「大丈夫!」

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ここに、一本の傘がある。 折り畳みの傘。黒で柄はないけど、取っ手部分が猫のしっぽになっている。この傘は、私が兄の誕生日にプレゼントしたもの。  これは、形見。 6月の雨が降ったある日、兄の園田希生(そのだきい)は亡くなった。道路に横になって怪我をして動けない猫を助けていたその時、雨でスリップしたバイクが兄の方に突っ込んできた。 近くにいた人が救急車を呼んでいるのが見えた。 私はその様子を見ていた。最初は兄だとは分からなかったが、落ちていた傘を見て「あれ?」と思って少し近くまで行って見た。兄だった。私はすぐに駆け寄り兄を呼んだ。 兄はまだ意識があり、しきりに何かを言いたげだった。私は「何?」と何度も聞くと、兄は小さな声で「ね、ねこ…は…」と言った。「猫!?猫なんていない…あ、」 兄の胸元がゴソゴソと動いている。そこから、前足を引きずった猫が出てきた。 「いた!」と私が言うと 「ねこ…ねこは…」と気にしていたので私は 「大丈夫!」と言うと兄は、 「ねこを…たのむ…」 そう言葉を残し兄はそのまま意識を失った。ちょうど、救急車が来たので私も一緒に乗り病院まで付き添った。 兄は意識が戻ることなく、亡くなった。 私たちの両親は幼い頃に亡くなり、今から10年前の兄が18歳で私が10歳の時に一緒に暮らしていた祖母が亡くなってからは2人で生きてきた。まだ10歳の私には兄だけが頼りだった。兄もまだ18歳と若かったが、私に苦労はかけまいと必死に働いて私を助けてくれた。 だから私は何の苦労もなく寂しさなんてものもなかった。兄は、明るく元気満々な人で友達も多くて何よりも動物が大好きな人。 本当は動物関係の仕事をしたかったんじゃないかと一度、兄に聞いた事があるけど、 「見てるだけで満足。大丈夫!」と言っていた。兄は決まって「大丈夫!」と言う。 口癖なのかおまじないなのか。両方か。 小さい時から私が落ち込んでいたりすると決まって「大丈夫!」と言ってくれた。私はそれを聞くとすごくホッとしたし、自分でも使うようになった。 兄が亡くなった事を兄の親友である《鷹野さん》に連絡をした。鷹野さんは兄の小学生の頃からの友達で私もよく知っている人だ。 兄は「俺にもし何かあれば鷹野に連絡しろよ。」と言っていた。だから私の携帯に鷹野さんの連絡先が登録されている。鷹野さんにも兄が頼んでいたようだった。 私からの電話に鷹野さんはすぐに出てくれた。 「もしもし、愛生(あい)ちゃん?」と私の名前を呼ぶと何かを察したのかすぐに、 「……希生に何かあったのか?」と。 その言葉に私はただ、 「……亡くなりました。」とだけ言った。 鷹野さんは今からすぐ行くから、と言ってくれた。私は鷹野さんに病院の場所を伝えて電話を切った。 鷹野さんは本当にすぐに来てくれた。 私が放心状態なのを見て「俺に任せて。」と言い、それから色んな人への連絡や葬儀の手配やら何から何まで助けてくれた。 私は情けない事に何ひとつまともに出来なかった。兄にも周りの人にも申し訳なくて「すみません、すみません…」と謝る事しか出来なかった。鷹野さんや他の友達のみなさんのお陰で無事に初七日まで終わらせる事が出来た。 最後に「ありがとうございました。」とお礼を言うと「いいんだよ。」とみんな優しく言ってくれた。鷹野さんは「困った事があればいつでも連絡してね…」と言って帰って行った。 初めてひとりになった家。狭い平屋なんだけど何だかだだっ広く感じた。 「はぁ~。」 一息つこうと、私は台所に行き冷蔵庫から缶コーヒーを手に取った。これは兄が買ったものだった。一口飲んだ。人生で二度目。前に飲んだ時は苦いと思い吐き出してしまった。兄はそれを見ていてゲラゲラ笑っていた。今思えば失礼なやつだ。でも今日は違った。美味しかった。私はそのままコーヒーを飲みほした。 コーヒーを美味しいと思う日がくるなんて。 兄が知ったらびっくりするだろうな…。 すると、どこからか「ニャー、ニャー」と猫の鳴き声が聞こえてきた。私は鳴き声のする縁側の方へ行くとやっぱり猫がいた。 それは前足を怪我した猫だった。 「君、なんでここに!?」 私は窓を開けると、怪我した足など構わずピョンと飛び家の中に入ってきた。 「え!?」 猫は家の中を歩き回った。私はその後をついていくと、猫は兄の仏壇の前でチョコンと止まり「ニャー、ニャー」と鳴いた。 すると、また縁側の方へ行き今度は私に向かって「ニャー、ニャー」と鳴いた。 こっちにこいって感じだ。 私は近くまで行った。と、猫の近くにあるものがあった。傘だ!私が兄の誕生日にと初めてバイトしてプレゼントした折り畳みの傘。 ほんとは、財布とか鞄とかでもいいって言ったのに、兄は「財布も鞄も買ったばかりだし、取っ手の所が猫のしっぽって、いいじゃん!折り畳みだと鞄に入れとけるし!」と言ってこの傘を選んだ。兄らしいと言えば兄らしい。 それから兄は、雨の日に関わらず仕事の鞄に入れて持ち歩いていた。 「なんで、ここに?」 私はあの時、確かに兄の近くにあったこの傘を知らないか聞いて回っていたが、誰に聞いても「知らない」と言われて諦めていたのに…。 私はその傘を手に取った。 その瞬間、自分の頬に初めて涙が流れるのを感じた。 「あ、なんで、今頃に涙なんか…」 私は猫の前で子供みたいに泣きじゃくった。 泣いて泣いて…泣いて… どれくらい時間が過ぎただろうか…。 すると、あの言葉がどこからか聞こえてきた気がした。 明るくて元気満々で友達が多い、動物が大好きな兄。 ずっと私を支えてくれた兄に何の兄孝行も出来なかった。 ありがとうも言えなかった…。 だからせめて、兄が最期に言った言葉だけでも叶えようと思う。 《ねこを…たのむ…》 「分かったよ、お兄ちゃん…。大丈夫!」
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