第3話「ずらかるぜ!」

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 次にカギを借りたのは、3年生の旭山(あさひやま)北美(きたみ)という生徒だった。先ほど八知が名前を挙げていた生徒で、朝の部活動にも参加している。瓜生田が中に入って名前を呼ぶと、ブラシで床を磨く手を止め、そそくさと飼育舎から出て来た。縁の薄い控えめなメガネと顔のそばかすが特徴的で、ピリついていた上野と比べるといくらか大人しそうな印象を受ける。  「どうも。部活中にすみません」  「それはいいけど……そっちの子」  「は、はい?なんでしょう?」  「あなた、風紀委員が誘拐犯だって言ってた子でしょ?あ、でも違うんだっけ?なんであなたがこんなことしてるの?」  「え〜っとそれには深いワケがありましてですね……あの……」  「疑いを晴らすには真犯人を見つけるのが一番手っ取り早いので」  「はあ……」  牟児津が長々話し始めようとしたのを、瓜生田がばっさり切った。こちらの話などどうでもいい。必要なのは、生物部員がどう動いたか、それによっていつ誰ならオポッサムを連れ出すことができたかを調べることだ。  「はい。それじゃあ早速伺いたいんですが、旭山先輩は午前中に飼育舎のカギを借りられてますよね?その理由を聞かせてください」  「忘れ物を取りに来たの。動物の体調チェックするときにペンが要るから自分のを使ってたんだけど、それを忘れてね。でも小飼育舎には入ってないよ」  「どういうことですか?」  「部室にあったから、こっちまで来てないだけ。てっきり飼育舎で落としたと思ってたから借りたけど、結局使わなかったよ」  旭山は記憶をたどるように、視線を上に向けて話した。  「じゃあそのときは、例のオポッサムがいたかどうかは──」  「ヒノまる、ね」  「え?」  「あの子の名前。日の丸弁当みたいな顔してるから、ヒノまるっていうの」  「ああ、失礼しました。で、ヒノまるちゃんがいたかどうかは見てないんですね。なにかいつもと違う様子とか、怪しい人影を見たとかは」  「風紀委員にも聞かれたけど、そういうのはないね。授業と授業の間で時間もなかったし、私は部室までしか行ってないから」  「そうですか……」  旭山の証言を瓜生田がメモに書き留める。牟児津は今日見たオポッサムの顔を思い出していた。確かに、白い顔に鼻の先だけが赤くて、日の丸弁当のような色合いだったと思う。ストレートに日の丸みたいな顔、ではダメなのだろうか、と余計なことを考えていた。  「それで、事件発覚当時のことを教えていただきたいんですが」  「発覚当時っていうか、ヒノまるがいなくなってたのに気付いたのは東子ちゃん……ああ、部長ね。あの子が最初だよ。私たちより先に来て作業してたみたい」  「やっぱり部長だから率先して部活に取り組んでるんですね」  「別に、今日はたまたまそうだっただけじゃない?いつもは私たちと同じくらいに部室に来てるけど」  どうやら第一発見者が部長の上野であることは確からしい。上野は今日の昼休み、いつもより早めに飼育舎を訪れていたようだが、果たしてそれは事件に関係あるのだろうか。疑わしいことは全てメモに残す。  「でも……最近はちょっとピリピリしているんだよね」  「上野先輩ですか?」  「そう。なんかいきなり前の顧問の先生が辞めちゃってさ、理由も教えてくれないままだよ?ヤバくない?」  「そ、そりゃあヤバいっすねえ……」  何がヤバいって、牟児津と瓜生田はその理由を知っている。当事者の話も直に聞いた。前任者である石純が教職を辞したことに牟児津らは直接関係ないにしても、その経緯を知っているだけでなぜか後ろめたい気持ちになった。  「代わりに来た新任の人は若いけどなんかやる気ないし、大変だよ。部長って立場だから責任もあるしさ」  「普段はあんな感じじゃないんですか?」  「もっと優しい人だよ。動物とか部員以外にも、さっきみたいな冷たい態度は取らない人だった。だから東子ちゃんをあそこまでイラつかせる今の顧問がヤバいっていうか……だって、ヒノまるがいなくなったっつってもなんかぼーっとして、全然慌てたり焦ったりしてなかったんだよ?めっちゃヤバくない?」  「あー、でも分かる。なんかそういう感じの人だわ」  上野だけでなく、旭山も顧問の八知には相当不信感を募らせているだ。牟児津がそれに同調する。牟児津は八知と二、三言葉を交わした程度だが、それでもあの男が教師として不出来であることは非常に共感できた。  その中で唯一、八知に対して特に何の感情も抱いていない瓜生田が、冷静に先ほど八知に尋ね損ねた質問をぶつけた。  「あの、ヒノまるちゃんのことについて聞きたいんですけど」  「うん。いいよ。ヒノまるはね、東子ちゃんのお気に入りなんだよね。最近は生物部のポスターに写真を載せて、マスコットとして押し出し中だよ」  「マスコット、ですか」  「人懐っこいから、誘拐犯とかにもあっさり懐いちゃったりしてたのかな」  「ああ……」  その人懐っこい性格のせいで、牟児津はこうして巻き込まれているのだった。