三、

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 目を覚ますと、隣に鈴香の姿はなかった。  縁側に通ずる戸の鍵が開けたままになっているので、眠っているうちに彼女はひっそりと帰ったのであろう。  康介は散らばったままの服をかき集め、それらをまとって縁側に出た。既に陽は高くなっている。長いこと眠っていたようだ。 「おはようございます」  声を掛けられて振り向くと、隣の庭で鈴香が鉢植えに水を与えていた。 「よお、早起きだな」 「関口さんが遅いんですよ」  鈴香はからかうように笑い、空になったジョウロに水を汲み直した。  康介は、とりあえず庭に下りて鈴香に近付いてみたものの、どのような話をすれば良いのか思い付かず、黙ったまま彼女のことを眺めた。  すると、鈴香は視線を寄越すこともなく、水やりをしながら口を開いた。   「わたし、今日、実家に帰りますね」  呆然と言葉を返す。 「ずいぶんと急だな」 「朝方、母から電話があったんです。これからこっちに来るみたいなので、祖母の看病をバトンタッチします」 「何時頃に発つんだ?」 「そろそろですかね。駅前でこの家の鍵を母に渡して、そのまま帰る予定です」  彼女がいなくなることは初めから分かっていた。だからといって、突然の別れは直ちに受け入れられるものではない。康介は出来る限り落ち着いた声色で尋ねた。 「また、ここに来ることはあるのか?」  彼女は作業の手を止め、康介のほうを向いた。  二人で、柵越しに見つめ合う。 「たぶん、ないと思います。これからゼミや就活が忙しくなりますし、何よりもうすぐ祖母が退院します。そうしたら、この家に来る理由を作れないですからね」 「そうか」 「仮にいつか来ることがあったとしてもそれはずっと先のことで、その頃のわたしは、考え方も、感じ方も、変わっているかも知れません」 「月下の花は美しかった」 「はい。わたしも今はまだそう思っています」  鈴香は軽やかに笑うと、視線を横に移して月下美人の鉢植えを見た。そして、再び康介のほうに向き直ると、スマートフォンを扱う真似をしながら、「カシャッ」と一言、囁いた。 「関口さん、楽しかったです。ありがとうございました」 「ああ、俺も楽しかったよ」  彼女は何の迷いも見せずにクルリと背を向けて、去っていった。  残された康介は月下美人に目を向けた。昨夜はあれほど美しく優雅に咲いていた花は、今では萎れて、だらしなく垂れ下がっている。  康介は、その花ガラを摘み取り、土の上に投げ捨てた。  月下美人。花言葉は、はかない美、はかない恋。  (了)
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