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計略にいたるまで
あの日以降、あの篠原花梨と直接関わり合うことはなかった。私は念願の秘書課には行けなかったが、そんなに忙しくもない経理課でほっとした。四半期ごとの決算以外は、わりと暇だ。
請求書や領収書を回収に各フロアをまわりながら、好みの男がいないか物色する。好みとは、“好き”という意味で、好きとは“私をいい女でいさせてくれる”という意味だ。いい女でいるのも楽じゃない。そもそもいい女でいなければ女の意味がない。
「芳川さん、行きましょうか」
「はい、よろしくお願いします、先輩」
書類を入れるトレイを持ってやってきたのは、同じ経理課の三つ上の先輩、山中亜里沙だ。亜里沙なんて可愛い名前のわりに、ずんぐりむっくりで履いているスカートは膝下20センチ、ウェストはお腹に食い込んでいて、肉浮き輪ができている。
___何を食べてどんな生活をしたらこうなるわけ?
後ろをついて歩きながら、前を歩く先輩をじっくり観察してしまう。けれどどう見ても私が負けているようには見えないから、並んで歩くのは申し訳ないくらいだ。彼氏いるんですか?なんて訊いてみたい気もするけど、その返事が簡単に予想できて気の毒で訊いていない。
エレベーターで上がり、企画開発課と書かれたドアを開け、中に入る。ここは優秀な社員が多いと聞いているから、めぼしい男を見つけるにはいい部署だろう。控えめに亜里沙の後ろにつきながら、さっと見渡す。
「こんにちは。領収書や請求書などの経理で処理する書類を集めにきました」
亜里沙の声で一瞬、視線がこちらに集まる。亜里沙の影から少しだけ私がみんなから見えるように、位置を変える。
___ほら、見なさいよ、私を
心は下僕を連れたお姫様のようで、けれど態度は初々しい新入社員の不慣れさを出す。
「あれ?山中ちゃん、可愛い子連れてるじゃん?新入社員?」
課長席にいたオジサンが亜里沙に声をかけてきた。
「あー、そうそう、経理課の新入社員です。自己紹介してくれるかな?」
「えっ、なんか、恥ずかしいです」
ほとんどの男たちがこっちを見たことを確認して、少しだけ背筋を伸ばし目線を上げる。
「芳川すず、といいます。まだまだわからないことばかりなので、みなさんご指導のほどよろしくお願いします」
声のトーンも上げて、しおらしく頭を下げた。
「いいねぇ!フレッシュな感じがまたいい。ここでわからないことがあったら、誰にでも訊いてくれればいい。よろしく頼むよ」
可愛いとか綺麗とか、私を称賛する言葉が聞こえてきた。つかみはバッチリだ。
「はい、こちらこそ…」
「あれっ!すずちゃん、今日は制服じゃないんだね?私服も似合ってるよ」
___誰だ?馴れ馴れしい
声のする方を見たら、研修の時にハンカチを貸してくれた男だった。借りたハンカチはどこかに捨ててしまったけど。
「あ、あの時は、ありがとうございました」
“なんだ、もう男がいるのか”とどこからか聞こえてきた。
___ちっ!
見えないように舌打ちしてしまう。ここではコイツのせいで男探しがやりにくそうで、残念だ。
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