しんでれら

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「えっ? わざわざクリーニング出したの? サンダルなんて下っ端の履いてたやつ脱がしたのに。えっ? 新品のやつも? 捨てて良いって言ったのに」 「とんでもない。本当に……えっ? ぬ、脱がした? 」 「あはは。そう! ジャージは持って来させたんだけど、あ、もしかして靴もないのかなって思って、近くにいた奴のサンダル脱がしたの。ちゃんとお金渡して良い靴買わせたから大丈夫。モラハラじゃないよ」 「そんな……本当申し訳ない。でも……裸足でいたから沙羅の足の裏傷付いてて……助かりました」 「いえいえ。それで? ここはお気に召してくれましたか? お嬢さま」 「えっ? お、お嬢……あっはい、あ、いえ。逆に素晴らし過ぎて……私のこの服装が浮き過ぎてて恥ずかしいくらいです」 「そんな事ないです。とても素敵ですよ、俺の為にお洒落してきてくれたんですか? 」 「ちっ違います! 私も大人ですから、そのTPOに合わせてですね……」 タンスの奥から引っ張り出したスカートが恥ずかしくて、思わず手で隠した。カウンター以外に座るお客さんはみんなお洒落で、私のような冠婚葬祭で使うようなパンプスは誰も履いていなかった。 「それは……残念。普段のラフな格好も良いですけどね、綺麗ですよ」 「からかわないで下さい……私なんて……」 「お待たせ致しました。九条さまからのリクエストのカクテルでございます。度数も低く、とても飲みやすいものですので、安心してお飲み下さい」 助け舟のようにマスターがコースターにグラスを置いた。 「……わ……素敵な色……」 下に向かってスッと締まっていく細長いグラスに透き通ったな紫色。どこか異国の海のような色合いに、柄にもなく声が弾んだ。 「何て……お酒なんでしょうか……? 」 「ふふ。内緒です。あ、ちゃんとチェイサー飲みながら飲んで下さいね。酔い潰れないように」 九条さんが自分のグラスを私のグラスにカチンと合わせて、中の氷を溶かすようにグラスを持つ手を揺らす。カランと繊細な音を鳴らして、九条さんが私から目を離さずに飲むから口に運ぶタイミングを見失ってしまった。 「あ、はい……もちろんです! 」 チェイサーとはどうも水の事らしい。 「そんな気合い入れなくても大丈夫です。言ったでしょ? 俺は配送業の人間なんで自宅にちゃんとお送りしますよ」 「あ、いえ。ちゃんと自分でタクシーを呼んで帰りますので……お気にならさらずに」 「ふふふ。警戒心がとても強い。でもヤクザだからって高級クラブや怪しい店にばかり行く訳じゃないんですよ。このお店には同業者は連れて来ません。部下の人間も……俺個人の特別な店です」 「……すみません。私はあなたに失礼な事ばかり言ってますよね。偏見を持つなんて人として本当に……」 「ははは。こんな人間、偏見を持たれて当然ですし、逆に怖がってオドオドされて気を遣われる方がよっぽど面倒です。わんちゃんは素直でよろしい」 「そんな……何だか本当に犬みたいじゃないですか」 「ああ、失礼。何だか嬉しくて。こういう職種である程度の立場になりますと、金目当てで媚を売られるか、気を遣われるか……警察の怖いおじさんに睨まれるかのどれかで。人と対等に話す事も無くなって来てね。特に女性なんて会うのは商売の女の子ばかりだから、金銭抜きで女の人と話せるのは嬉しいもんで」 「そうですか? 九条さんは……とてもおモテになりそうですし、全てがお金の為って訳でもないと思いますけど」 少しうねった髪を後ろで束ね、後れ毛まで計算されているような顔立ちは目を引いた。顔のパーツ一つ一つが整っていると言うよりは、雰囲気が、オーラが、惹きつける目の強さが、特別なものに見えた。 きちんと胸元まで閉じられたワイシャツの上には光沢のあるベスト。少し模様の入った黒地のネクタイに、それに付けたネクタイピンは高価な宝石があしらわれて、薄暗い店内に映えている。この人はズルいくらいに自分の見せ方を良く知っていると思った。
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