そう思うと人懐っこい性格も考えものである。  「ヒノまるちゃんはケージの中からいなくなってたんですよね?」  「そうだね」  「なんで誘拐だと思ったんですか?」  「……ん?どういうこと?」  「いえ、ケージから動物がいなくなってたら、誘拐よりも脱走を考える方が自然かなって思いまして」  牟児津は、頭の中で何も入っていないケージを思い浮かべた。明らかに何かを飼育している痕跡があるが何もおらず、ケージの扉が開いている。中の動物が逃げ出したのか攫われたのかは分からない。だがそれを見ていきなり、攫われたと思うだろうか。牟児津の考えは旭山と同じだった。  「まあ私も、最初は脱走したんじゃないかと思ったよ。でもヒノまるの大きさじゃケージの隙間は通れないし、ケージにも小屋にもカギがかかってんのよ。だから自力で逃げ出せたとは思えないんだよね」  「なるほど。それで誘拐だと思ったんですね」  「まあそれを言いだしたのは東子ちゃんよ。私は脱走の可能性もあると思うけどね」  「上野部長が。なるほど……ありがとうございます」  脱走は、生物部の誰もが最初に考えた可能性だろう。その可能性を考えない根拠があるのかと思って、瓜生田は敢えて尋ねた。部屋とケージの二重のカギは、確かにオポッサムにとっては突破不可能な関門だろう。だとすれば、何者かが手を加えたという考えは納得できる。ひとまず旭山への質問はそこまでで終え、次に話を聞く生徒を呼ぶように頼んで旭山を解放した。旭山はすぐに大飼育舎の中に戻っていき、入れ替わりで3番目にカギを借りた生徒がやってきた。  次に牟児津と瓜生田の前に立ったのは、背の低い牟児津と比べてもさらに小柄な、ふわふわした雰囲気の1年生だった。制服のサイズが微妙に合っておらず、袖が余っているせいで幼く見える。同い年の瓜生田と並ぶと、互いの大きさと小ささが一層際立った。  「えっと、1年生の白浜(しらはま)西乃(にしの)です。よろしくお願いします」  白浜は、先に話を聞いた八知や旭山とは違い、はきはきと喋って礼儀正しく頭を下げた。それだけで、2人はこの小さな少女に対して好感を抱いた。  「白浜ちゃんかあ。可愛いねえ。ようかん食べる?」  「ムジツさんおばあちゃんみたい。あんまり人に携帯ようかん勧めない方がいいよ」  「そんなことないよね?白浜ちゃん」  「いえ結構です」  自分より小さい相手に思わず庇護欲をくすぐられた牟児津は、手持ちのようかんを勧めた。人肌に温まったようかんは当然のように断られた。  「それじゃあ、二つ教えてほしいんだけど、まず午前中にカギを借りてることについてだけど、なんで借りたか教えて?」  「えっと……今日は午前中に美術の授業があって、学園内で何でも好きなものをスケッチするっていう課題だったんです。だから、ほくさいちゃんをスケッチしようと思って」  「ほくさいちゃんっていうのは?」  「うちで飼ってるウサギです。アメリカンファジーロップっていう種類で、これくらいのサイズのとっても可愛い品種なんですよ。耳がぺたっとしてて、富士山みたいな形してるんです」  「へー、かわいいんだろうね」  「そう!可愛いんです!」  白浜が手で末広がりの形を作りながら、楽しそうに話した。そのウサギのことが本当に好きなのだろう。好きなものについて語るその姿は、本人のかもし出す雰囲気も相まって実に癒されるものだった。と思いきや。  「アメリカンファジーロップは飼育しやすさや寿命の長さからペットとして人気なんですけど、一番の魅力はやっぱり人懐っこくて甘えん坊なところですよねえ。慣れると自分から手の下に入ってきて撫でて欲しいアピールするんですよ!こうやって!もうそれが可愛くて可愛くて!」  「そ、そうなんだ……」  「ウサギの特徴っていったらやっぱり耳じゃないですかあ。ロップイヤーは耳の通気性が悪いしアメリカンファジーロップは長毛でもあるから定期的にお手入れしてあげなくちゃいけないんですねっ。人間と違って耳のすぐ近くに脳があるのでお手入れも慎重にやらなくちゃいけないから、これってウサギを飼育する上ですごい重要なスキルなんですよ!それで私が綿棒で耳をお掃除してあげると、気持ちよさそうにパタパタ足を動かすんです!もう本当に……!!」  「し、白浜さん、あのね」  「それでですね、私のお気に入りのほくさいちゃんはですね…………が…………かわいくて……たまんない……くう…………さらに……もう……すごすぎ……で……はー!…………だきしめて……ねるときも……おフロのときも……でしょ…………すばらし……!……うつくし…………」  「ひええ……」  いったいどこでスイッチが入ったのか、それとも元からこういう性質なのか、白浜はなぜかお気に入りのウサギについての語りが止まらなくなった。ふわふわした第一印象からは想像できない圧倒的な熱量と勢いに押され、牟児津は瓜生田の後ろに隠れてしまった。  