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一体、何が起きているのだろう。
訳もわからないまま、一輝はその光景を眺めていた。
「行こうか?」
男――Aが、奈菜に語り掛ける。彼女は静かに頷いた。
「待ってくれ……どこに行くつもりだ?」
一輝は必死に声を出そうとするが、うまく言葉が出てこない。
Aは答えなかった。奈菜も、もうこちらを見なかった。Aが奈菜を連れて行く。彼女は、まるでAに寄り添うように歩いていく。
(やめろ……その子に触るな……!)
一輝は心の中で叫ぶが、やはり声にはならなかった。
二人の姿が遠ざかっていく。このままでは取り返しのつかないことが起こる――そんな予感を感じながらも、一輝にはどうすることもできない。
最後にAが振り向いた。
彼の目は、こちらを嘲笑うかのように細められていた。
それから、どれくらいの時間が経過したのだろうか。気が付けば一輝は自室のベッドに横たわっていた。
全身にびっしょりと汗をかいており、心臓が激しく高鳴っている。
「奈菜?」
一輝は妹の名前を呼んだ。室内はシンと静まり返っており、家の中に人の気配はない。
今のは夢だったのだろうか。それとも現実だったのか。
(くそっ……頭が痛い)
一輝は頭を抑えながらもどうにか立ち上がる。
「奈菜……A……どこだ?」
一輝はふらふらとした足取りで家の中を歩き回る。台所やトイレ、浴室などを見て回ったが、二人の姿はどこにもなかった。
まさか妹は本当にあの男に連れ去られてしまったのではないか? 一輝は居ても立ってもいられなくなる。
「いや……そんな、馬鹿なことが」
一輝はスマホを手に取ると奈菜に電話を掛けた。
だが、何度掛けても応答はない。焦燥感ばかりが募る中、突然一件のメッセージが届いた。奈菜からだ。一輝はほっと胸を撫で下ろし、すぐにメッセージを読んだ。
けれどそこに綴られている文面を見た瞬間、全身から血の気が引いていくのを感じた。
突然のことでごめんなさい。
しばらくの間、私は兄さんの前から姿を消します。兄さんは、私のことなんて忘れてください。
私は大丈夫です。
今までありがとう。さようなら。
(なんだよそれ、どういうことなんだ!?)
混乱しつつも、一輝は返事を送る。
一体どういうことだ?
どこにいるんだ?
何かトラブルがあるのなら言ってくれ。
しばらくして、また奈菜からの返信が届いた。
突然のことでごめんなさい。私は大丈夫です。
わけあってしばらくの間、矢野さんのお世話になることになりました。心配しないでください。
矢野という名前が出てきて、一輝はドキリとした。
まさか、Aが奈菜に何かをしたのだろうか。一輝は再び奈菜にメッセージを送った。すぐに既読はついたけれど、返事はなかった。
「そんな」
一輝は思わず家を飛び出した。どこに行くべきか、どうしたらいいのか。何もわからないまま、一輝は街中を走り回る。
だがどれだけ探しても見つからない。
「奈菜……奈菜……!」
一輝はその場に崩れ落ちた。涙が零れ落ち、視界が霞んでいく。
どうしてこんなことになってしまったのか、彼にはわからなかった。ただ一つだけわかるのは、もう二度と妹に会えないかもしれないという絶望感だけだった。
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