。それだけを願った。  驚いたことに、母の再婚相手はまたしても金持ちだった。いったいどうやってそういう人を探してくるのか。鼻が利く、ということもあるけれど、ただ見つけるだけでは結婚はできない。母のすごいところは、そういう金持ちに好きになってもらえるというところだ。僕はそれだけが未だに理解できない。  金持ちの新継父のおかげで、僕はそんなにバイトに時間を割かなくても音大に進学することができた。私立大だったので相当金がかかったはずだけど、新継父は文句ひとつ言わず、必要な金は全て出してくれた。父になってまだ1年も経たないうちにそんなことまでしてもらって、申し訳ない気持ちもあったけれど、有難いことに変わりはない。そこは心から感謝をしてその意を伝えた。 「ぼくは音楽にはあまり詳しくないけど、ぼくなんかが朝陽くんにしてあげられることがあるなら、何でも協力するからね」  そう言って照れ臭そうに笑う新継父は、母にはもったいないくらい本当に良い人で、僕はなぜか猛烈に申し訳なく思った。母はもうどうでもいいから、この人には幸せになって欲しいと願った。  眞は2度目も藝大は受からず、結局僕と同じ私立音大に行くことになった。当然がっかりしていた眞には申し訳ないけれど、僕は密かに嬉しいと思っていた。眞は僕にとっては全く恋愛対象外だったけれど、友達としては本当に好きだったので、またこれからも一緒に学校に行けるのは本当に嬉しかった。  僕は音大では作曲学科に在籍し、副科でピアノを専攻した。器楽学科の副科ピアノよりかなり高いレベルを要求されたけれど、ピアノは得意だったしやりがいはあった。眞は器楽学科弦楽器専攻で、サークルも別々だったけれど、付かず離れずのちょうどいい距離で友達関係は続いていた。  新しい継父はそれからも本当に優しくて良い人だった。それでも僕は以前のことがトラウマになっていてどうしても完全には心を開くことはできずにいた。僕にも日向にも母にも満遍なく優しくしてくれているのに申し訳ないな、と思いつつ、やっぱり気まずい日常は変える事ができなくて、僕はできるだけ家にいる時間を減らした。バイトやレッスンを理由にして。  贅沢だという自覚はある。これだけ色々与えてもらっているのに、まだ僕は、自分がこの生活を送れていることに自信を持てずにいる。  音楽に触れることは単純に楽しい。でも、そこに意味を求めると、答えは出ない。しかも、僕の専攻は作曲だ。音楽がなくても誰も飢え死にしないし、音楽のおかげで戦争がなくなったりするわけでもない。作曲が世の中でどんな役割を担えるのだろう、と考えると、ますます自信がなくなった。  ジュンの復活を心から願っている。ジュンの音は気に入っている。彼の性格を表しているような穏やかなチェロの音も、テクニックにこだわらずジャンルにも囚われない感性も、羨ましく思うほど心地良い。ドイツにいた高校時代にやっていたメタルバンドも聴いたけれど、めちゃくちゃかっこよくて、高校生とは到底思えないレベルのパフォーマンスクオリティに衝撃を受けた。僕はロックはできないしバンドも組めないけれど、そんな僕でも悔しいと思ってしまうほどかっこよかった。  あんな有能な人が家から出られなくて腐っていくのは耐えられない。僕みたいな平凡でつまらない男がのうのうと音大なんかに毎日通っていて罪悪感さえ感じてしまうほど、ジュンは本当にスゴいのに。ジュンがここで音楽を続けられなくなったら、僕なんかはもっと続ける意味なんてなくなる。  ジュンが戻ってきてくれることを、僕はジュンのためだけを思って願っているのではないのかも知れない。僕はズルくて弱いので、ジュンが戻ってきてくれることによって僕も音楽を続けていいのだと思いたいだけなのかも知れない。  それでも僕は、祈って祈って、ただひたすらジュンが復活するのを待った。  学年末、まだ朝夕にひどく冷え込んでせっかく芽吹いた新芽が凍えそうになっている頃。ジュンが、学校に来た。  僕の祈りが届いた、なんていうことはない。ジュンが頑張って、眞もそれを助けた。それだけだ。2年の後半を何ヶ月間も休んでしまったので、来年度は留年してもう一度2年生をやることになったけれど、大変なことがあった後だし、急ぐ必要はきっとない。 「ジュン。久しぶり」 「あぁ。うん。心配かけてごめん」  数ヶ月ぶりに会ったジュンは、だいぶ痩せていたけれど、以前と同じように飄々とした笑顔を浮かべていた。僕はあまり特別な態度を取らないようにして、以前と変わらず接するように心がけた。高校時代に眞が僕にしてくれたように。  僕と眞は進級して、留年して同じ学年になったジュンとは一緒に過ごす時間も増えて、ジュンも少しずつ元気になっていっているように見えた。時々、ジュンのチェロを聴く機会があって、その音が以前と変わっていないことを知って密かに歓喜した。ジュンの音は健在だった。  一度、ジュンが出て来られるようになったきっかけが何だったのか知りたくて、眞に訊ねたことがある。 「いや、別に……特に何もしてないけど」  そう言うだろうな、とは思った。 「ただ……」  眞は静かに言う。 「ジュンはやっぱり、音楽が好きなんだと思う」   ジュンが復活したきっかけを訊ねた。その答えが、音楽が好き。それが理由になるのだろうかと驚いた。音楽が好きなことが、また前向きに生きていくきっかけになるというのか。  音楽を好きか嫌いかというふうに考えたことが今まであっただろうか。生まれた時から当たり前のように身の回りにあって、何の疑いも持たないまま触れてきた。楽器もいくつも弾けるし、曲も作るし、音楽がない生活は考えたことがない。では、好きかと考えるとどうなのだろう。  息を吸うのは好き?と訊かれたような不思議な感じ。  どんなに考えてもわからない。    それ以降は僕も仲間内でそのことを話題にはしていない。今まで通りに大学の音楽仲間としてみんなと過ごす時間は楽しくて、ただ居心地が良かった。  音楽をやる意味。そこに考えが及びそうになって、あわててストップをかける。僕にはまだそれを考える余裕がない。ジュンが順調に復活してきたので、僕もそういうことを考えても良いような気になっていた。でも、まだやっぱり無理だ。  教授からいくつかコンクールのエントリーを薦められたけれど、全て断った。今年は何も出さないと決めた。  家庭も、大学生活も、至って順調。何も問題はない。その全てを、今はただとにかく大切にしたい。少しでもバランスを崩したら全てがガタガタに壊れてしまうような気がした。余計なことは考えたくなかったし、余計な火種はできる限り排除したかった。そして幸運なことに、僕が置かれた今の環境はそれが許されていた。
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