第2話「知るわけないじゃん……」

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 牟児津が八知に呆れ返っているころ、瓜生田は職員室のドアの前にいた。軽く握った拳でノックする。  「失礼します」  短く言ってドアを開き、入ってすぐのデスクに座っている大眉を見つけた。真剣な顔でパソコンと向かい合い、なにやら試行錯誤している様子だ。どうやら授業で使う教材作りに悪戦苦闘しているらしい。自分の仕事をしているということはつまり、急ぎの仕事はないということだ。瓜生田にとっては好都合である。  「大眉先生、こんにちわ」  「お、おう。瓜生田。今日はひとりか。どうした?」  集中していた大眉は、急に声をかけられて驚いた。その声が、ここにいるはずのない自分の恋人によく似た声だったからなおさらだ。声のする方を見れば、不敵な笑みを浮かべる瓜生田が覗き込んできている。この時点で大眉はかなり嫌な予感がしていた。一方で、牟児津がいないことも気に掛かっていた。教師としていちおう用件を尋ねるが、何もない方がいいと思っていた。  「実は、大眉先生に折り入ってお願いがありまして」  「俺に?」  「簡単に言うと、ムジツさんの潔白を証明するのを手伝ってほしいんです」  「牟児津?また変な疑いかけられたのか?」  「そうなんですよ」  自分のクラスの生徒が無実の罪を着せられていると聞いて、大眉は嫌な予感の正体を察した。いつも瓜生田にくっついている牟児津がいない理由も納得したし、瓜生田から説明を聞いて自分に何が求められているのかも完全に理解した。だが、それは大眉にとってはただ時間を食われるだけの面倒事でしかなかった。  「いや〜、そうか。牟児津がな。そりゃ災難だったな」  「そういうわけなので、大眉先生に来ていただけるだけでとっても助かるんです」  「本当に俺ついて行くだけなんだろ?俺そんな暇じゃないんだよ」  「つれないこと言わないでくださいよ。すぐ終わりますから。ね?お願いします、()()()」  最後の一押しだけ、瓜生田はささやくように言った。瓜生田が大眉を下の名前で呼ぶのには特別な意味がある。生徒としてではなく、将来の義理の妹として頼み事をするという意味だ。ここで断ると、後で瓜生田は姉にあることないこと告げ口して、大眉は恋人から怒られることになる。なのでこの関係を持ち出されると、大眉は瓜生田に対して従うしかないのだった。  「1時間だけだぞ!」  「ありがとうございます、()()()()」  おそらく話を聞くだけなら30分くらいで済むのだが、大眉は余裕を持って時間を割いてくれた。瓜生田は大眉のそういうところが面白くて、ついからかってしまうのだった。  せっかく長めに時間をとってもらったので、瓜生田はついでに校舎内で調べられるところは調べておこうと考えた。事件が起きたのも牟児津が捕まったのも校舎の外だが、事件現場となった小飼育舎は、一度校舎に入らないと侵入できないはずだった。  「大眉先生。生物部に行く前に、警備室に寄ってもいいですか?」  「なんで?」  「小飼育舎って確か、普段カギがかかってますよね。誘拐犯がカギを借りてたら、警備室のカギ台帳に記録が残ってるかも知れないと思って」  「そうか。まあいいぞ」  以前もこうして職員室と警備室の間を行き来したような気がして、瓜生田は既視感を覚えた。あのときは警備室が先だったか、職員室が先だったか。そんなことを考えながら、瓜生田は警備室に向かった。  高等部の校舎には、生徒が使う玄関とは別に、職員・来客用の玄関がある。その玄関から入ってすぐ、校門を監視できる位置にあるのが警備室だった。来客対応や校内警備、遺失物管理、そして校内施設のカギの管理など、様々な業務を担っている。今回、瓜生田はカギの管理について用があった。  「中瀬さん、お疲れ様です」  中にいた警備員──中瀬(なかせ)虎央(とらお)に、大眉が声をかけた。中瀬はコーヒーを飲みながら、新聞部が発行した学園新聞を読んでいた。大眉に声をかけられると、中瀬は丸く小さな目を向けた。  首元に分厚い脂肪のマフラーをたくわえているその姿は、瓜生田には見覚えがあった。  「大眉先生、お疲れ様です。どうしました?」  「ちょっとカギ台帳を見せてもらいたくて。えっと……」  「小飼育舎のカギです」  どこのカギかを思い出そうとする大眉に代わり、瓜生田が後を続けた。  「ふ〜ん……君、前にもここに来たことある?」  「はい。来校者の帳簿を見せていただきました。その節はお世話になりました」  「ああ!あの黒板消しちゃった子の友達だ!」  「消しちゃってないんですけどね」  どうやら牟児津のことは覚えていたようだ。中瀬は納得したようにうんうん頷いた後、小窓に背を向けて警備室内に大声を出した。  「(そく)くん!カギ台帳もってきてくれる?」  「はい!」  中瀬に負けず劣らずの大声とともに、中瀬と同じ格好をした、しかし中瀬よりはかなり体が引き締まった若い男が現れた。手には紙のファイルを持っており、背表紙に“カギ管理台帳”と記されている。男の胸元には、(そく)篤琉(あつる)と名札がかけられていた。  きびきびとした動きだが緊張は感じない。真面目に仕事をしようという意思がひしひしと伝わってくる。身振りに気を取られすぎて無意識に目を見開いているせいか、遠くからだと目が飛び出ているように見える。瓜生田は生物部の部室にあった水槽の出目金を思い出した。  「今日の分でよかったですか?」  「はい。ありがとうございます。ちょっと見せてもらいますね」  束が持って来た台帳を開き、大眉が記録を確かめる。今日小飼育舎のカギが借りられたのは4回だ。朝に顧問の八知が1回、授業時間中に3年生と1年生の生徒が1回ずつ、昼休み直前の時間に部長の上野が1回だった。瓜生田はそれをメモにとる。その他にカギを貸し出した記録はないことも確かめた。  「なるほど、ありがとうございました。あと、ちなみになんですけど」  「なんでしょう?」  「警備員の皆さんって、授業時間中はこちらにいらっしゃるんですか?」  「そうですね、基本的にはここにいて、たまに巡回とかで外に出ることがあります」  「そのときカギを持ち出すことってあります?」  「いいえ。不必要にカギを持ち歩くことはありません」  「じゃあ皆さんは何のカギをお持ちなんですか?」  「職員用玄関のカギを各自持っています。他のカギはセキュリティの関係から持っていません。校舎を開けるときと閉めるときはマスターキーを使いますが、それは警備室内の金庫にしまってあります」  束がはきはき答えた。カギの管理の仕方を聞く限り、瓜生田が考えていた可能性は捨てられそうだ。すなわち、警備員の中に誘拐犯がいる可能性である。  束の話もしっかりメモにとり、瓜生田はもう一度お礼を言ってから警備室を後にした。寄り道をした分、それなりの情報は手に入れることができた。だが、早く牟児津のもとに戻らないと、牟児津が心細さのあまり奇行に及んでいるかも知れない、と瓜生田は足早に生物部の部室に向かった。
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