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「アニキ……飲み過ぎっすよ。珍しいっすね」
昔はヤクザの車といえば黒塗りのセダンだったが今は高級ミニバンの普及で、随分と後部座席は乗りやすくなった。おかげでデリヘルの送迎も、飲んだ後の送迎も一般人に紛れ込める。
「あー? うっせー。お前が童貞だとか騒いでっから思春期に戻って飲み過ぎたんだよ。つーかこの車、後ろのライトがうぜぇ。何このピンク」
車内の天井を囲む様にピンクのLEDが光っていて、夢と現実の境目がいつまで経っても縮まらない。
「童貞話はアニキが言い出したんでしょ? 思春期って。そんな青春送ってました? お陰で30過ぎて童貞キャラっすよ。この車はちょうど近くに居たんで、うちのデリヘル送迎車に乗せてもらいました。このピンクはいかにもデリヘルっぽいでしょ? ナンバーワンのミリアちゃんの趣味らしいっす。あ、でも一週間の売り上げ一位が変動すると、その子の好きなカラーに変わるらしいっすよ」
「うぜー。恭介のチェリー姉さんの情報くらいどうでもいいー。消せー。眠れねー」
「何すか。その語尾伸ばす感じ。分かりましたよ。おいっ。消せってよ」
「わっ、分かりました」
デリヘルの運転手が震え上がる様な声を出し、慌ててライトを切る。
「悪りぃな。にーちゃん。そんなビビんなくて大丈夫だよ。ただの酔っ払いだ」
「はっはい。いえっ。すっすみませんっ」
ボクサー崩れの厳つい風貌の兄ちゃんが、背中を丸めて俺の一言一句に体をビクつかせるから、金色のツンツンした髪の毛が逆立った猫みたいに見えた。
「……何かあったんすか? 」
「……何もねーよ」
「どんだけの付き合いだと思ってるんすか。もう15年以上っすよ? 」
「何もねぇ」
「……女っすか? 意外とアニキはマジになると真面目っすからね」
「ちげーよ。うっせー」
「アニキが悩むって事はカタギの女っすか? 」
「うっせー! うっせー! うっせーわ」
「えっ。アニキ……若者の歌もちゃんと知ってるんすね」
「……うっせー。もう寝るんだよ」
「もうマンション着きますから。アニキの家ちけーでしょ」
「んだよ。てめーがうるせぇから寝られなかっただろ」
「俺がおんぶしてやりますよ」
「……物分かりがいいな征也。どう……」
「……うっす。つーか、また童貞って言おうとしました? 俺は硬派なんです」
「何が硬派だ。ヤクザで硬派ってもう絶滅危惧種だろ。昔のVシネじゃねーんだから」
「ほら行きますよ。おんぶしますんで捕まって下さい」
俺より一回りもガタイの良い筋肉質の征也は、身長は変わらないのに軽々と俺を背負う。出会った時はヒョロヒョロで、背も小さくて、負けん気だけは強いやつだった。
「世話をかけるねぇ。征也」
「なんすか。俺の死んだばーさんの真似ですか」
「天国で喜んでるってよ」
「なんすか。新手の霊媒詐欺でも始めるんすか」
「……今……背負ってあげている人にお金を渡しましょう」
「絶対はやんねーっすよ。アニキ」
夢を持っていたのはいつの頃までだろうか。中坊の頃にはもうサッカーも辞めて、ただ金稼いで女にモテることばかり考えていた。
夢があるから生きられる。そんな綺麗な言葉はどこで失ったのだろう。裏社会に染まって、もう未来など見なくなった。明日は死ぬかも知れない。
何の為に生きているのかさえ考えなくなった。
いつ死ぬかも分からない日々。毎日、飽きるほどコイツらと酒を飲んで、また明日同じように眠れるなら、この世界も悪くない。
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