第3話「ずらかるぜ!」

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第3話「ずらかるぜ!」

 大飼育舎は、小飼育舎の右に延びる小径をさらに奥へ進んだ先にあった。近付くだけで牛や馬の存在を感じさせる独特の臭いが漂ってきて、今は小飼育舎から小動物のケージを移動していることもあり、様々な動物の鳴き声も聞こえてくる。扉は閉まっているが、臭いも鳴き声もそれを突き抜けて牟児津たちに届いていた。  開けた途端に動物が飛び出して来ないかと心配しながら、牟児津はおそるおそる扉を開けた。  「お゛っっ!!くっっっっっ──!!」  「そんな露骨に臭がっはらひつれいらよムイツさん」  「うりゅも鼻止めてんじゃん!」  扉を開けた拍子に、こもっていた獣臭が流れ出てきた。牟児津と瓜生田は思わず顔をしかめる。動物は飛び出して来なかったが、牟児津にとってはそれと同じくらい厳しい洗礼だった。  飼育舎の中はいくつかの区画に仕切られ、そのひとつひとつで大型の動物が飼育されている。入口から見えるだけでも牛や馬、ロバ、豚、山羊など様々だ。その手前には仕切りのない広い空間があり、小飼育舎から運ばれてきたケージがきれいに並べられていた。生物部員と顧問の八知は、そこで作業をしていた。  約半分の部員たちがケージから別のケージへ動物を移し、残りの部員たちが空いたケージの中を掃除する。移した動物はよく観察して異常がないかをチェックしていく。部員たちの動きはスピーディだ。なおかつ動物を傷付けないよう、ストレスがかからないよう、やさしく丁寧に取り扱っている。八知はケージの掃除を任されている。ひっくり返して中のゴミを落としたり、濡れ布巾でガシガシこすったりする手つきは丁寧とは言えない。素早くはあるが、雑な印象を受ける。  「すみませーん。ちょっとお話を伺いたいんですけど」  作業に集中していた部員たちに、瓜生田が声をかけた。その場にいた全員が手を止めて瓜生田の方を見る。先ほど小飼育舎で会った、部長の上野が立ち上がった。  「あなたたちさっきの……。何か用?」  その目はあからさまに不愉快そうだった。新しい顧問はやる気がなく、昼間には動物が誘拐され、今は作業を邪魔された。部長である彼女は今日だけでかなりストレスが溜まっているのだろう。しかしそれを気遣って引き下がるほど、牟児津たちに余裕はない。  「誘拐事件の真犯人を見つけるために、何人かお話を伺いたいんです」  「意味が分からないわ」  「風紀委員はいま、こちらのムジツさんを犯人だと疑ってるんです。でもそれは間違いなので、真犯人を私たちで見つけようと」  「なんでそんなこと……できるわけないでしょ」  「できないと私が困るんです!なんでもいいからお話聞かせてください!」  上野は、少しでも答え方を間違えれば会話を打ち切ってしまいそうなほど厳しい態度だった。それに対し牟児津は、答えになっていない答えを返す。上野は呆れたのか驚いたのか、少しだけ目を丸くして、頭を下げる牟児津を見た。そこに、瓜生田に肘で小突かれた大眉が追撃する。  「俺からも頼むよ。自分のクラスの生徒が濡れ衣着せられてるんじゃ見過ごせないし。あと、こう見えて牟児津はそういうの得意なんだ」  教師としての大眉の言葉は、上野にとってそれなりに効果があったようだ。教師にまで頭を下げられては、無碍に断るのも心苦しい気にさせた。そして、その間もずっと頭を下げている牟児津の姿を見て、その必死さが十分に伝わったようだ。  「まあ話くらいなら構わないけど、作業の邪魔はしないでね」  「はい!ありがとうございます!」  「あと大声はやめて。動物がびっくりする」  「あっ、すいません……」  いきなり注意されてしまった。ともかく、牟児津たちはなんとか生物部員に聞き込みすることを許された。上野は許可を出すとすぐに作業に戻ってしまった。聞かれれば話はするが積極的に協力はしないという意思表示だろうか。困った牟児津は瓜生田を見る。ひとまず、今朝から昼休みにかけてカギを借りた人物に、順番に話を聞くことにしよう、と瓜生田が方針を決めた。  瓜生田のメモによれば、最初にカギを借りたのは顧問の八知だった。