最期の作品

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 わたしは、イオの作品が大好きだった。好きで好きでたまらなかった。  エメラルドグリーンに彩られた、子猫の彫刻。  小さなメビウスの輪をいくつも連ねた、銀細工のブレスレット。  開くたびに違う曲が流れる、小さなオルゴール。  暗いところでぼんやりと薄青に光る、宝石でできた地球儀。  手のひらの中で温めると色が変わる、赤いペンダント。  イオの作品はどれも、わたしの心を釘付けにした。何度も何度も、「わたしにちょうだい?」とねだった。  けれどいくらねだっても、イオが作品を譲ってくれることはなかった。できあがった作品は、一週間経つとイオが壊して、アトリエの床に散らばしてしまう。 「わたし、イオの作品が好きなの。欲しいの。壊すなんてもったいないよ、壊すぐらいならわたしにちょうだい?」 「壊さないと、僕の作品は完成しないんだ」  イオの言っていることは、わたしにはなんだか、よくわからなかった。いつも、できあがってからじゃなく、壊してからやっと「完成した」と、イオは言う。  わたしがイオの作品をねだるたびに、イオは諭すような口調で言った。 「最後の作品は、君にプレゼントするよ。だからそれまでは、我慢していて?」  最後の作品、という言葉の響きはなんだか物悲しかった。けれど、イオの最後の作品が、わたしにプレゼントしてもらえる作品が、楽しみでしかたなかった。    ――――――――――  それはよく晴れた日曜日のことだった。わたしはいつも通りに目覚め、いつも通りに朝食を口にし、いつも通りにイオのアトリエに向かった。  ただただ空の青さだけが、いつもと違って、吐き気がするほどに澄んでいた。  いつも通りにイオはそこにいて、わたしはそのことにふっと息をついた。 「屋上に、着いてきてくれないかな」  イオの言葉に、もちろん、と応えて、その優雅な足取りに誘われるままに、屋上に出た。  イオのアトリエがある建物は、八階建てだ。その屋上に、わたしは初めて足をつけた。  空は変わらず青くて、青くて、青すぎて、吐き気を通り越してわたしはクラクラと酔っていく。  イオは屋上のふちまで歩いて、立ち止まった。そしてゆっくりと、口を開いた。 「君は僕の作品たちを愛した。僕の作った、くだらない作品たちを、愛した」  くだらなくなんかないよ……。  けれど、イオの、名状しがたいわけのわからない強い強い感情に気圧されて、わたしは何も言葉にできなかった。  ただおずおずと、イオの傍に歩み寄る。 「君は結局、僕を愛してはくれなかった。僕を好きだなんて、一度も言ってくれなかった」  それはそうだよ。だって、わたしはイオを好きだと思ったことなんてない。イオの作品が好きなだけだったんだから。  ……それも、言葉として発することはなく、わたしの中で溶けて消えていく。 「約束通り、君に、僕の最後の作品をプレゼントするよ」  彼は屋上のふちから、下を指差した。  その方向に目を向けて、地面に大きな白いキャンバスが置かれていることに、気がついた。 「僕を好きになってくれない君が、憎くて仕方なかった。憎くて仕方ないのに、好きで好きでたまらなかったんだ」  屋上のふちのぎりぎりの場所に立ちながら、彼はうたうように呟く。その強くて暗い感情が、わたしの心臓を戸惑わせた。  鼓動が速くなる……、気がした。けれどそれは、ただの気のせいかもしれなかった。 「好きだったよ」  静かな短い言葉をひとつだけ残すと、イオはキャンバスめがけて飛びおりた。    ――――――――――  イオの最後の作品が、地面に落ちている。ここからならよく見える。イオの血液と肉片は鮮やかに散らばって、日の光を受けて輝いていた。それは間違いなく、イオの最高傑作だった。最初で最後の本当の、作品、だった。  最期の、作品だった。  わたしはいつまでも、イオに——イオの作品に——見惚れていた。
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