しばらくして、ようやく語るべきを語り尽くしたのか、あるいは体力が尽きたのか、白浜は落ち着きを取り戻した様子で深呼吸し、語りを止めた。  「ご、ごめんなさい……聞かれてもないのにちょっと喋りすぎました」  「自覚があるのが余計怖い」  「まあ……なるほどね。白浜さんの気持ちはよく分かったよ」  「ありがとうございます。もういいですか?」  「まだウサギの話しか聞いてないよ!」  危うく勢いに流されて白浜のウサギトークだけを聞かされて終わるところだった。飼育舎に戻ろうとする白浜を引き留めて、瓜生田が改めて質問に戻る。  「えっと……白浜さんがスケッチしに来たとき、ほくさいちゃんは小飼育舎にいたのかな?」  「はい。カギをお借りして、小飼育舎からほくさいちゃんのケージを部室に持っていって、そこでスケッチしました。じっとしてて欲しいのに、私に構って欲しそうにすり寄ってきちゃってもう……あ、ご、ごめんなさい。またやっちゃった……」  「うん。危なかったね。えっと……スケッチのとき、ちゃんと飼育舎のカギはかけた?」  「は、はい!ちゃんとかけました!」  「そのとき、ヒノまるちゃんのケージは見た?」  「いいえ……ほくさいちゃんとは離れてますし、ちゃんと見てなかったです」  「ちぇっ。誘拐された時間が絞れるかと思ったのに」  「ごめんなさい……」  「ええあっ!?ご、ごめん!白浜ちゃんは悪くない!泣かないでほら、ようかんあげるから」  「それは結構です」  「そう……」  期待が外れた牟児津は口が滑る。それを聞いた白浜は見るからに落ち込んでしまったが、その場に流されない意思の強さは垣間見えた。瓜生田は気を取り直して、発見時の経緯について尋ねる。  「ヒノまるちゃんがいなくなってることに気付いたときのことを教えてくれる?」  「はい。朝とお昼休みはいつも当番の人が小飼育舎の空気を入れ換えたりご飯をあげたりするんです。今日は私と上野先輩と旭山先輩が当番でした。お昼休みに部室に来たらもう騒ぎになってて、八知先生からヒノまるちゃんがいなくなったのを聞いて……みんなで捜したんですけどいなくて……」  「その後は?」  「ヒノまるちゃん以外にいなくなった子がいないか確認して、ひとまずいつもやってる給餌や体調チェックを済ませました。その後はもう1回辺りを捜してから、後のことは八知先生に任せていつもより少し早く教室に戻りました」  旭山の話も合わせてまとめると、生物部は朝と昼休みに生物の世話をする係を当番で回しており、今日は上野と旭山と白浜がその当番だったらしい。そして当番である3人ともが、午前中にそれぞれ個別にカギを借りている。可能性の一つとして考えていた、部外者が授業時間中に小飼育舎に忍び込んで連れ去るという説は薄くなってきたように思えた。  そして瓜生田は、さらに突っ込んだ質問をした。  「ねえ白浜さん。ヒノまるちゃんが誘拐されたことに心当たりはある?」  「こ、心当たり?」  「たくさん動物がいるのに、なんでヒノまるちゃんが誘拐されたのかなって思って」  ヒノまるがいたケージは、飼育舎の出口から一番遠く、かつ脚立の足下にあり持ち出しにくい位置にあった。それにもかかわらず犯人はヒノまるを攫っている。動物を攫うのが目的なら、より連れ出しやすい選択肢はいくつもあった。瓜生田にはどうしてもその点が不思議だった。  「どうでしょう……やっぱりかわいいからですかね?」  「何か特別な動物だったりしない?」  「上野部長のお気に入りで、部のマスコットとしてポスターとかに載ってます。だから学園でもそれなりに知ってる方はいると思いますよ」  「旭山先輩も仰ってたね。他の部員からそれについて何か聞いたりしてない?」  「みんなそれぞれ“推し”がいて、自分の“推し”をマスコットにしたいんですけど、ヒノまるにはみんな納得してますよ。“推し”を部のマスコットにできるのが部長特権なんですけど、上野部長はきちんと3年生の先輩方の“推し”から投票で決めたんです。今年が最後のチャンスだからって。優しいですよね」  どうやら生物部員は、自分が贔屓にしている生き物については譲れない部分があるようだ。あの厳しい上野にもそんな一面があるのかと思うと、牟児津と瓜生田には意外だった。しかし、にこやかに話す白石からは、上野への遠慮は感じられなかった。どうやら上野が部員に慕われていることは事実らしい。  「ありがとう白浜さん。それじゃあ聞きたいことは聞けたから、上野部長を呼んできてもらえる?」  「分かりました。調査がんばってください!」  「いい子だ……」  現状、風紀委員が誘拐犯だと考えているのが牟児津であることを理解しているのかそうでないのか、白浜は牟児津と瓜生田にエールを送って大飼育舎に戻っていった。やる気ゼロな教師や敵意剥き出しの上級生を相手にしてささくれ立っていた牟児津の心が、白浜の無邪気さに優しく撫でつけられたような気がした。
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