ケージ内の掃除をしている八知を大飼育舎の外に呼び、大眉と三人で話を聞く。  「作業中にすみません、八知先生」  「別にいいですよ。この中めちゃくちゃ臭いし。あとちょうど一服したいところだったんで」  「いや学園内は禁煙ですから!生徒の前ですよ!」  「電子タバコっすから火も煙も出ないっすよ」  「そういう問題じゃねえだろ!」  外に出るやいなや八知は大眉に叱られた。まさか生徒の前でタバコを吸おうとするとは思わず、大眉はうっかり素の言葉遣いが出てしまった。八知は取り出したタバコをしぶしぶ懐にしまい、軽く伸びをして牟児津と瓜生田を見た。  「まあいいか。取りあえず話すればいいんだ?」  「は、はあ……えっと、誘拐されたオポッサムについて聞きたいんですけど」  「あ〜、むりむり。そういうのは部員に聞いて。俺なんも知らないから」  「なんつう無責任な……」  「分かりました。じゃあ取りあえず、今朝カギを借りたときに何をしたかと、事件が発覚するまでで御存知のことを教えてください」  あまりにもやる気のない八知の態度に、牟児津も大眉も呆れて言葉もなかった。それでも瓜生田だけは、全く動じず聞き取りを続ける。八知もマイペースだが、瓜生田も大概である。  「カギは毎朝借りて飼育舎を開けてるよ。朝のエサやりと体調チェックが必要だから、部員のみんなで当番回してやってんだ。顧問の俺は毎日だけどね」  「今日の当番はどなたでしたか?」  「上野さんと、あ〜……旭山(あさひやま)さんと、白浜(しらはま)さん。だったかな。確か。うん」  「旭山さんと白浜さん……ほうほう」  八知の心許ない話し方に牟児津と大眉は相変わらず呆れ気味だが、瓜生田は興味深げに頷いてメモを取る。どういうわけかと牟児津はそのメモを覗き見て、納得した。いま八知が名前を挙げた部員は、どちらも午前中に個別にカギを借りていた。元から話を聞くつもりではあったが、どうやら詳しく聞く必要がありそうだ。  「朝の部活の間、先生は何を?」  「こっちの動物のことは分からないけど、部室に水槽あったでしょ。魚のエサやりくらいならできるから、それをやってるよ。後は……まあ、テキトーにぶらぶらしたりぷかぷかしたり」  「カギを返すのも先生が?」  「そうだね。今朝もちゃんとカギ閉めて、部室も確認してから返したのに……なんでこうなるんだろうなあ」  我が身に降りかかった不幸に苛立っているのか、八知は頭をがしがしと掻いた。誘拐事件において八知は被害者の立場になるのだろうが、新任とはいえ顧問でカギの管理をしていた以上、責任の一部は負うことになるだろう。赴任早々に気の毒なことではあるが、どうにも同情しきれないのは本人のいい加減さ故だろうか。  「事件を知ったのはいつですか?」  「昼休みが始まったくらいに部室に行ったとき。そのときはもう上野さんがいて、とにかく来てくれって言うから飼育舎まで来た。そしたらあの……例の動物が消えててさ」  「なるほど。昼休みが始まったくらいに知って、そこからどうされたんですか?」  「一回みんなでそこら中を捜したけど、見つからなかったね。放課後には風紀委員も加わって大捜索だよ」  「それであの大捕物が」  「こっちはエラい迷惑してるんですよ!」  「俺だって迷惑してるよ。あーもう、こんなことになるなら顧問なんて引き受けなきゃよかった」  「アンタ全部言うんだな!教師だろ!大人だろ!生徒の前なんだからちょっとは弁えろよ!」  「子どもの前なんだから、ウソ偽りなく正直でいた方が良くないっすか」  「もういい!ちょっとこっち来い!話がある!」  「うえー」  教師として、大人として、人として、大眉は八知の態度を許せなかったようだ。怒りを隠すこともせず、聞き込みを終えた八知を、そのまま部室の方まで引きずっていった。おそらくこれから先輩教師として説教でもするのだろう。大人が大人に叱られるところはあまりに見るに堪えないので、牟児津も瓜生田も部室へは戻らず、そのまま大飼育舎の前で聞き込みを続けることにした。
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