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無敵
「ほら、あの子…今度は不倫してるらしいわよ」
女子トイレの個室にいたら、私のことを言ってるような声が聞こえた。そのまま耳をすませる。
「えー、あの子って、研修の時に営業部長をセクハラした!とか言って騒いだんでしょ?」
「らしいね。その後はほら、萩原さんを横取りしてさ…」
「うっわ、えげつな。で?今は不倫なの?」
「うん、相手はあの山下君ね、奥さんが実家に帰ってるって時にね…」
___ん?なんで?
思い当たることがないんだけど。ちょっかいかけようとしたのは事実だけど、相手にされなかったし。噂の内容はなんだろ?
「それ、ホントなの?」
「なんかねー、デパ地下で2人で仲良く晩ご飯の買い物してたらしいよ、奥さん、可哀想だよね?」
あ!と思い出した。偶然、買い物が一緒になった時があった。でも、たったあれだけでそんな噂になったのだろうか。
「そんな悪女なんだからさ、男どもはちゃんと見なさいよって話。ここにさ、私みたいないい女もいるのに、ね」
「ぷっ!それが言いたかったの?」
「そ。だって見た目じゃあの子には勝てないから」
なるほど。ちょっとしたことに思い切りオヒレが付いたということなのだろう。そこまで聞いて、いかにも今終わりましたと言わんばかりに勢いよく水を流して、ドアを開けた。
「あっ!」
私の噂をしていた女の子2人が、ギョッとしたように私を見た。私が何か言い出すのではないかと焦っているのがわかる。
「お先に…」
「あ、どうも…」
できるだけ普通に、どちらかというと穏やかな笑顔でその場を後にする。少し前までの私なら、そんな噂をしてる人を見たら食ってかかったはず。でも今は。
「そんな無駄なことに時間を使ってるヒマはないのよね」
急ぎ足でデスクに戻ると、いつもの仕事を急いで片付けた。そして私なりに仕事のやり方を変えたいと、上司に進言することをファイルにまとめる。もう少し仕上げたら、上司に検討してもらうように提出する予定だ。
「今日はこんなところかな?」
時計で時間を確かめた。帰り支度をする。
「やっ!芳川さん」
「あー、倉本くん」
「今日こそは、僕からの誘いにのってほしいな」
「うん、と言いたいけど、ごめんね、今日は予定があるんだ」
「最近、ずっと忙しそうだね」
「そう!私が好きな私になるために、やりたいことがいっぱいなの。ごめんね」
バッグを肩に掛けて、倉本の横を通りすぎようとした。
「じゃあ、来月の芳川さんの誕生日、僕にお祝いさせてくれない?」
「倉本くんに?んー、いいよ。この前は私が酔って迷惑かけたし。今度は私がご馳走するね。じゃ!」
「楽しみにしてるね」
今日はパソコン教室、明日は英会話だ。少しも時間が余らない。なのにこんなに充実してるのは何故だろう?
___このまま無敵になったら、楽しいことがたくさんおこりそう!
これからの自分にワクワクしてきた。
それからしばらくして、倉本と付き合うことになるとは、その時は思ってもいなかったけれど。
--完ーー
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