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原稿の持つ手が震える。 袖幕からちらりと客席を見ると生徒の顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔。 熱心そうにあるいは眠たそうに、各々好きな表情で舞台を見ている。 舞台に立つのは私。演目は生徒会長就任の挨拶。 噛んだらどうしよう、何かおかしなことを口走ったらどうしよう、寝癖はついていないか、服に変な染みはついていないか だいじょうぶ、大丈夫、大丈夫大丈夫大丈夫!! 緊張を忘れるほどに自分に言い聞かせる。 「次は生徒会長就任の挨拶です。朝比奈しずくさん、よろしくお願いします」 大丈夫、私なら、完璧になれるから。 □□□□□□□□□□□□□□□□□□ 「朝比奈さん、さっきの授業のこれ教えてくれる?」 「しずー、ノート見せてー」 「会長、これ資料です。お願いします」 「しずく会長、この仕事手伝ってくれる?」 「うん、ちょっと待っててね」 一瞬目を瞑って頭を切り替える。 私は生徒会長、生徒の見本。これくらいどうってことない。 「うん、これはね、……」 他人の見本となれるような、立派な人生を目指しなさい。 私の人生に胸を張って生きれるような行動をしなさい。 私の父親は人にも自分にも厳しい、立派な人で私はそんな父親に憧れていた。 仕事が忙しく、なかなか家に帰ってこれない父親だけどそれは多くの人に必要とされているから。私もそうなりたい、だからこんな小さなことからでも見本とならなければ。 「さすが!」 「ありがとう、しずくさん」 クラスメイトはどたばたと支度をしながら各々部活やら下校に走っていく。さて私も生徒会に行かなければ。 少し、遅くなってしまった。生徒会のみんなはもう部室にいるだろうか。 落ち着いて気が緩むと心の中に黒い雲のようなイライラが立ち込める。いけないいけない、まだ人前。さぁあと少しだ、頑張ろう。 先週、みゃーこが死んだ。 小さい頃から一緒に育ってきた愛猫のみゃーこ。 もともと病気がちだったにも関わらず10年も生きたのは大往生だったと言えるだろう。 私の両親は仕事熱心だったのであまり家に帰れなかった。とはいえ別に愛情がないということはなく、そんな私のためにとみゃーこをプレゼントしてくれたのだ。 引っ掻きあいの喧嘩をしてヘルパーさんを困らせたり、その後の拗ねて餌をやらないでいたら怒られたりした。ここ2,3年は私も大人になってきてそんな子供っぽいこともしないが、みゃーこは老猫になってきて病気がちになり、動物病院に連れていくことも多かった。 そんな家族が亡くなった。 父親の勧めでペット葬儀というものをやることになった。葬儀の取り決めや喪主は私。 お金は気にしなくていいと言われたので遠慮なく個別葬儀の高そうなのを選び、父方の祖父母、両親そして私だけの小さなお葬式を執り行った。 そこでも私は泣かなかった。 家族が大半だろうとここは人前だから。 完璧に、完全に。 目の前の仕事に熱中することで無理矢理にでもメンタルを保っていた。 火葬も終わって夕方に家に帰る。 扉を開けて、いつものみゃーこの声が聞こえない。 聞こえない。 聞こえなかった。 聞こえない声に私は堰を切ったように、玄関で靴を履いたまま母親の胸に顔をうずめて泣き出してしまった。 なんで、どうして、まだ……、でも! 寿命。そんなの当たり前の理屈。 そんな理屈でも論理でも表せない、完璧とは程遠い混沌の淀みが私の頭と心を流動し目から溢れ出して止まらない。 変わりたくない時の中で私は子供のように喚き続けた。ずっと、ずっと。 落ち着いた時には日を跨いでいた。 優しく頭を撫でてくれた母親といつの間にか私の好きな料理を作ってくれていた父親。父は定期的に心配そうに私の様子を伺ってきて、この人は笑わないんじゃない、人と接するのが不器用なんだなと思った。 その日、幸せな夢を見た。内容は覚えていない。感情だけが残るいい夢だった。 それが昨日のこと。 