第1話「やあ、野オポッサムだ」

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 高等部には様々な部活動があり、文化系の部は一つの建物に部室がまとめられている。通称、部室棟である。その部室棟の南側には、各部活動や特別授業などで利用する様々な建物がある。中でもひときわ目を引くのが、生物部が利用している大小2つの飼育舎だった。ここでは小型から大型までバラエティに富んだ生物を飼育している。小型生物と中型生物が入ったケージを棚に並べて飼育している小飼育舎と、大型生物を一カ所に集めてブースに分け飼育している大飼育舎がある。その両方とも扉にカギがかかっており、部外者が入ることはできない。  2つの飼育舎からほど近いところに、生物部の部室はあった。壁はなく、日差しや雨から部室を守る(ひさし)が覆い被さり、東屋のような半屋内の空間だった。その空間の中央には大きな理科用の実験台と木を組んだ四角椅子があり、その周りをいくつものアクリルケースが並んだラックが取り囲んでいる。アクリルケースの中では小型の両生類や魚類が飼育されている。そして足下はコンクリートが敷かれているだけの、無骨な空間だ。  いま、その部室は取調室へと変わっていた。椅子に座らされた牟児津とその隣に立つ瓜生田、真向かいには牟児津へ鋭い視線を向ける川路が腰掛けている。  「お前がやったんだな?」  つい最近も耳にした質問だった。自分は何もしていない、と牟児津は思っているが、何をやってないのか分からない。また何らかの冤罪でこうなっているだろうことは理解できたが、川路からは連れて来られた理由について何一つ語られていない。それは瓜生田も同じで、しかし牟児津よりはいくらか冷静に川路に問うことができた。  「えっと……まず、なんでここに連れて来られたのか、理由を伺いたいのですけど」  「とぼける気か?」  「とぼけるも何も、私もムジツさんも、訳も聞かされずにいきなり連れて来られたんです。何か理由があってムジツさんをお疑いなら、その理由を教えていただかないとお答えできません」  「胸に手を当てて考えろ。さっきの現場を見られてまだ言い逃れができると考えているのか?」  「さっきの現場……?」  高圧的な川路の態度に、牟児津は緊張ですっかり萎縮してしまい、何も考えられなくなってしまった。小さく震えて青い顔をしつつ、縮こまり下を向いている。外敵に襲われたアルマジロが反射的に丸まるのと同じ、牟児津なりの防御反応だ。アルマジロのそれと異なるのは、敵から身を守る効果があるかないかだけだ。牟児津の場合はもちろん後者である。  そんな牟児津に代わって、瓜生田が川路の言葉の意味を推し量る。川路が見たであろう牟児津の姿を思い返す。下校路の途中で野生動物に出会い、牟児津がそれを可愛がっていた。するとたちまち取り囲まれて、群衆の中から川路が現れ、牟児津をここまで連れてきた。確か川路はそのとき、現行犯だと言っていた。  「あの動物ですか?」  「分かり切ったことを」  「あの……オポッサムでしたっけ?たぶんここの生物部で飼ってて脱走した……いや、犯人がいるっていうなら、連れ去りとかです?」  「白々しい演技はやめろ」  「ひどいなあ。少しくらい話を聞いてくれてもいいじゃないですか」  「私は今日イライラしているんだ。くだらない言い訳に付き合う気はない」  「言い訳じゃないんですってば。参ったなあ。どう言えば信じてもらえるんだろう……」  前回は目撃証言に基づいた取り調べだったため、牟児津が犯人だと決めつけてはいたものの、まだ弁解の余地があった。しかし今回は、川路によれば現行犯だ。弁明も言い訳も意味がない。川路の考えが勘違いだと納得させなければいけない。瓜生田は悩んだ。  「いい加減に認めろ。こいつが今日の午前中に小飼育舎からオポッサムを誘拐した。調べればいずれ分かることだ」  「今日の午前中?あの子、今日いなくなったんですか?」  「正確には、朝には小飼育舎にいるのが確認されていて昼休みに失踪が発覚した。だから連れ去られたのは午前中ということになるな」  「なるほど……それじゃあムジツさんにはアリバイがありますね」  「なにっ」  ふと川路の口から飛び出した新しい情報に、瓜生田は活路を見出した。未だ何がどうなっているのかは不明確だが、アリバイを証明できるチャンスが訪れたのは幸運だった。  「ムジツさんは授業と授業の合間はトイレに行く以外に教室を出ないんです。いつもお菓子食べてますから。クラスの人もみんな見てますよ」  「なんでうりゅ知ってんの……」  「初等部の頃からずっとそうなんだから知ってるよ」  牟児津はそこで、川路に捕まってから初めて言葉を発した。余計なことを言ったせいで川路に睨まれ、またすぐに口を閉じて丸まってしまった。  「なら昼休みになってすぐ行ったんじゃないのか」  「ムジツさんは私と一緒にお昼ご飯を食べてましたから。あと、風紀委員の葛飾先輩とご一緒しましたよ」  「……んん」  残念そうに唸りながら、川路は眉間を押さえた。授業と授業の合間のアリバイは、牟児津のクラスメイトに確認してみなければならない。瓜生田が名前を出した葛飾先輩こと葛飾(かつしか)こまりは、確か牟児津と同じクラスだった。瓜生田が自信を持って言う以上、確認は必要だ。瓜生田は重ねて反論する。  「あのオポッサムは草むらから飛び出してきたところを見つけたんです。