3.東京

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 東京の繁華街なら、私がいちばん好きでなじみがあるのは神楽坂です。二十代のころ、当時勤めていた職場があったのでずうっと神楽坂にいて、最後の数年間は部屋を借りて住みついていました。  先日、古い友だちにつきあってもらって、好きだったバーに飲みに行ってきました。ここは「しろほし」の主人公・優希が、素敵な年上の男・藤巻(ふじまき)さんに連れていかれてググッと距離を縮めてしまうシーンを書くときにお手本にしたバーです。  神楽坂と並行する軽子坂(かるこ ざか)、その中腹にあるオーセンティック・バー。お店の入れ替わりも激しい土地なのに、オープンから二十数年、リーマンショックもコロナ禍も乗り越え、昔から変わらないたたずまいでホッとしました。  ◆  神楽坂は、かつての花街。夏田の作品でいえば、昭和初期の神楽坂を舞台にして「獅子と牡丹」「牽牛と織女」というシリーズ作品を書きました。そんなにきっちりと、当時の花街の様子は活写できていませんけど……(声が小さくなる)。  「獅子と牡丹」を書いていた当時のメモを見返していたら、当初、主人公の哉さんのキャラクター設定として、神楽坂の近くにあった陸軍士官学校(現在は防衛省市ヶ谷庁舎)の生徒で……とかいう無謀なことを考えていた形跡があってひっくり返りました。  家柄だけは立派だけど世間知らずの陸士のお坊ちゃまが、学友とともにお忍びで花街に遊びに来て、櫂さんと出会って道ならぬ恋に溺れていく……みたいな話を考えてたようだ。今の今まで忘れていた。  陸軍士官学校。  BL好きにはたまらない、魅惑の響きですよね。へんな汗とともにキモオタ風味の「デュフッ」ていう笑いがこみあげてきます。それでも結局は「士官学校生を主人公にしてしまうと、絶対に筆力が追いつかなくて書きたい話が書けなくなる」と思って、哉さんは早稲田大学の学生さん、という設定にしました。神楽坂は早大生の遊び場でもあったのですよね。  それから昭和初期という時代は、夏田が愛してやまないアニメ「ジョーカー・ゲーム」で「世界大戦の火種がくすぶる昭和十二年秋……」とナレーションされているとおり(←無理やり好きなアニメの話をぶっこんだな)、どうしたって戦争のことを外しては語れない切なさがあります。陸士の坊ちゃんと花街の色男では、私の拙い力では破滅的な恋愛にしかならない……でも私はハッピーエンドが書きたい……と葛藤しました。  ふたりのキャラ設定と時代設定をもんもんと思い悩んだ結果、レトロで親しみやすい朝顔のイメージを借りながら、「一人ぼっちで朝顔の育種を生業にしてきた櫂さんが、哉と出会ったことで遺伝学の研究者として前向きな一歩を踏み出す」というストーリーを描くために、朝顔の研究史や早稲田大学の資料を読み、舞台はやっぱり昭和初期の神楽坂に、と決めたんでした。 ◆  さて、今夜もお付き合いくださってありがとうございました♡  次回は「専門性とフェチ」についてお話ししてみましょうね。皆さんもお好きですよね、ピアニストとか、フォトグラファーとか、数学の先生とか。ねっ。難しいことを鮮やかにやってのける人にはいつもうっかり惚れてしまいます。  それでは来週、ぜひまた遊びに来てね!
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