出会い

1/1
前へ
/43ページ
次へ

出会い

「なあ、お前そこで何してんだ?」  木陰で膝を抱えて座る一人の少女に、少年は問いかける。  少女はしばらく黙っている。  葉の隙間から溢れる光の雨を縫って、ざあっと音を立てて風が通り抜けた。  木の葉が1つ、また1つと目の前を流れていく。  泉の波打ち際にはらりと降り立つ木の葉。追いかけるように、1つ、2つ。 「魚……」  少女が口を開いた。 「魚? 見えるのか?」  少年の問いかけに、少女は黙って頷く。 「魚は何をしているんだ?」  矢継ぎ早に少年は再度問う。 「………。魚は、そこに……居る」  少女は泉の傍に生える大木の下辺りを指している。  少年には魚の姿は見えなかった。  あるのは水面に映る大木、そして暗く深い水の世界。 「どんな魚だ?」  さらなる質問を少年はぶつけた。 「黒い斑点と……大きな口」  少女は僅かな言葉で魚の姿を説明した。  その声は木の上でお喋りする鳥たちの声にも負けるくらいだった。 「もっと近くで見ないのか?」  キラキラと光る、泉の水面を見ながら少年は少女に尋ねる。  少女は首を横に振りながらこう答えた。 「近づくと逃げる……から……」  漣立つ水面に映る二人の姿。  暫し風の音が辺りを包んだ。  木の葉がざわめき、水面を揺らす、緑の風。 「そうか」  少年はその一言と少女を残してその場を後にした。  翌日、少年は木陰の下に少女が座っているのを見た。  少年は少女にまた話しかける。 「魚、居るのか?」  少女は黙って頷いた。 「そうか」  少年は少女に背を向けて歩き戻った。  芝草がざわざわと足首を撫でる。  宮殿の敷地内を彷徨う少年は目当ての人物を見つけると、話した。 「グンデヴァルトよ、泉には何が居る?」  老紳士はその人生において知りうることを伝えた。 「その泉は昔、ズーハ湖と繋がっていたと言われております」  ヒゲを触りながら老紳士は言う。 「ズーハ湖に生息する生き物の幾つかが取り残されて現存しているでしょう」  知る者は知っている。  知の淵を。 「詳しく知るならこちらへ」  老獪な紳士は少年をビブリオテークへと案内する。  ビブリオテークには本棚と本、幾つかの椅子が雑然と存在する。  ズーハ湖の魚の目録を開いて目を走らせる。  黒い斑点を持つ魚は2種類いた。  ブラウントラウトとホーエンパイク。  少年は改めて従者に問うた。 「この魚を、なるべく遠くから捕まえるにはどうしたらいい」  誉れ高き従者は優しく微笑んで別の本を開いた。 「釣るのが良いでしょう」  少年は、それからずっとビブリオテークで文献を漁り続けた。  明るい昼も、暗い夜も。  輝ける星が眠る時も、明けの明星が呑まれる時も。  草原が朝日に焼かれる時も、黄金に輝く時も。  そしてある日、少年は武器を手にして泉の際に立っていた。  4フィートのロッド。草むらで捕えた小さな虫。 『釣り人がひとり 竿を担いで  川面を前にし 立っている  そして冷たく 清らな水を見て  可憐な魚を 狙っている』  詩の一節が脳裏を過る。  詩の通り、最後に哀れな姿を晒すのは、鱒か、それとも。  一投目。  その後ろで佇むは、一点を見つめる少女。  二投目。  聞こえるは、泉に落ち沈みゆく小さな命。  三投目。  見えたのは、銀色に煌めいた一瞬。  少年の手に持つ武器が引き込まれる。  その先に魔物を捉えた。  飛び、跳ね、踊る。  けたたましく水を弾く。  二の腕の長さの、鱒だった。  従者により捉えられしその魚を少女は見た。 「………この子じゃない」 「そうか」  水を得たその魚は深き闇へ帰った。  その後一度たりとも竿が撓ることはなかった。  明くる日。  同じように木陰に佇む少女と少年。 「今日も魚、居るんだよな」  少女は黙って頷く。  少年は金の魚を泉に落とし、女神が拾い上げるのを待った。  その命は、水面に落ちた太陽の如く光っている。  その光が花咲くのに時間はかからなかった。  この真昼の空に満月が見えた。  太陽を浴びて、煌めいた。  一閃して、引く。  長い時、引き合いが続く。  少年の腕が限界になる直前、お目当ての巨大魚が水面下に現れた。 「この子……」 「ホーエンパイクと言うらしい」  ロッドの半分より大きな魚。  巨大な口で獲物をひと思いに食らうのだ。 「……大きい」 「そうだな」  少年は泉の主を解放した。 「そう言えば、お前、名前は?」 「……。イリス……」 「イリス……? ああ、ヨナタン公のところの妹か。オレは……我が名はアストロ。シエナの王子だ。よろしくな」  イリスは黙って頷いた。
/43ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加