ムジツさんの肩に乗ってたのはたまたまです」  「そんなバカげた偶然を信じろと言うのか」  「はい。信じてください」  瓜生田の話を聞きながら、川路だけでなく牟児津も馬鹿馬鹿しいと思った。なぜ野良猫と同じノリでオポッサムが出て来たことを不審に思わなかったのか。なぜ安易に近寄って肩に乗せたのか。乗せたというより勝手に乗られたのだが。しかし、何かおかしいと考える時間はあったはずだ。自分の無警戒さと運の悪さに涙が出て来る。  一方、論理的なアリバイと馬鹿馬鹿しい事実の二段階攻撃を受けた川路は、怒っているのか呆れているのか、しばらく黙り込んでいた。だが、これ以上の尋問は無意味と悟ったのか、深いため息を吐いた。  「アリバイは確認する。だが牟児津がオポッサムを連れていたのは事実だ。その上でお前は牟児津が潔白だと言う。つまりお前たちが言っているのは、誘拐されたオポッサムが()()()()誘拐犯から逃げおおせ、()()()()お前たちの前に現れ、()()()()その場を私たちが見つけた、ということだ」  「まあ……そうなりますね」  「そんな豪運だか悪運だか分からんことを易々とは信じられない。少なくとも事が解決するまでは容疑者として付き合ってもらうぞ」  「ひぃ……そ、そんなぁ……」  それだけ言うと川路は立ち上がった。その勢いの強さに牟児津は驚き跳び上がったが、川路はそのまま教室棟の方へ向かって行ってしまった。おそらく葛飾に牟児津のアリバイを確認しに行ったのだろう。ひとまずその場は解放された牟児津が、空気の漏れた風船のようにへなへなと机に突っ伏す。目尻から涙がこぼれ落ちた。  「あえぇ……どうしてこんなことに……」  「怖かったね、ムジツさん」  「うりゅはあんまり怖がってるように見えなかったよ」  「だって私は疑われてないもん」  「他人事だと思いやがって!」  「いやいや他人事じゃないよ。このままだとあんワッフル食べられない」  「……そうじゃん!!おおおい!!」  時刻はすでに15時半を過ぎていた。まだ売り切れてはいないだろうが、人気店とのコラボ商品でしかも数量限定である。学園内にもライバルは多いだろう。このまま事件が解決しなければ、少なくとも今日は閉校まで残らされることになる。そんな遅い時間ではまず間違いなく売り切れている。  とはいえ、あんワッフルを買うために一時的にこの場所を離れたとして、それが川路に気付かれればさらに厄介なことになるだろう。下手をすれば逃亡と見なされて明日から学園全体で指名手配され、たちまち捕らえられて生徒指導室行きだ。牟児津が理想とする平和で穏やかな学園生活とは対極の日々を送ることになる。  「やべえ!!え、どうしよ!?どうしようりゅ!!」  「落ち着いてムジツさん。深呼吸して深呼吸」  「すぅ〜〜〜……はぁ〜〜〜……すぅ〜〜〜……はぁ〜〜〜……」  「落ち着いた?」  「落ち着いた。そんでどうしようりゅ!!あんワッフル売り切れる!!どうしよどうしよ!?」  「いま落ち着いてたじゃん」  興奮した牟児津をなんとか座らせて、瓜生田は考える。なるべく川路が納得する形で、この場から一刻も早く抜け出す方法は何か。そんなものは一つしかない。  「じゃあムジツさん。解決しちゃおっか」  「へ?なにを?」  「川路先輩が言ってた誘拐事件。誘拐って言うからには犯人がいるはずだよね。その人を見つけようよ」  「……またこの間みたいなことやんのお?」  「一刻も早く帰るにはそれしかないよ。大丈夫、ムジツさんならできるよ。私も手伝うし」  それはシンプルかつ明白な証明方法、即ち真犯人を見つけることだった。以前、黒板アート消失事件のとき、牟児津は同様に無実の罪で川路に疑われ、その誤解を解くために真犯人を暴いた。まだ記憶に新しいそれは、牟児津にとって決して良い思い出ではない。色々な不運や災難が重なった結果、やむを得ず真犯人を暴いたのだ。  しかしどうやら、今回も同じようなことをしなくてはならないらしい。牟児津は決して、推理好きが高じて事件に首を突っ込む人間ではないし、親族に高名な探偵がいてその血を受け継いでいるわけでもない。自らの潔白を証明するためとは言え、事件の真相を暴くのは牟児津にとって好きなことでも簡単なことでもないのだ。  「うぐぁ〜〜〜私が何したってんだ〜〜〜!」  「オポッサム肩に乗せたでしょ」  その代償としてはあまりに重い気がする。それでも牟児津は仕方なく事件解決のために行動を始めることにした。実に不本意で納得がいかないが、やるしかないのだ。  「そうそう、あのオポッサムのせいだ!あいつが肩に乗ったりするから私はこんな目に遭ってるんだ!」  「誘拐されたって言ってたけど……取りあえず、そのオポッサムが誘拐された現場を見るのがいいかもね。こういうときはまず観察だよ」  「現場って……どこ?」  「川路先輩は小飼育舎からって言ってたっけ」  「よく聞いてるよね、うりゅって」  「ムジツさんはそれどころじゃなかったもんね」  全くやる気が起きない牟児津に、瓜生田が捜査の方向性を示して促す。川路は容疑者として付き合ってもらうと言っていたが、この場所を離れるなとは言っていない。校外に出るわけにはいかないにしろ、生物部の活動範囲を移動するくらいなら問題はないだろう。牟児津と瓜生田は部室から延びる小径を進み、生物部が多数の生物を飼育している飼育舎へ向かった。
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