いくら夢が良くても寝不足だし体に疲れは溜まってる。とはいえ小さい頃からの猫かぶりだけはなかなか上手なようで誰にも気が付かれなかった。 私は友達がいない。 いや、いないわけではないし別に孤立しているわけではないが、親友というか、何でも腹を割って相談できる相手がいないというか。強いて言えばそれがみゃーこだった。 腹を割って話すとは自分の弱みを見せるということ。それは私の求める完璧ではない。 つまりはどちらを取るか、という話。私は理想を取った。悔いはない。たぶんね。 「じゃあこれとこれと……あとそこの資料もお願い。明後日までかな。赤色のやつだけは今日中で」 職員室で先生の雑用まがいの資料整理や書類を渡される。これを生徒会に運んで片付けるのが大体の私の役目。 生徒会役員は私の他に副会長と会計がいるがそこまで仕事熱心というわけではない。まぁ私がやれば仕事は回る以上別に困ってはいないが。 「失礼しました」 重い荷物を抱えながら職員室を後にする。こういう時くらい他の2人も来てくれたらいいのに。 外では部活動が始まっており、運動部の元気な声が聞こえる。そんな声に気を取られていたせいだろうか、階段を登ろうとした時にこけてしまった。散らばる書類と段ボール。 「大丈夫ですか?」 たまたま近くを通りかかった男の子が声をかけてくれる。 「大丈夫、大丈夫。ちょっとよそ見をしちゃってた」 笑いながら、何でもないように立ち上がる。実際怪我をしているわけではない、つまずいただけだ。 「1人で生徒会室まで運ぶんですか? 手伝いましょうか?」 あら優しい子。たぶん下級生だろう。うちの学校は人数が多いから学年皆の顔を覚えているわけではないが同学年にはいなかった気がする。 「いや、これくらいいつものこと。君は早く部活に行かないと怒られちゃうんじゃない?」 「そんな厳しくないんで大丈夫です。運びますよ、会長疲れてそうですし」 疲れてそう。久しぶりにその言葉を自分に向けられた。いけないいけない、そんなに疲れが染み出ているか。 そんなことを思っている間に男子生徒は段ボールと紙束を2つにわけ、見た目重そうな方を持ってくれる。 「生徒会室って3階でしたっけ? いつも持って行ってるなんて大変ですね」 この子と私に直接の繋がりはない。にも関わらずこんなにも優しくしてくれるのは純粋な善意なのだろう。なんというか、それが私には眩しく思えた。 「ありがとう。 そう、3階の1番奥。最上階なのは生徒に支えられてこその生徒会だって意味が込められてるらしいよ。 ちなみに君、部活はどこなの?」 「美術部です」 「あ……あの子のところの。大変だねぇ」 美術部部長は大層な変わり者として知られている。とはいえよく県展で賞を貰っているので実力は確かなのだろう。 「スイッチ入れなければただの面白い人ですよ。地雷を踏むと手つけられないですけど」 いつもはあと何段で終わるか数えながら登る階段だが今日は名残惜しい。だが生徒会室には着いてしまう。 「ここだよ」 扉を開けるが誰もいない。あいつらが私より早く来たこともないし私より遅く帰ることもないからいつものことだ。 「他の生徒会役員の方々いないんですね」 「あの子たちも忙しいんだよ」 たぶん遊んでるだけだけど。 「手伝って貰って申し訳なかったね。部活がんばってね」 「はい、会長も無理しないようにしてくださいね」 無理しないように。 その言葉は、がんばれしか言われなかった私にとって青天の霹靂。 恋に「落ちる」という動詞を付けた人はいいセンスしてる。確かにこれは落ちる、だ。 転げ落ちるように急激に、逆らえない、加速度的に増加する力。 心臓の音も、顔の赤さも、今までにないほどに暴走して、自分が何を口走るかわからない。 遠ざかる彼に手を伸ばして、伸ばして。 何も言えなかった。 今日初めて会った先輩に、突然好きになっただの言われても迷惑なだけだ。だいたい彼には彼の人生があり、今の出来事なんてその欠片にも満たない、明日には忘れてしまうようなこと。 陰ながらにでも見守っていけたらいい、そう、その程度でいいのだ。私は。 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 見つけた。直登君の家。 …………いや、ストーカーじゃないよ?? たまたま帰り道で彼を見つけたからちょっと後を付けてただけだよ?? うん、これは生徒を把握するという行動の一環であって別に下心とかあるわけじゃなくて生徒会長としての活動であり、決して危害を加えるなんてあり得ないしただただ見守りたいだけだから「家に何か用ですか?」 突然の声に文字通り飛び上がった。50cmくらい。 声の方を向くとランドセルを背負った女の子。顔は直登君に似ている。小学生ということは妹さんかな? 「もしかして兄に用ですか? 呼んできます?」 「いやいやいやいや、大丈夫大丈夫。ちょっと通りかかっただけだから」 まずい、こんなことバレたら生徒の見本どころか人生が終わりかねない。 「もしかして兄の彼女さん?」 「いやいやいやいやいやただの友達なだけだから」 正しくは友達ですらないのだが。 「と見せかけてほんとは付き合ってると?」 「いやまだ付き合ってないから」 はっ、と気が付いた時には遅かった。妹さんは面白いおもちゃを見つけたようににやにや此方を見ている。 「ふーん、将来的には付き合うと。初めまして、『まだ』他人の菜乃羽です。兄がお世話になっております」 「違う、違うの。間違えただけなの」 顔真っ赤で否定するが説得力がないのは自分でもわかっている。 「兄のどこが好きなんですか??」 あー、だめだこれ。私この子に逆らえない。なんせ質問してくる時の顔が彼なんだもん。 根掘り葉掘り色々聞かれLINEも交換させられた。別れ際。 「もう勘弁して下さい、妹様……」 「仕方ない仕方ない、兄には言わないでおいてあげる♪ じゃあね、ストーカー生徒会長さん♪」 そう言って家に入っていった。 ってえ? 生徒会長であること言ったっけ? 記憶を辿ると答えは出た。LINEか。私のLINEの一言には生徒会長と書いてある。連絡先を交換した一瞬で役職を把握し、弱みとして使えると踏んだのか。 なんて賢い、というか頭の回転の早い子。 今日の私は私らしくなかった。彼に会ってから調子が狂わされっぱなしだ。あー、元に戻らないと。 LINEの通知音が鳴り、スマホを見ると妹さんから。 前向きに捉えれば直登君との繋がりが出来たのだ。そう、これは一歩前進。そう捉えよう。 □□□□□□□□□□□□□□□□□□ 昨日は寝れなかった。 彼に出会って、彼の妹に出会って、妹にせっつかれて告白して、デートの約束を取り付けて、これが一ヶ月にも満たない間の出来事だって誰が信じられるだろう。 明日は約束のデートの日。 服は決めた。レースのワンピース。夏だからとノースリーブなのは攻めすぎだろうか。 化粧もカラコンもイヤリングもどれも生まれて初めてつける。 怖かった。今まで向けられていた尊敬や憧れの目線、清廉潔白なイメージを裏切るのが。どこか自分が望んでいた欲望を目を背けて存在しないように振る舞っていた。 だが私はそれを捨て、直登君と新しい関係を築きたいと思ったのだ! その気持ちを忘れるな。 柱の陰から集合場所の方を覗くと直登君がいる。そろそろ時間だ。直登君が10分前から来ていたのは気が付いていたが集合時間前というのもあって声がかけ辛い。ちなみに私は2時間前からここにいる。 だいじょうぶ、大丈夫。ここは人前。皆の見本となるように。私なら完璧に……、違うな。 人前じゃ無い。彼の前だ。皆の見本じゃなくて良い、完璧じゃ無くていい、そんな私。その私を、きっと彼なら受け入れてくれると思ったから私は彼に恋したのだ。 だから心配なんていらない。存分に楽しもう。 梅雨も明け、夏本番の暑い日差しが降りかかる駅前大通り。噴水の水が涼しげに虹を架ける中で太陽に負けない笑顔の少女が軽やかに少年との距離を縮める。 「だーれだ♪」
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